139 / 143
新年のご挨拶編 20 お日様ポカポカ
小さかった頃、母の匂いが大好きだった。
洗剤の匂い。仕事柄、柔軟剤も香水も使わなかった母だったけど、ちょっとだけ洗濯物と、太陽なのかな、お日様みたいにポカポカとした温かい匂いがしてた。仕事で忙しいからお手伝いは必須で、学校終わって帰ってきたらまず洗濯物。今だったらね。めちゃくちゃ早く、しかもすっごくきれいにたためるけど、昔はテレビ見ながらのんびりたたんでた。一番好きな「お手伝い」がその洗濯物をたたむ、だった。洗い立ての洋服たちからは母と同じ匂いがしてたから。
「聡衣」
「?」
「今日はありがとう」
旭輝の落ち着いた低音が子どもの頃の俺の居場所で聞けるのって、なんか、不思議。
「ありがとうって言うの、俺のほうこそ、でしょ」
「?」
「貴重な休みじゃん。もっとゆっくりしたかったでしょ?」
「そんなことない。優秀だからな。すぐにリカバーできるから、休みなんていくらでも取れる」
「っぷは、すごい自信」
二人で仲良くお布団並べて寝転がるのがちょっと楽しい。
「まぁな」
きっと本当にすっごおおおく優秀な人。でもそんな人でも緊張しちゃうことがあるなんてね。
「煮物、美味かったな」
「そう? なんか、うちのお母さん、めっちゃ喜んでたね。あれ、毎回、」
毎回、うちに来る時は煮物山盛りで出されそうって言おうとして、ちょっと、言葉が喉奥でキューって急ブレーキをかけた。
「来年の正月はお母さんの休みに合わせて挨拶に来ようか」
「……」
「別に正月三が日内じゃなくてもいいだろ? 俺なら休み、さっき言ったがいつでも取れるくらい」
「優秀だもんね」
「あぁ」
そっと、布団から手を出した。田舎だから寒いんだよね。だからその手を急いで旭輝がいる布団の方に忍び込ませると、温かい手がギュッと握ってくれる。
「明日、帰りに初詣寄るか? こっちの」
「え、いいよ。帰ってからにしよ。荷物あるし。それに」
「それに?」
「遭遇しそう」
「同級生?」
そう、会うとまた騒がしいし。
「あの花火を学校で一緒にやって、先生に追いかけられた時の?」
「んもぉ、マジでお母さん、口軽い」
ペラペラ喋るんだもん。俺の黒歴史。いや、別にそんな黒黒しいわけじゃないけど、気恥ずかしいでしょ? やんちゃな頃のことなんて。
中学生の時はちょっと、まぁ、色々失敗もあるわけで。
花火したいねって、コンビニで偶然見かけた安売りの打ち上げ花火セットを見たら、そんなことを思って。じゃあ、公園で、ってなりかけたけど、花火したらうるさいって言われそうだし、道端でパチパチするわけにもいかなくて、かといって、一軒家の友達のうちでってなると、それはそれで、近所迷惑だぞとか言われそうで。
学校がいいじゃん。
ってことになった。
打ち上げ花火ばっかり。あと、ネズミ花火。でも、まぁ、学校のグラウンドでドンパチヒューヒューやれば用務員さん来ちゃうよね。
運悪く、その時の担任が学校に残ってて、コラー! って漫画みたいに叫ばれて、猛ダッシュで逃げて……後日、親はその先生にお説教を食らった。もちろん俺たちも。
お説教の帰り、バカねぇって、あっけらかんと笑ってた。そんな母だった。
「あと、あれはいつか写真を見たい」
「ないです。写真は」
「……」
「ないってば、無言の圧かけられても、ありません。っていうか、そんなの見たって」
花火の話題が終わったと思ったのに。
見たいとねだられてるのは高校の時の文化祭の写真。文化祭定番のJKカフェ。俺はジョシコーセーの格好をしたんだけど、それが案外好評だったとか言っちゃうから。全然だから。そりゃ旭輝みたいにイケメンじゃないけど、女子にはちっとも見えないもん。
「旭輝が思ってるほどの完成度高い化け方できてないよ。クラスで爆笑だったし」
「見てから判断する」
「いや、写真ないから」
あるけど。ないってことにします。
「……」
暗闇なのに優秀すぎる旭輝には何もかも見透かされてるの? 無言の圧がひしひしと、持っているんだろう? とこっちを見つめてる気がした。
「ないでーす」
けど負けじとそう言い切って。
「っていうか、あっても、ただ、あれ、ちょっと若くなったうちのお母さん。めえええっちゃ似てたから」
「へぇ、それならやっぱり美人だな」
「っぷは。それ、うちのお母さんに言ったら、舞い上がって踊り出すかも」
これはホント。きっと、必ず踊るから。もうイケメンとかに弱い弱い。だから大喜びしちゃう。
「……笑った顔がお母さん似だ」
そう言って、今度は旭輝が手を布団から出して、俺の頬に触れた。
「えぇ? そう? 自覚ない」
「そっくりだよ。あと、たまに口調も」
「えー……」
嫌そうに返事をすると隣の布団から小さな笑い声が聞こてくる。
穏やかで、優しくて、少し俺、感動もしてるのかも。喉奥がギュッて熱くなる。
「今日は、ありがと」
愛しい気持ちが溢れてきて、自然と旭輝のいる方へと身体をズラすと、旭輝の腕が俺を引き寄せてくれた。
「あぁ」
あ。
「おやすみなさい」
お日様。
「おやすみ」
引き寄せて、抱き締めてくれる旭輝からは、優しくて気持ちがポカポカと温かくなれる、お日様の匂いがした。
ともだちにシェアしよう!