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第110話 ぬいぐるみ
ノンケを恋愛対象外にしてたのは何か劇的な出来事があってトラウマになった……とかじゃない。
ただ、小さな、「あーあ」が積もって、そういうことになっただけ。
例えば。
バイだった彼氏と別れて数ヶ月後、噂で彼女連れで歩いてたって聞いたとか。スマホを肌身離さず持ち歩くタイプじゃなかったはずなのに、急にずっと持ち歩くようになって、ふと見えちゃった着信には女の子の名前。そしてそれからしばらくの後に言われる別れの言葉。その後、誰とどうなったのかなんて知らない。知りたくないし。っていうか、彼女とやりとりしてる最中にスマホの画面見えちゃう側を上にして置いとくなっつうの。ドジすぎでしょ。いっつも持ち歩かないからそういうミスするんだってば。
とかさ、そんな小さい「あーあ」がちっちゃくちっちゃく、でも確かに胸の内には降り積もって、気が付いたら積雪何センチって感じに。
普通にただ別れたってこともあるけど。女の子のとこに戻っていった場合もまぁまぁあるわけで。
そして結果、ノンケは恋愛対象外になった、みたいな。
勝ち負けじゃないんだけど、それでもさ、やっぱりね。
勝てないじゃん?
柔らかくて小さくて、守ってあげたくなる感じでさ。
別の男に取られたんなら、まぁ。
けど性別違っちゃってたらもうどうにもならないじゃん。
俺にも落ち度とかあったのかも。尽くして欲しいとか、そういうの答えられてなかったのかも。だから、全部が全部相手が悪いわけじゃないけど、けど、やっぱり勝てないなって。
取られちゃうなら……やだなって。
「…………」
寝顔すら見惚れるくらいにかっこいい旭輝なんてさ、絶対に取られるって思ったし。
未来はわからないでしょ?
確定してる未来なんてないでしょ?
旭輝が他の誰かを好きになっちゃうことだって。
もしかしたら…………やっぱり女の人のほうがって。
ないなんてさ、言い切れないでしょ?
でも、今、この時点で、やだって思った。
旭輝が仕事って誤魔化した。女の人と歩いてた。
それを見た時に思ったのは。
「あーあ」
じゃなくて。
「やだ」
って思えた。
この人のこと、取られたくないなって。
そう思った旭輝の鼻先を指でちょっとだけ触った。
「おい、こら……こっちは明日も仕事なんだぞ」
そう小さく小さく呟いて。
そんな文句を言われてるなんて知らない旭輝の穏やかで気持ち良さそうな寝顔に笑って。
起きないように小さく呟いたけど、本当にちっとも起きる気配がないし。それどころかものすごく気持ち良さそうに熟睡してるし。
だからまた笑っちゃった。
たくさん、したもんね。
たくさん、セックスしたから満足そうに眠ってる。
嬉しそうにするんだもん。
俺のこと抱きしめながら、キスしながら、セックスの最中こっちが恥ずかしくなるくらいに嬉しそうに俺に触れるから。
どれだけ我慢してたのって。
遠距離恋愛になったら今みたいにしょっちゅう触れるわけじゃないから、今のうちからそれに慣れておかないとなんて言ってさ。干からびそうだったなんて、俺、お水じゃないんですけど。
触れたくて仕方ないとか。
どれだけ俺のこと好きなのって。
もっといるでしょ?
旭輝に似合いそうな美人とか超絶アイドル級に可愛い子もいるじゃん。
頭良くてさ、旭輝と同じように難しい話ができて、いろーんなレベルっていうか、生活水準、環境などなど、そんな色んなものが同じな人。
気のせいかもしれないよ?
俺が接客した時に、たまたまなんかピカーんってなっただけでさ、気の迷いってこと。あるかもしれないじゃん。それなのに――。
「気持ち良さそうに寝たりして」
そんなに嬉しかった?
ねぇ、俺のこと。
そんなに、好き?
「……? 聡衣?」
その問いが聞こえたみたいに旭輝がまだ目を瞑ったまま、手探りで俺に触れた。髪を撫でて、それから頬に触れて、今度は背中に手を回して引き寄せる。
「寝ないのか?」
「……寝るよ」
「明日も……仕事だろ」
眠くてふわふわしている手で俺のことを引き寄せて。
「うん」
明日、今起きたこと覚えてるかな。
寝ぼけながら話してたこと。鼻を触ってもちっとも起きなかったこと。明日、話してからかおう。
「……聡衣」
目を瞑ったまま、一緒の布団で眠っているって当たり前みたいに俺のこと手探りで見つけて、引き寄せて。
「……すみ……」
まるで大事に抱えられてるぬいぐるみにでもなった気分。子どもが肌身離さずずっと抱っこしているぬいぐるみ。いつだってそばにいるの。だから寝ぼけてても、どんな時でも手を伸ばす。当たり前にすぐ隣にいるってわかってるから。そうしていつも抱きしめられている。
「おやすみ……」
そして、また深く眠りについたってわかる寝息を世界で一番近いところで聞きながら目を閉じた。
「あーあ」って思いながら。
あーあ、もう、本当に大好きなんだけどって、思いながら。
今日、ちっとも離してくれなかった腕の中で、優しいけど笑っちゃうくらいにお互いに夢中になった甘い余韻に浸りながら、そっと、目を閉じた。
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