107 / 143
第107話 史上最高ラブストーリー
今日は本当に送別会だったんだって。
あの女の人の。
あの人、結婚するんだって。同じ官僚の人で、今は地方に出向している彼氏と五年越しの交際を経て、ついに結婚するらしくて。それを機に寿退社することになって、今日がその送別会。
そんで、旭輝は異動、するんだって。
あの甘い香水の人の言ってたことは本当だった。
四月から、地方に――。
「仕事は本当に忙しかったんだ。けど、あの晩、少し彼女と話ができるタイミングがあって、内容が内容だから、少し外に出た。聡衣があの日、来てくれてるなんてな」
ただチョコレートを渡したかっただけなのに、二人が歩いているところを偶然見かけて、慌てて隠れちゃった。隠れて、不安も隠して、一人で帰って、知らないフリしちゃった。
「ごめん」
そっと謝ってから、旭輝がお風呂上がりでしっとりとした温かい手で頬に触れた。
二人でお風呂に入ったの。寒かったし、指先とかやっぱり凍りそうに冷たくなってたから、二人でお風呂で解凍した。だってそんな指先で素肌に触れたら飛び上がっちゃうでしょ?
それに、セックス、したかったし。
良い匂いで美味しそうな身体になりたかったから。
二人でお風呂入って、上がって、今、リビングのソファの上で髪を乾かしてもらいながら、全部話してもらってる。
「その話してた内容は……ちょっと待っててくれるか?」
そう言って、旭輝はいつもみたいに俺の髪にキスをすると、その場を離れて、リビングの本棚の引き出しから一つ、小さな箱を取り出した。
「この間、そのうち渡すって言ってたバレンタインの」
「……ぁ、うん」
「これ。箱の中身はキーホルダー」
「……」
「次の異動先は決まっても住むところはまだ見つけてないから、それが決まったら、鍵つけて渡そうと思ってたんだ」
だから、もう少ししたらって言ってたんだ。
「で、彼女とこの間、職場以外で会って話した内容」
それがこれ、って言うように、俺の手の中に置いてくれた箱をトンって指で突いた。
「恋人が地方で、ずっと遠距離恋愛してたから、その辺りのことを聞いてた」
「……」
「遠距離恋愛なんてしたことないからな」
旭輝は苦笑いをこぼしながら、向かう合うようにソファに座り直してから、まだ濡れている俺の髪にそっと優しく触れた。
「離れていても続くコツとかあるのかとか、遠距離ならではの注意点とか、問題とか……色々とな」
「……」
「俺は」
真っ直ぐな視線に心臓がトクンって鳴った。
「聡衣の仕事の邪魔はしたくない」
低く、凛とした声がそう告げる。
「バイヤーの仕事、楽しそうに話してくれただろ? あの時の聡衣の顔見てたら、絶対に邪魔にはなりたくないって、思っ……ぉ、おい、泣くなよ」
そっと触れてくれる手が、俺の目からポロッと落ちた雫で濡れる。
「聡衣」
「っ」
「泣くな」
だって、勝手に出ちゃったんだもん。
泣かないようにって頑張ってたんですけど。
泣くなよなんて困った顔されたって、仕方ないじゃん。
「ふ、不安だったんですけどっ」
「あぁ、ごめん」
「すっごい、怖かったんですけど」
「あぁ、すまなかった」
「あの女の人に取られるかもって」
「彼女にか?」
「だって! 嘘ついて隠すからっ」
そんなの不安になるに決まってるじゃん。
「旭輝、ノンケだもん」
やっぱりって、なるかもしれないじゃん。
「しつこいかもだけど、そうやって別れたこと何回もあったんだからっ。それが旭輝みたいなイケメンで、むしろ女の人の方から寄ってくるような感じでっ、エリートで、なんて、不安にならないわけないじゃんっ」
話してる間。ポロポロと涙が溢れて止まらない。
なんの涙なのかなんてわからないくらい、ホント、止まらなくて、瞬きすると、ぱたたって、たくさん零れ落ちていく。それが旭輝の指先も掌も濡らしてく。
「やっぱり女の人の方がいいって、なるかもしれないでしょ」
「ならない」
「そんなのっ」
「何回でも言う、君に好きだって」
「……」
旭輝がソファに手をついて、身を乗り出すようにこっちに近づくと、いつもの低い声を柔らかく、柔らかく変えて優しくそっと囁いた。
「……ぇ、あの」
今のって。
「あの時、本気でそう言った」
「……」
「なぁ、あのシーン、このセリフの後、覚えてるか?」
覚えてるよ。大好きで夢中になって見てたドラマだもん。でも、ゲイの俺にはおとぎ話で、夢物語で、憧れるだけのラブストーリー。
好きって言われた後の、ヒロインのセリフが大好きだった。
あの晩もこうしてセリフ言いっこしたっけ。
俺は……その続きを知ってたのに言うの誤魔化しちゃった。ドキドキしてね、仕方なかったから。好きになったってこの人ノンケだもんって、セーブしたんだ。
「……でも、これだってここで終わっちゃうかもしれないでしょ?」
あのセリフの続き。
そう言って、彼女は涙をポロポロ流した。瞬くの度に大粒の、雫が頬を伝う。
「そして、いつか、貴方がくれるその言葉も色褪せるよ」
何度も何度も言ってくれる。タイトルの「千回プロポーズ」のとおりに何度も。忘れても、忘れても、毎日恋をしていると告げてくれる。でも、その告白がいつかなくなっちゃうかもしれないじゃんって、彼女は、それが怖くなって、言うの。
「いっそここでやめとこ?」
怖いから、やめようよって。柔らかな灯りに照らされた顔をクシャってさせて、手を――。
手を引き寄せて旭輝の長い指が離さないって力を込めてくれる。
「千回だっていう」
このシーンが大好き。中学生の頃からずっとずっと思ってた。こんな恋ができたらなんて幸せだろうって。でも現実はそんな恋はあり得なくて、色褪せるし、薄れるし、消えてっちゃう。大人になればなるほど、あんな恋はできないんだろうって理解しちゃう。
「聡衣が好きだ」
そんな宝物みたいな恋は絶対にできないって思ってた。
泣きじゃくってでも手を伸ばして離したくない恋なんて、ないと思ってた。
「聡衣が好きだ」
ないって、思っていた。
ともだちにシェアしよう!