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第104話 不安

 結局、チョコレート渡しそびれちゃったし。  今朝だって、朝から旭輝は仕事をしながらの身支度で話しかけられなかったし。スピーカーにして仕事の難しい話をしながらスーツ着てたくらい。それなら、電話がかかってくる前、朝ご飯を一緒に食べてる時に色々話しておけばよかった。  ――悪い。朝から騒がしくして。また、夜な。  そう言って、慌ただしく家を出た旭輝を見送った。 「……」  一人になった部屋はとても静かで、ソファに座る時の合皮が軋んだ音すら大きく聞こえる。 「はぁ」  一つ溜め息をそこに落っことして、ソファに寝転がった。  朝の電話の相手は男の人だった。法案がどうのって話してた。だから、ちゃんと仕事の話。なんて、そんなふうに思っちゃうのはすごく嫌なのに。それでも耳は勝手に旭輝の電話の会話を聞こうとしちゃうし、神経もそっちにばっか向いてっちゃう。  こんな不安とかも全部、イヤなのに。 「……ど、しよ」  なんか、一人でずぶって穴に落っこっちゃった感じ。どうしても気持ちがしょぼくれて、そこ、落っこちた穴から出てきてくれないの。 「何、それ、訊けばいーじゃん」 「だから、そのタイミング逃しちゃったんだってば」  陽介がミートドリアをパクリと食べた。すご、よくそんなあっつあつの食べられるなぁって眺めて。 「っていうかお昼食べようって言うから楽しみにしてたのに。恋の相談かよー。しかもなんか楽しくない感じの」 「ちょ! 真面目にっ」 「だって、そんなの訊けば済む話じゃん」 「そ……だけど」 「あれと一緒。なんか体調悪いなぁってずっと呟いたまま、心配そうにしてるくせに病院で診てもらうことには躊躇うみたいな。診てもらってスッキリすればいいのに。あーだこーだ考えて、サイトで症例見ては余計に不安になって」  でもさ。  もう最初、見かけた時にさっと言えたらよかった。でも無理で、今更、それを訊くってものすごい不自然じゃん。遅くなればなるほど、もうそのことを訊くタイミングはなくなって。けど、そのこと自体は胸のところにずっと塊になって残って。 「仕事って言って、けど、職場にいなくて、女と外にいたってだけでしょ? 外で仕事だったのかもしれないし」 「……」 「そうじゃないかもしれないけど」 「っ」 「一緒にいない時のことなんてわかんないじゃん。当たり前だけど」 「……」 「でも、仕事は見つかったんだしさ。もう久我山さんとはダメそうなら、国見さん、だっけ? そっちに行くとかもできるじゃん。いい人なんでしょ? もし久我山さんがダメだったらそっちにいけばいいじゃん」 「……ぇ?」  パッと顔を上げた。 「国見さん、じゃなかったっけ? 名前。お店のオーナー。聡衣もいい感じの人って言ってたじゃん。久我山さんがいなかったら、その人と付き合ってたかもって感じもないわけじゃないんでしょ? なら」 「……」 「簡単だよ。訊いてみる。なんでもなかったらそれでいいし。女の方に行くんなら、引き止めるか、バイバイするか」  ない。 「今までもそうだったじゃん。この前の最低男の時だって、もうダメってわかって終わりにしたわけだし。好きな人ができて、向こうも好きになって、付き合って、別れて、そしたらまた誰か次の人をって」  そんなの、ない。 「ダメならそうすればいいだけだし」  旭輝じゃない人、とか。 「……それができないならもがくしかないじゃん?」  ないよ。次、なんて、考えてなかった。 「……なんか、いいね」  え? 何が? 何も……今、俺の状況って。 「きっとなんでもないよ」  陽介は笑いながら頬杖をついて、そう言った。諦めたくないとか、そういうの、なんかいいよねって、眩しそうに明るい色の髪をかき上げた。  ――なんかあったら。またいくらでも話聞くから、とりあえず訊いてみなよ。けどどうせなんもないから。その時はたくさん奢れよな。  ってさ、訊けばいいっていうのはわかってるけどさぁ。  まず、旭輝帰ってこなかったし。いや、帰ってきたけど何か仕事でトラブルなのかかなり遅くて。しかも忙しそうで。だから、そんなの訊ける雰囲気なんてなかった。  せっかくの休みだったのに悪いって謝ってたし、本人も残念そうな顔はしてたけど。  本当に仕事っぽいけど。  本当に大変そうだったけど。  ってさ、ほら、こうして本当に仕事かどうかを気にかけるのだってしたくないのに。 「…………はぁ」  今日も遅いのかな。  仕事? それとも。っていうか、俺のこと避けてたり、しないよね。  そんな言葉ばっかり頭の中でぐるぐる追いかけっこをしてる。騒がしいくらいにバタバタと大きな足音を立てながら、ちっともじっとしてくれない。 「大丈夫? 聡衣君」 「! す、すみません!」 「いいよ。全然」  国見さんがふわりと微笑みながら、手を止めていたお馬鹿な俺の代わりに商品整理をものすごく手早く、ものすごく綺麗に終わらせちゃった。 「いつも君には甘えてばかりだから」  そんなことない。俺は全然。 「バイヤーの仕事だってできるようになって、本当にありがたいって思ってるよ。何か、僕でできることなら相談でも何でもしてもらって構わないから」  優しい人だ。  本当に、すごくすごく優しくてあったかい人。  すごく、良い人。  でも、やっぱり俺は旭輝が好きで。  たった一回、仕事で遅くなるって言ってた旭輝が外で女の人と歩いてただけで、こんなに不安になるくらいに好きで。  きっと違うよって思うけど。  思うんだけど。  そう思う度に、小さな声が邪魔してくるの。 「…………ぁ」  でもさ、って。 「あの、俺」 「いらっしゃいませ」 「!」  その時、お店の扉が開いて、カランコロンって鈴が鳴った。 「いらっしゃいま……」  お客さんは、あの人だった。旭輝の隣に立つと絵になる美男美女になれて、高嶺の花って感じで、甘い香水と高いピンヒールがよく似合う。 「……こんにちは」  そして、また、頭の中で不安の言葉がかけっこを始めちゃう。  でもさって。  でもさ、旭輝はさ。 「……いらっしゃいませ」  ノンケじゃん、って。

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