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第59話 ハッピークリスマス

 ずっと言いたかったんだと言ってくれた。  告白の時の声も、言ったことも、表情だって覚えてるよ。  すごくすごく嬉しかったんだもん。  だから、よく覚えてる。あれは――。 「ずっと前から好きだった」 「……ぁ、の」 「覚えてるわけないだろうけど。俺は聡衣に世界一カッコイイサラリーマンにしてあげるって言ってもらえたんだ」  ――じゃあ、世界一カッコイイサラリーマンに。 「…………ぁ」  ――してあげるね。 「あの時からずっと、聡衣のことが好きだった」  かすかに覚えてる。顔は……思い出せない。でも、高校卒業してすぐ上京して紳士服の専門店で働くようになって何年か経ってた、と思う。もう職場にも慣れて、接客も上手にできるようになってたから。  そろそろ桜が咲くなぁって頃。 「エダシマさん……」 「!」  俺は、すごく楽しくその日、一人のお客さんにスーツをコーディネートしてあげたんだ。  それは見るからに不慣れな印象のお客さんだった。スーツ、買いに来たけど、何をどう選んだらイイのかわからないって、ジャケットを探してる感じ。指先が、迷子になりながらウロウロしてる子どもみたいに不安そうだった。  何かお探しですか?  そう声をかけたら、きっと困らせちゃうだろうなぁって。探す仕草が不安そうなお客さんの時はその声の掛け方はしないようにしてる。  あの時は、何をキッカケにしたのか思い出せないけど。でも、多分、近くにあった小物を使ったんだと思う。  これ、可愛いですよね。とか。  お客さんはふっとそれを見て、話しかけられたくない時はそのまま適当な返事が返ってくるし、少しでも魔があって、そのきっかけに使った小物を見つめるようなことがあるなら。  話を続ける。  彼は、じっと俺を見つめてた。  不安そうな迷子の指先はジャケットをさっきから探しているようだったから。  ビジネススーツをお探しですか?  そう尋ねると彼は目を丸くして、コクンって頷いた。  背は高かった。  手が大きくて、肩がしっかりしてた。足、なっが。顔は小さい、というか首が長くてスタイル抜群。わ、多分、イケメンに育つ気がする。今はそこまで洗練されてないけど。不安そうな顔してるの勿体無いなぁ。自信つけて、背筋伸ばして、顔をあげたらもうそれだけで充分。  足りないのは、自信。  じゃあ、こういうのはどうですか?  そう声をかけて、俺はスーツのジャケットを一つ彼へと差し出した。 「あの時のスーツは大事にしまってある。もう流石に、フレッシュマンすぎて着れないけどな」  俺が選んだのは濃紺のスーツ。黒も似合いそうな顔立ちだった気がする。もうその時の旭輝がどんな顔してたかぼんやりとしか覚えてないけど。でも長身を生かした、綺麗な紺色のスーツを選んであげた。 「すっげぇ田舎出身で、スーツなんて駅前にあるたった一つの洋品店で買うかネットで通販くらいしかなくてさ」 「あ! わっるい同僚の人が!」 「河野?」 「そう!」  ごめん。名前、覚えられなくて。そして悪い同僚で通用しちゃうし。 「言ってたか? あいつ。俺と一年目デスク隣だったからな」 「そうなんだ」 「田舎者って言ってたろ?」 「言ってた」  即答すると旭輝が、ぷはって笑った。 「そ。すげぇ田舎でさ。スーツもダサいのしかなさそうだから、上京してから買うことにしたんだ。けど、何をどう選んだらいいのかわからなくて」  迷子な、不安そうな指先……だった旭輝の長い指が、迷うことなく俺の頬を撫でる。 「その時、聡衣が声をかけてくれたんだ。すげぇ気さくに話しかけてくれて、俺のスーツを真剣に選んでくれた」 「紺色の……」  旭輝は顔を上げて、俺を見つめて、くしゃっと笑ってから、また頬に指先で触れる。  ――もう絶対にこれがいい! これで、ネクタイはこれ! そんなに値段高いネクタイじゃないけど、この柄、フレッシュマン向けなのにちゃんとお洒落で、俺のイチオシだから。もちろん似合ってる。うん。すっごい、いい感じ。 