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第107話 史上最高ラブストーリー

 今日は本当に送別会だったんだって。  あの女の人の。  あの人、結婚するんだって。同じ官僚の人で、今は地方に出向している彼氏と五年越しの交際を経て、ついに結婚するらしくて。それを機に寿退社することになって、今日がその送別会。  そんで、旭輝は異動、するんだって。  あの甘い香水の人の言ってたことは本当だった。  四月から、地方に――。 「仕事は本当に忙しかったんだ。けど、あの晩、少し彼女と話ができるタイミングがあって、内容が内容だから、少し外に出た。聡衣があの日、来てくれてるなんてな」  ただチョコレートを渡したかっただけなのに、二人が歩いているところを偶然見かけて、慌てて隠れちゃった。隠れて、不安も隠して、一人で帰って、知らないフリしちゃった。 「ごめん」  そっと謝ってから、旭輝がお風呂上がりでしっとりとした温かい手で頬に触れた。  二人でお風呂に入ったの。寒かったし、指先とかやっぱり凍りそうに冷たくなってたから、二人でお風呂で解凍した。だってそんな指先で素肌に触れたら飛び上がっちゃうでしょ?  それに、セックス、したかったし。  良い匂いで美味しそうな身体になりたかったから。  二人でお風呂入って、上がって、今、リビングのソファの上で髪を乾かしてもらいながら、全部話してもらってる。 「その話してた内容は……ちょっと待っててくれるか?」  そう言って、旭輝はいつもみたいに俺の髪にキスをすると、その場を離れて、リビングの本棚の引き出しから一つ、小さな箱を取り出した。 「この間、そのうち渡すって言ってたバレンタインの」 「……ぁ、うん」 「これ。箱の中身はキーホルダー」 「……」 「次の異動先は決まっても住むところはまだ見つけてないから、それが決まったら、鍵つけて渡そうと思ってたんだ」  だから、もう少ししたらって言ってたんだ。 「で、彼女とこの間、職場以外で会って話した内容」  それがこれ、って言うように、俺の手の中に置いてくれた箱をトンって指で突いた。 「恋人が地方で、ずっと遠距離恋愛してたから、その辺りのことを聞いてた」 「……」 「遠距離恋愛なんてしたことないからな」  旭輝は苦笑いをこぼしながら、向かう合うようにソファに座り直してから、まだ濡れている俺の髪にそっと優しく触れた。 「離れていても続くコツとかあるのかとか、遠距離ならではの注意点とか、問題とか……色々とな」 「……」 「俺は」  真っ直ぐな視線に心臓がトクンって鳴った。 「聡衣の仕事の邪魔はしたくない」  低く、凛とした声がそう告げる。 「バイヤーの仕事、楽しそうに話してくれただろ? あの時の聡衣の顔見てたら、絶対に邪魔にはなりたくないって、思っ……ぉ、おい、泣くなよ」  そっと触れてくれる手が、俺の目からポロッと落ちた雫で濡れる。 「聡衣」 「っ」 「泣くな」  だって、勝手に出ちゃったんだもん。  泣かないようにって頑張ってたんですけど。  泣くなよなんて困った顔されたって、仕方ないじゃん。 「ふ、不安だったんですけどっ」 「あぁ、ごめん」 「すっごい、怖かったんですけど」 「あぁ、すまなかった」 「あの女の人に取られるかもって」 「彼女にか?」 「だって! 嘘ついて隠すからっ」  そんなの不安になるに決まってるじゃん。 「旭輝、ノンケだもん」  やっぱりって、なるかもしれないじゃん。 「しつこいかもだけど、そうやって別れたこと何回もあったんだからっ。それが旭輝みたいなイケメンで、むしろ女の人の方から寄ってくるような感じでっ、エリートで、なんて、不安にならないわけないじゃんっ」  話してる間。ポロポロと涙が溢れて止まらない。  なんの涙なのかなんてわからないくらい、ホント、止まらなくて、瞬きすると、ぱたたって、たくさん零れ落ちていく。それが旭輝の指先も掌も濡らしてく。 「やっぱり女の人の方がいいって、なるかもしれないでしょ」 「ならない」 「そんなのっ」 「何回でも言う、君に好きだって」 「……」  旭輝がソファに手をついて、身を乗り出すようにこっちに近づくと、いつもの低い声を柔らかく、柔らかく変えて優しくそっと囁いた。 「……ぇ、あの」  今のって。 「あの時、本気でそう言った」 「……」 「なぁ、あのシーン、このセリフの後、覚えてるか?」  覚えてるよ。大好きで夢中になって見てたドラマだもん。でも、ゲイの俺にはおとぎ話で、夢物語で、憧れるだけのラブストーリー。  好きって言われた後の、ヒロインのセリフが大好きだった。  あの晩もこうしてセリフ言いっこしたっけ。  俺は……その続きを知ってたのに言うの誤魔化しちゃった。ドキドキしてね、仕方なかったから。好きになったってこの人ノンケだもんって、セーブしたんだ。 「……でも、これだってここで終わっちゃうかもしれないでしょ?」  あのセリフの続き。  そう言って、彼女は涙をポロポロ流した。瞬くの度に大粒の、雫が頬を伝う。 「そして、いつか、貴方がくれるその言葉も色褪せるよ」  何度も何度も言ってくれる。タイトルの「千回プロポーズ」のとおりに何度も。忘れても、忘れても、毎日恋をしていると告げてくれる。でも、その告白がいつかなくなっちゃうかもしれないじゃんって、彼女は、それが怖くなって、言うの。 「いっそここでやめとこ?」  怖いから、やめようよって。柔らかな灯りに照らされた顔をクシャってさせて、手を――。  手を引き寄せて旭輝の長い指が離さないって力を込めてくれる。 「千回だっていう」  このシーンが大好き。中学生の頃からずっとずっと思ってた。こんな恋ができたらなんて幸せだろうって。でも現実はそんな恋はあり得なくて、色褪せるし、薄れるし、消えてっちゃう。大人になればなるほど、あんな恋はできないんだろうって理解しちゃう。 「聡衣が好きだ」  そんな宝物みたいな恋は絶対にできないって思ってた。  泣きじゃくってでも手を伸ばして離したくない恋なんて、ないと思ってた。 「聡衣が好きだ」  ないって、思っていた。

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