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新年のご挨拶編 21 どんだけ、どんだけ

 この人に出会うために生まれてきた、なぁんてそんなドラマチックなことは思わない性格だけど。でも、色々あったし、色々考えたり、悩んだり、ちょっと泣いてみたりもしたけど、今、こんな時間を過ごせるなら、どれもこれも、良かった、なんてことは思ったりする。 「忘れ物とか大丈夫?」 「大丈夫! っていうか、そんなにたくさん持ち物ないし。っていうかスマホがあればどうにかなるし。それより、お土産でもう手一杯」 「いーでしょ。歩いて帰るわけじゃないんだから」  そうだけど。でも、バス使って、駅使って、電車乗って、あの巨大駅を闊歩して、新幹線なんですけど? 「二人で頑張って、帰り道」  母が腰に手を置いて、玄関先で靴を履く俺たちを見守ってる。 「で、忘れ物は? あんたって、一つのことに集中すると他が目に入らなくなるから」 「だーいじょうぶっ」  そんなこと言ってるお母さんの方こそ、よく仕事に出かけたと思ったら直後に戻ってきたじゃん。バタバターって足音がしたと思ったら、このおもったい扉をぶち破りそうな勢いで戻ってきて。  ――やばいやばい!  って、叫びながら、鍵だったり、スマホだったり、お弁当だったり、鷲掴みにしてまた飛び出して出ていく。  ――早かったね。おかえりぃ。  なんて茶化して言うと、一生懸命に部屋の中を駆け回りながら。  ――ただいま、行ってきます!  そうちゃんと挨拶して。よくある我が家の日常風景だった。だから、たった二人っきりの家族だったけど、うちのお母さんがこんな感じの人だったからすごく賑やかだったのを覚えてる。 「まぁ、旭輝さんがいるから大丈夫か」  母はにっこりと笑って、首を傾げた。 「っていうか、お母さんこそ、午後から仕事でしょ? 大丈夫? そんなのんびりしてて」 「大丈夫」  それにしても、どんだけお酒買ったの? って笑っちゃった。お酒、普段は飲まないんだからこんなに買う必要なかったのに。 「仕事、忙しいと思うけど、また二人で来てね」 「もちろん、伺います」 「卒アル出しておくから」 「いいから!」  本当に出してきそうだし。だから強めに卒アル断固拒否を主張しておかないと。 「じゃあもう行くね」 「はいはい気をつけて」 「はーい」  小さな頃は重くて風の強い日は、ヨイショってしないと開かなかった扉。  一緒に帰ってくると、頭上から母の手が出てきて、その扉をそっと支えてくれた。両肩に自分の荷物と帰り途中で済ませた買い物袋をぶら下げながら。大変そうだなって、子どもながらに思って、扉を自分で開けなくちゃと頑張ったっけ。  ――ありがと。  いっつも賑やかな人が、その時だけ、優しく丁寧にそう言ってくれたのを覚えてる。くすぐったいくらい、柔らかい声だった。  高校生くらいになると子どもの頃のような重たさは感じなかったけど。夜遊びで帰りが遅くなったりすると、門限はなかった我が家でもちょっと遅すぎたりした時は、叱られないようにそっと開けたくて。でもそんな家人の気持ちなんて汲むことなく、律儀に毎回「ガチャン」って音を立てて、お母さんに帰宅を知らせてしまう。ちょっと融通の効かない扉。 「お母さんも風邪とか気をつけてよ。お店の常連のママさんが娘さんの通ってる保育園でインフル来てるって言ってたよー」  その扉を開けると、一月らしい、耳や鼻先が痛いくらいに、清々しい冬の空気が大急ぎで室内へと駆け込んできた。 「聡衣」 「?」  玄関まででいいよ。お母さんも仕事の準備とかあるでしょ? って、いったおいた。 「ありがとうね」 「……」  それはこっちが言う事でしょ。忙しいのに、わざわざ休んでもらって、煮物まで作って。 「二人こそ風邪、気をつけて」  昨日は少しドキドキしながら歩いた廊下を今日は優しい気持ちで歩いてる。  学校が終わって、ランドセルだけ置いて、早く友だちと遊びたいって、駆けていった廊下を。  テスト期間直前は単語帳と睨めっこして四苦八苦しながら歩いた廊下を。  自分の恋愛に戸惑いながら歩いた廊下を。  自立して実家を出た時、今日から一人だと思いながら真っ直ぐ歩いた廊下を。 「お母さんもね」  パートナーと一緒だ、と、特別幸せな気持ちで歩いた。  階段を降りて、外に出れば今朝、お餅を食べながら眺めていたテレビニュースのお天気予報の通り、真っ青な空が広がっていた。 「いい天気だね」 「あぁ」 「……ね」 「?」 「大人になったなぁ」  そう元気な声で呟くと、耳にはもう馴染んだ低音が「なんだそれ」って優しく笑ってくれた。だってこんな日が自分の訪れるなんて思わなかったんだも。こんな清々しい気持ちで実家に来るなんてさ、思わなかったから。  空には雲一つない清々しい青空が広がっていて、手、伸ばしたかったんだけど。 「っていうか、ほっっんとうにお酒、どんだけ買ったの! うちのお母さん!」  腐らないわよと持たされた大量のお酒がぶら下がっていて、空を仰ぐことはできそうになかった。 「おもいいいいいい!」 「……確かに」  ほんと。 「はぁ」  どんだけ、楽しみにしてたんだろ。 「いい正月だな」 「……そうだね」  うちの、お母さん。

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