「……世界一かっこいいサラリーマン」 「あぁ、聡衣に言われたサラリーマンになりたくて、必死に頑張ったよ。一目惚れだった」  ――君、元がすっごいかっこいいから服変えるだけで全然印象が変わると思うよ。 「服には力があるんだって教えてくれた。魔法をかけてくれるんだって」  それはいつも俺が思ってること。服ひとつ、アクセサリー一つで人は自信溢れるかっこいい人にも、自信皆無の猫背人間にもしてしまえるって。 「で、でもっ、だって」 「聡衣が言ったんだろ」 「……」 「いっぱい仕事頑張って、いっぱい恋して、いい男になるんだぞって」 「だから?」 「あぁ」  何、それ。  ――あのっ! 俺が、いい男になったら!  ――?  ――いい男になったら。  ――かっこいいスーツメンズは誰でも大好きになっちゃうよ。  ――貴方も?  俺は、あの時。  ――もちろんだよー。俺、男だけど、男の俺も好きになっちゃうくらいのかっこいい働く男になれるよ。 「笑うだろ? それ、信じて、仕事して」 「女ったらしに?」 「あぁ」  そこで旭輝が苦笑いを溢した。 「あの時の聡衣、すげぇ、手慣れてそうだったからさ。なんか、それなりの経験値ないと振り向いてなんてもらえないだろうなぁって」  好きな人に好かれたいからと経験値をあげる。恋の模造品にはなるけれど、それでも経験値上げには十分。その相手はもちろん本気の女性じゃ困る。自分には好きな人がいるのだから、頼みたいのは恋に手慣れた男になるための練習。そう思って選んだ女性は自由奔放で、遊び上手で。  俺さえ落とせちゃいそうな、そんな……男。 「だから、大先生の娘なんて、ありえなかったよ。遊び相手にならないだろ」  男の俺でも好きになっちゃうくらいの、かっこいい人になった旭輝が笑って、もう迷うことのなくなった指先をソファに置いた。 「でも、実際、会えるなんてもう二度とないと思ってた。あの時、トイレで、サトイって聞こえた瞬間までは。ネームプレートには苗字しか明記されてなかったけど、実は、俺、あの後、一度店に行ったんだ」 「……え?」  笑うだろ? って旭輝が照れ臭そうに目元をクシャってしながら笑った。 「もう一回会いたくて。でも、もうその時にはいなくて、その時、聡衣って、他の店員が名前言ってたんだ」  笑わないよ。 「わかるのは、エダシマサトイ、その名前だけ……」  すごくかっこいいって、思ったよ?  あのトイレで、だっさい痴話喧嘩してた俺は、あそこから、さらってくれた旭輝のこと、まるで王子様みたいって思ったよ。 「つまり、そういうことだ」 「……」 「ずっと、聡衣しか好きじゃなかった」 「……」 「むしろ、ノンケは範疇外って言われて、逃げられたら困るとずっと言えなかった」 「……」 「あとは、なんだ? あ、そうだ。確かにノンケだし、他の男にキスしたいとはこれっぽっちも思わない。恋愛経験積むつっても相手、全部異性だったし」 「……」 「でも、聡衣のことは本気だ」 「……」 「他は? あと、聡衣がビビりそうなことは?」 「…………ぁ」 「あるか?」  あるよ。多分、たくさんある。だって、心臓止まりそうだし。心臓止まっちゃいそうなんだよ? もうそんな動機やばいのなんて、ホラー映画のクライマックスと同じじゃん。最恐な感じじゃん。でも、でもね。  でも。  あるはずなのに。  不安も、怖いのも、緊張も、うわーって胸のところで大暴れしてるのに。  それをぎゅって手に握りしめるみたいに自分の足をぎゅっと握ってた手でそっと旭輝を掴んだ。 「な、い……」  たくさんあるはずの怖いのをぎゅっと握りながら、それよりも溢れる気持ちをそっと口から呼吸と一緒に外に零してく。 「ない、よ」  ぎゅって。 「じゃあ、教えてくれ」 「……?」 「男とのセックスの仕方じゃなくて」  旭輝が好きって気持ちをそっと唇から。 「聡衣とのセックスの仕方を教えてくれ」  そっと、唇から、唇に移して。 「いぃ……よ……」  旭輝にキスをした。

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