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第105話 彼女は意地悪
今日って、平日、だよね?
この人って……旭輝と同じ。
「有休消化よ」
「…………ぁ」
きっと俺にだけなんだろうなっていう、ツンとした態度で、退屈そうに平日の昼間にここにいる理由を教えてくれた。
「素敵な雑貨もあったし、ちょうど春物のコートが欲しかったから。スーツも扱ってるのね」
「あ、はい」
「……素敵ね」
「ありがとうございます」
その人は高いヒールをコツンコツンってかかとで鳴らしながら、ウインドウからよく見えるディスプレイの台の上に並べた小物を一つ一つ手に取った。
「すごい、洋服のお店なのに、食器まであるの?」
「あ、店長の趣味で」
「……そう」
視線を国見さんの方に向けて、にっこりと上品な笑顔を浮かべた。
「そうだ。このマグカップいいかも。引越し祝いに」
「ご友人様のですか?」
「いえ、職場のよ。貴方だって……」
そこで彼女はじっとこっちを見つめた。
「…………貴方」
「?」
何? なんだろう。じっと見つめて、何か考えて、ヌードピンクカラーの唇をキュッと結んだと思ったら、にっこりと俺にも笑顔を向けた。
「なんでもないわ。私たちの仕事って、定住って望めないのよ。数年単位で異動になる。私も二年前に地方からこっちに戻ってきたの。また地方に行って、出世街道に乗るか、そこでいい相手を見つけて、仕事をやめるか、色々考えてたの。自分の積み上げたキャリアの有効活用?」
「……えぇ」
「でも、貴方も大変よね」
俺? なんで?
「久我山君、出世街道まっしぐらだもの。次、こっちに戻ってくる時は階級幾つくらい上がってるのかしら」
「……」
「おめでとうって、今度お祝いしなくちゃ」
「……あ、の」
今、こっちに戻ってくる時は、って、言った……よね。
「? だって、四月から地方に出向じゃない」
「……」
「戻ってくるのは四年後くらいかしら。おめでとう」
そんなの……。
「もしかして、知らなかったり、する? まだすごくすごーく内々の人間しか知らないことだから、貴方にも言わずにいたのかも。正式発表は三月に入ってからだと思うし」
聞いて、ない。
「本来なら。そろそろパートナーも見つけて、生活面で支えてもらいながら、自分は仕事に専念したい……ところだと思うから。貴方にもその辺り、お願いするんじゃない?」
何も、聞いてない。
「貴方とこれからもずっと一緒にいるのなら」
そんなこと。
「でも、そうじゃない場合もあるかも……最近、たまに早めに上がって忙しそう。前の、彼みたい」
彼女は「久我山君」って同僚っぽく言っていたのを、「彼」って言った。甘やかで、とろりとした色気の混ざる声でそう告げて、手に取ったマグカップをそっと元の場所に戻した。
「ごめんなさい。また、そのうち来るわ。春物のコート、欲しかったけど、まだ寒い日が続きそうだし。この後、同僚の異動のお祝いも続くし」
「……」
「そうだ。今日って、彼、仕事で遅くなるって言ってた?」
「え?」
「今日、彼も飲み会に参加するの。最近では珍しく。ずっと、用事があるからっていそいそ帰ってたのに」
あぁ。
「その飲み会。私の後輩も参加するんだけど。すごく家庭的な子なの。なんだか、彼と馬が合うのか、よく話してて。その子が来るって言ったのよ。そしたら、彼もその日は空いてるからって」
もぅ。
「だから参加するみたいなの。帰り遅くなるかも、って知ってると思うけど。それじゃ、また、春先に来ます。その時、貴方がここにいないかもしれないけれど」
いやだ。
「…………聡衣君?」
ホント。
「…………今の方は」
「あは。すみません。接客とはいえすっごい話し込んじゃった。旭輝の同僚の方だったんです。まぁ、あのイケメンの恋人が俺ってビミョーなんだろうなって感じで」
不安で胸が押し潰されそう。
怖い。
「すっごい美人ですよね! ちょっと、多分、旭輝のこと狙ってたっぽいんで。嫉妬されちゃった、みたいな?」
痛い。
「すみません。そだ。お取り寄せ品のご連絡の電話、俺かけてもいいですか?」
「いいよ。大丈夫?」
「はい! もちろん!」
「一人、外国のお客さんからも取り寄せ来てたけど」
「あ…………けど! 大丈夫、です! 定型文だし! 旭輝に英語、ばっちり教わってるから!」
苦しい。
「バックヤード戻りますねぇ」
にっこりと、多分、笑った顔、作れたと思う。笑って、お店の裏手、バックヤードの扉を閉めてから、その場にしゃがみ込んだ。
「っ」
口元を手で抑えながら、そっと、息を胸から吐き出して。吸って、また吐き出して。
息が震えてた。
「もぉ……ホント」
そうぼやく声も震えてた。
そのくらい、不安で胸が何重にもぐるぐる巻きに苦しくて痛いくらいに縛られて、怖くてたまらなかった。
今日、送別会で遅くなるって、連絡が来てた。
お昼休憩の時にスマホを見るのはちょっと、午後の仕事に影響とかあったらやだなって思ってやめておいた。
仕事終わり、やっと見たスマホにそんなメッセージが来てた。
それを見ただけで胸のとこがぐちゃぐちゃの皺だらけになった。
もうわけわかんないくらい。皺だらけで畳んでもしまえそうもないくらい。
「お疲れ様です」
「聡衣君、大丈夫?」
「もちろんです!」
「……何かあったら連絡しておいで」
優しい人だなぁ、もぉ。
「……平気ですよ」
「僕が君に連絡してきてほしいんだ」
「……ありがとうございます」
でも、こんなに包み込むように優しい人でも、やっぱり旭輝がいい。
「お疲れ様」
ペコリと頭を下げて、お店を出ると二月中旬でもまだものすごく寒くて、頬に触れる空気は痛いくらいに冷たい。
「……」
ねぇ。
旭輝がいい。
「……九時半……か」
だから、今から行ってくる。
「職場近くって言ってたよね」
今から、旭輝を引き止めに……行ってくる。
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