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第111話 あーあ

 この仕事がすごい好き。  そりゃ、まぁ、「あぁ今日はちょっとなぁ」ってテンションの時もあるけどさ。  付き合ってた彼氏と別れた翌日とか。その別れ話を陽介に愚痴りながらお酒飲みすぎちゃって二日酔いの朝とかね。  でも、それでも仕事がんばろうって腕まくりするくらいには、この仕事が好き。  誇りもちょっと持ってる。  この仕事で世界は動かせないけど、世の中激変なんてことはできないけど、でも、お客さま一人一人には背筋がぴーんとできちゃうような、翌日のお出かけとか出勤とかが楽しみになっちゃうくらいのささやかなお手伝いならできてると…………思ってたりする。  今もそう思ってる、けど。 「今日は…………こっちかな」  選んだのは……タートルネックのニット。見えちゃうので。その昨夜の色々が。もちろん、旭輝の背中には暴れん坊な猫でもお宅にいるんですっけ? ってくらいの爪痕が付いてる。びっくりなことに腕にもちょっとだけ赤い痕があって、ごめんねってなったけど。  旭輝は朝起きたばかりで少し肌寒さから潜り込んだままのベッドの中で笑ってた。  もちろんその笑った顔が女性誌に出てきそうなメンズモデル感すごくて見惚れたし。  で、そういうわけで今日はタートルネックのニット。ざっくり編みが好きなんだけど、今日は薄手のニットにした。お天気もいいらしいから、多分、こっちの方がいい感じ。それからブルゾンを合わせて。 「……よし」  いい感じ。  ちょっとかしこまった感じにしたのは、今日からスーツも少し場所広めに置かせてもらうから。 「さてと」  お財布オッケー、スマホ、オッケー。  荷物のチェックを終えて部屋を出ると旭輝がリビングからこっちへ来てくれた。今はもうこっちで寝てないから本当に荷物置き場って感じになっちゃってる、俺の仮住まいの小さな部屋。 「今度、こっちに荷物置こう」 「んー……」  旭輝が用意してくれた俺の部屋。  ここで、元彼の連絡先消したっけ。それから旭輝がリビングで、俺はここで電話越しの英会話レッスンとかさ。すっごいドキドキして慌てた。  好きにならないようにってかなり気をつけてたけど、まぁ、無理だよね。 「聡衣?」  好きになっちゃうでしょ?  こんなの。 「荷物このままでいいよ。別に」  そんなに日にちなんて経ってないはずなのに、なんだか遥か昔のことみたい。ここで過ごしてたのとか。ご飯だって最初は別だったのに、いつの間にかご飯を一緒に食べるようになって、別々に過ごしていたはずのプライベートタイムは一緒に映画を見たり、ゲームやったり、お酒飲みながら他愛のない話をする時間に変わった。  ゲーム、すっごい楽しかった。またやりたいなぁ、ライフゲーム。  旭輝の異動の前にもう一回くらいできるかな。  蒲田さんと、河野。  映画はなんでも大丈夫。一応……ホラーも……まぁ、全然、ヨユーで。旭輝が一緒に見るならね。怖くないし。全然。  なんて、本当はすっごい怖いから一人じゃ見られないんだけど。  どの時間もすごくすごく心地良くて、一人ずつそれぞれの部屋で過ごしてたなんて嘘みたいに、今、二人でいる時間が肌に馴染んでる。 「でも、もうこっちの部屋には」 「んー……」  一人ずつ、それぞれの部屋で過ごしてたのにね。 「けど、三月の終わりには引っ越すんでしょ?」 「……さと、」  今はもう、一人ずつっていうのはちょっと想像できなくてさ。 「今はちょっと、仕事、中途半端だからダメだし、タイミング見て国見さんにはちゃんと話したいから」 「……」  旭輝のそばを離れるっていうのはちょっと、無理……っぽい。 「でも、ついてく」 「……」  一緒にいたいって思うから。 「だから、っ…………」  だから荷物はこのままでいいよって言いたかったけど、キスで言えなかった。触れて、離れて、でもまたすぐに唇が触れられるような近いところで、旭輝がそっと溜め息を溢した。「あーあ」の溜め息じゃなくて、安堵とかの柔らかい溜め息。 「旭輝?」 「嬉しくて死にそうだ」  キスしながら、そんな嬉しそうな顔されるとたまらなく幸せになっちゃうじゃん。 「死んじゃったら困る」 「大丈夫、死なないから」 「っぷは、どっち」  仕事にやりがいがあるからやってこれたとこたくさんあって。どんな時でも、笑ってフロアに立っていれば、本当に笑えるようになるし。この、自分の好きな仕事に支えられてたとこもたくさんあるんだけどさ。でもね。 「ありがとう。聡衣」  でも、そんな好きな仕事と並べてみてさ。 「どういたしまして。それじゃあね。いってきます」 「あぁ、美味いもの作って待ってる」 「! やった」  今までだったら迷うことなく好きな仕事を取ってたんだよね。彼氏についてく、なんてなかった。  でも、その仕事と並べてみて、旭輝は違ったの。 「気をつけて」 「はーい」  ついてきたいって思ったの。 「じゃ、いってきます」 「!」 「あは。なんか、すっごいラブラブの新婚さんみたいだね」 「……そうだな」  あーあ、もう、ものすごい好きなんですけどって、また呟きたくなるくらい、旭輝のことがとにかく好きで大好きで仕事も旭輝も両方大事って、思ったの。

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