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第46話 リッスン、マイハート
国見さんとは十二時に待ち合わせ。
今朝、会わなかったな、旭輝に。
向こうは朝早いし、俺が今日休みなの知ってるから、起こされたりもなく。でも実は既に起きてた。小さな部屋の中でごろんとしながら、音をできるだけさせないようにそっと身支度を整えてるのをドア越しにぼんやり聞いてた。
「あ……国見さん、すみませんっ。俺、時間遅く」
「いや、少し早めに着いたんだ」
「あ、そうだったんですか」
そして、ゆっくり準備して、待ち合わせてる十二時にお店の前へ向かったんだ。
今日、国見さんと出かけることは話してない。昨日の夜、一緒に遅い夕食食べたけど、その時も話さなかった。明日も帰り遅くなる? って何気なく訊いたら、多分な、って答えたから。それなら、向こうの、生活リズムに影響は皆無だったからさ。
全然、皆無、だったから。
「こんにちは……っていうのは、なかなか照れくさい挨拶だね」
「あは。ですね」
照れ臭いですねって頷くと、国見さんがまた優しく笑ってくれた。
いつもは「おはようございます」って言う挨拶が「こんにちは」になると、なんだか変な感じがする。ほら、「こんにちは」ってどこか改まってるっていうか、あんまり使わなくない? おはようございますとかこんばんはならさ、結構使う挨拶でしょ? でも「こんにちは」って慣れなくて。
二人してお店の前で笑ってた。
「じゃあ、行こうか。映画は先にチケット買っておこう。結構、前評判がいいから席埋まるかもしれない」
「あ、はい」
国見さんはさりげなく車道側に立って歩き始めた。エスコートしてくれてる。
「お腹は空いたかな? イタリアン、スペイン、次は和食がいいかなと思うんだけど」
「あ、俺は、なんでも」
「じゃあ、和食にしようか」
やっぱり、上手だよね。なれてるっていうかさ。
「そのあと、少し雑貨を見てもいいかな」
「あ、はい」
「……いや、やめておこう」
「?」
急に国見さんが難しい顔をした。口をちょっとへの字に曲げて、少し考え込んで。どうしたのかなって。
気になってる雑貨店がどこだかわからなくなっちゃったとか?
それともいっぱいありすぎて困ってる、とか?
「デートなんだ。仕事みたいなことはするべきじゃない」
「! あは。国見さん、そんなの気にしないでください」
可愛い人だなって、最初に思った。優しい人。
あと、なんていうのが一番しっくりくるかな。
チャーミングな人、かな。うん。そんな感じ。
こんな人の恋人はきっととても大事にしてもらえるんだろう。とても幸せにしてもらえるんだろうって、そう思った。
「そしたら、俺にいろんな雑貨のこと、教えてください。俺、スーツに関しては詳しいけど、まだまだ雑貨とか、国見さんが好きな国の文化とかよくわからないから」
「聡衣君……」
その恋人に、もしも俺がなれるのなら、それはとても大事にしてもらえるってことで、とても幸せにしてもらえるってこと。
「お腹、実は朝食べてないんで空いてるんです。とりあえず和食食べに行きましょう!」
それってすごいことじゃんって、頭の中で小人が教えてくれた。
和食レストラン。かと思ったのに、すごいちゃんとした料亭みたいなところでちょっと後退りしそうになっちゃった。そこですごく有名な親子丼を食べた。地方からそれを食べに来る人もいるくらいに有名なところらしくて。すごく美味しかったけど、ちょっと甘くて、自分が知ってる親子丼とは違ってる感じがした。
雑貨は、すごいよね。
やっぱ。
色々教えてもらいながら、他のお店ではこういうの取り揃えてるんだって、真剣な顔で偵察してる国見さんが見れた。すごく真面目な顔をしてて、ちょっと話しかけられないくらいだった。途中見かけた、青色のネクタイがすごく綺麗で、ふと……とある人の顔を思い出しかけて、慌ててそのネクタイをテーブルに戻した。青色に深みのある紫が混ざっているから、少し使う人を選ぶ感じだったけど、多分、すごく似合うだろうなって。
それから少しぶらぶら街を歩いて、映画を見た。
すっごいラブストーリー。
もちろんお化けなんて出てこないし。
ねぇ! 後ろだってば! そんな手元ばっか見てちゃダメだって!
みたいに慌てふためく必要もない、素敵で綺麗なラブストーリー。主演の男性俳優は超人気でイケメンで。その人が映画の中で仕事から帰ってきて、スーツのジャケットは脱いだけど、あとはそのまましばらく、こちらも大人気のモデル出身な女優さんと話すシーンを見ながら、いやいや疲れて帰ってきたのに、ネクタイも緩めずにそんなにいないでしょーなんて思ったりして。髪のセットも崩さず、ネクタイも緩めず、キュッと首元を整えたまま、なんてって。
だって、仕事から帰ってきたら、即座にネクタイだって緩めるし、髪なんてボサボサに崩しちゃうし。
映画の内容は……うん。面白かった、よ?
そして、映画を観終わった後は、食事に誘ってもらえた。今度は中華かフレンチって。これで世界の有名な料理は制覇できるねなんて国見さんが笑って。俺も、あははって笑って。そして、フレンチにした。美味しかった。
デザートまで出て来ちゃった。
「女性客が多かったね」
「あは、確かに。まぁラブストーリーですから」
「でも、とても面白かった。ラスト、よかった」
「はい」
あのシーン。仕事から帰ってきた彼は忽然といなくなちゃったヒロインを探しに、自転車で街の中を走り回るの。ネクタイしたまま、髪の毛、しっかりかっこよくセットしたまんま。
えー? そこもビシッと決めてるもん?
なんて、へそ曲がりだから、思ったりなんかして。
「あ、けど、俺、あのシーン好きです」
「?」
「犬、主人公の俳優さんが抱っこして」
「あぁ、優しいシーンだよね。僕は服が汚れちゃわないかなぁってそっちが気になって。職業柄、ね。だから動物園とかもあまり好きじゃなくて。匂い、気になるんだ。衣類に移らないかなと。そういうの気にならない?」
「あ……あは、そう、かも」
そう?
かな。
あんまり気にしたこと、ない。洗えばいいしって。でも、国見さんって上質は素材のニットをよく着てるから、気軽に洗えないもんね。気になるよね。
「さ、じゃあ、そろそろ出ようか」
「あ、はい。あの、今日、いろいろしてもらっちゃって、ここくらい出します」
そう言ったら、優しく微笑んで、そっと鞄の中を探る俺の手に国見さんが触れて。コート、取っておいでって。
優しい人。
包容力抜群。
きっとこの人の恋人になれる人は幸せだ。
「今日は楽しかった?」
「あ、はい! すごく! 勉強にもなったし」
「そう?」
きっと、この人の恋人になれたら、幸せなんだと。
「聡衣君……」
そう、思う。
思うんだ。
「今夜は、まだ」
「……」
思う。考える。頭の中はそれが正解だって、小人が言う。
けど。
「あ、あのっ!」
けど、胸のとこが、ね?
「あのっ! 俺!」
胸のところが。
心臓のとこが。
ねぇねぇってずっとずっと、言うの。
躍らなくない?
跳ねなくない?
って、一日中ずっと。
「あのっ!」
そう、言ってる。
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