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新年のご挨拶編 17 優しいお餅
うちの親はあんまり干渉してこない方だったと思う。
放任ってわけじゃなくて、なんとなく遠くから見守ってくれてる感じ。
仕事柄、夜勤があるし、土日だって仕事だし。だからあんまり一緒にいることも少なくて、あのお正月飾りをくれた親戚とか近くにいたから、夜はそっちに泊ったりもしたっけ。いとこも歳が近かったから、小学生まではお世話になることが多かった。
けど、中学生にもなればもう一人で留守番もできるし。親戚のところにはあんまりいかなくなった。
あれは、お正月だった。
母は夜勤明けで朝方のはずが、急患とか色々あったんだと思う。少し遅く帰ってきて。
――あれ? 初詣行くって言ってなかったっけ?
こたつでゴロゴロしてたらそう言われた。
一緒に行きたかった相手はいたけど。
――んー、行かなくなった。
行くはずだったし、楽しみにしてたし、お母さんにもその日は初詣行くからって言ってたし。嬉しそうに言っちゃったから、家で不貞腐れてゴロ寝をしているところを見られて、バツが悪くて口がへの字になった。
おせちとか気にしなくていいからさ、仕事頑張ってね、なんて言ってたのにさ。
一緒に初詣に行こうと約束していた相手から、クリスマスが終わった直後に、ごめん行けなくなったって言われて、中止。
仕方ないよね。彼女と行くことになったらさ。
そりゃ、友達よりも彼女との初詣デートの方がいいに決まってるじゃん。
で、こたつでゴロゴロって。
――ふーん。じゃあ、おせちないけど、お餅焼こっか。
そう言って、それ以上は何も訊かなかった。何も言わず、毎日忙しいせいか、せっかちな母が仕事から帰ってきたばかりなのに、丁寧に丁寧にお餅を焼いてくれた。
もう俺のことわかってるのかもって、キッチンでコンロの前でじっと焼き加減を見守ってる背中を眺めながら思った。
親子の勘、かな。
なんとなく、そう思ったけど。
確かめたりはしなかった。
その時は、もう少し大人になったら言おうと思った。
けど、社会人になったら、もっと言えなくなった。仕事柄、女性スタッフの多い職場だったから、ママワーカーさんもけっこういて。一緒に働いてると、どれだけママが働くのが大変なことかって、わかっちゃってさ。シングルマザーの同僚から苦労とか、色々聞いちゃうと余計に言えなくなった。
なんか……ごめん。
そんな漠然とした、けど、しょんぼりとした言葉が頭の中をうろうろしてた。
なんだろうね。自分の恋愛対象が同性っていうのが悪いことだなんて思ってないし、そんなことを言う奴がいたら、時代遅れって文句くらい言えちゃうし、全然、何一つも謝るようなことしてないけど。
でも、なんか……ごめん、って。
なんか、ごめんってね。お母さんの顔を見ると、その言葉が頭の中をうろうろってする。
「ほら、こたつ入って。寒かったでしょ?」
「失礼します」
「けっこうかかった? 言ってくれれば車で迎えに行ったのに」
「んー、大丈夫」
「旭輝さんも遠慮しないでいいよ」
「あの」
「……」
旭輝がコホンって小さく咳払いをした。そして、正座をしている膝に手を置いて、真っ直ぐ、すごく真っ直ぐうちの母を見つめた。
「今日は、お会いできて光栄です。聡衣さんとおつきあいさせていただいています」
澄んだ低音が心地良い。
「とても大切な人です。どうか、私たちのことをお認めいただけないでしょうか。一生、大切にします」
長い指を揃えた、深いお辞儀。
芯の通った背筋。
凛としたハリのある声。
「…………旭輝さん」
「はい」
「こちらこそ、色々至らないところあると思うんですけど、どうか、息子を宜しくお願いします」
「はい」
「聡衣も」
「あ、はい」
「旭輝さんと仲良くね」
「……う、ん」
なんか、ごめん……って。
「…………はぁ、挨拶なんてしてもらっちゃって、これで大丈夫? 変じゃない? 慣れてないっていうか、まぁ、こんな大事なことそうそう何度もされるものじゃないから慣れるわけないんだけど。っていうか、なぁに、もう、どうやったらこんなイケメン捕まえられるわけ? すっごいじゃん。まさか初めて、じゃないか、最初で最後になるのか。紹介してくれた人が、こんなすごい素敵な人で、しかも、そんな指輪までお揃いだし」
「ぁ……え」
「よかったね」
なんか、ごめんって、言葉が。
「はぁ、お母さん、、めっちゃ緊張しちゃったわ。ごめんね。旭輝さん。こういうの本当に慣れないし、苦手だから、失礼してたらごめんね。っていうか、もうそんな硬く挨拶してもらえて、十分です。ありがとう。寒いからこたつ入って。お酒飲めるよね? 強い? あ、そうそう、煮物好きって聞いたけど、どうなんだろう。あんまり料理上手じゃないの。聡衣も全然でしょー? 料理」
ずっと頭の中に小さく、でも、やっぱりどうしてもどこかにあった、そんなしょんぼりとした言葉が。
どっか行っちゃった。
お母さんが嬉しそうで、おしゃべりで。
どこかにしょんぼりが消えちゃった。
「お腹空いてる? 待ってて。お酒日本酒で大丈夫? あ、ワイン? ワインも一応買っておいたんだよね。あとねぇ」
そして、その代わりに、頭の中に一個だけ言葉が浮かんだ。
「お母さん」
「あ、っていうか、お正月はやっぱお餅だよね。何個食べるー? 旭輝さんは三つ? 聡衣はぁ?」
「ありがと」
「……」
――ふーん。じゃあ、おせちないけど、お餅焼こっか。
あの時はなんか、やけ食いしたくて、四つって答えたっけ。破裂するくらい食べてやるって思ったんだよね。
「旭輝と一緒、三つ」
「……オッケー。っていうか、そんなにコンロに乗るかな」
俺はお母さんにそっくり、ってよく親戚にも言われた。
あんまり自覚ないけど。
ちょっと雑で、ちょっと騒がしくて、ちょっとすぐに落ち込むとこがあって。そして、ちょっとせっかち。だからじっくりお餅を焼くのもできないタイプ。
ほら、お餅ってほっとくとあっという間に焦げちゃわない? さっきまで全然焼けてなかったのに、次に見たら、火出てますけどって。
けれど、あの時は丁寧に丁寧にお餅を焼いてくれて、すごく美味しかった。
今もこっちに背中を向けながら、おしゃべりしつつ、丁寧に、丁寧に焼いてくれる。
「へぇ、じゃあ、また数年したら引越しするの?」
「はい。多分そうなるかと」
「大変なお仕事だねぇ」
「そんなことは。聡衣さんがいてくれるので」
「えぇ? 聡衣ぃ?」
せっかちな人だから、キッチンでじっとしてるのなんて得意じゃないのに、いっつも慌ただしいのに、あの時も、今も、そこに立ってじっと。
何をあの時は考えてたんだろう、と、その背中を見つめながら思った。
きっと、あの時の背中みたいに、今、あそこにいる後ろ姿も一生、ずっと覚えてるんだろうなって、なんとなく、ふわりと、そんなことを思った。
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