162 / 167
ヤキモチエッセンス編 4 イケメンせんせー
普通もうちょっと適当になるっていうか、慣れてくるっていうかさ。
もう付き合いたてなんて時期はとっくに過ぎてる。
なのに、毎回、旭輝とするのはドキドキする。っていうか、こんなに長く一人と付き合ったのは生まれて初めてなんだよね。だから、わかんない。なんで今でもこんなにドキドキするのか。
今までで一番長かったのが、一年、かな。
一年記念が……って思ったところで、別れちゃったんだ。
海外に勉強しに行きたいって言われて、俺は、海外でアパレルの仕事できる気がしなかったから、行かないって言った。
付き合ってた人よりも、その時は、仕事を取った――。
「聡衣さーん!」
「!」
夕方、多分、専門学校が終わったんだと思う。明るいサチちゃんの声が倉庫も兼ねた小さな店内に響き渡った。
「いらっしゃい」
「この前、話してたイケメンせんせー連れてきちゃった! お店で可愛いって言ってたTシャツのサイズ入荷したって聞いたから、買いに来るついでにっ」
「そう、……」
入荷したよ、って言おうと思ったところで、言葉が喉につっかえた。
「……ぇ」
目を丸くしたのは、俺と、それから。サチちゃんの後ろにいた男の人も、目を丸くして俺を見つめた。
「ぇ……聡衣?」
サチちゃんの先生だという彼は。
「……ぁ」
昔、付き合ってた人、だった。
「え? あれ? もしかして先生と聡衣さんって知り合い?」
「あ、あぁ」
わ。懐かしいこの低音の声。
「えー、そう、なんだっ。すっごい偶然じゃない?」
――イタリアに一緒に、行って欲しい。
「聡衣さんっ、このお店のオーナーさんでぇ、めっちゃセンス良くて、お店に置いてあるもの全部買いたいくらいなんだぁ」
――聡衣っ。
真剣な時とか、真面目な時だと、声が一層低くなる。
――直樹(なおき)、ごめん。
「あ、えと、久しぶり、原(はら)さん」
「あ、あぁ……」
そっか。今は先生やってるんだ。パターンナーの、かな。優秀ってあの当時もデザイナーさんに褒められてたし。
「ぁ………………あっ! Tシャツね! サイズ、入荷したからっ、待ってて」
バックヤードにあるからって、一度席を外して、扉のところで一つ呼吸を置いて。
「ふぅ……」
びっくり、した。こんなことってあるんだ。あの時、ごめん、一緒にいけないですって、言ったらもう二度と会うことはないんだろうなって、思ったのを覚えてる。
海外は俺にとって遥か遠くの異次元レベルでさ。すごく好きだったから、断ったら、もう会えないって、悲しかったのを、覚えてる。
「えと、サチちゃんの、取り置きにしてたのは……」
すごく、好きだったのを、覚えてる。
好き、だったのを――。
「はーい、これ、Tシャツね」
「ありがとーございます! やった」
「試着する?」
「大丈夫! 聡衣さんっ、ありがとー」
「どういたしまして。じゃあ、お会計を」
はーい、いつもどおりに返事をするサチちゃんに笑って、アルコイリスのロゴが入ったパッケージに封入してあげた。
「あ、先生は? 少し見てく?」
「あ、あぁ、そうだな」
もう昔のことだし、喧嘩別れってわけでもない。それぞれ選びたい道があって、その道を選んだら、そのまま離れてくっていうルートだったってだけのこと。
「あ……」
その時、鈴が鳴って扉が開いた。
「い、いらっしゃいませ」
ちょっとだけ、逃げ腰になっちゃった。なんか、話すことないし。サチちゃんもいるし。昔を懐かしむのとか、どうしたらいいのか、わかんないし。接客業してるのに、こんなの言うのもおかしいけど、人付き合いは上手じゃないって思うんだ。自分で。
「それじゃあ、ごめんね。サチちゃん」
「ううん。全然」
「原、さんも」
不器用だから、他のお客様がちょうど入ってきてくれて、ラッキーって思っちゃった。そしたら、この、どうすればいいのかわかんない。何を話すのが正解なのか、とか、どの距離感の接し方が正解なのか、とか。困らなくて済むから。だから、少し、ホッとしちゃったんだ。
――今日は帰り、遅くなる。先に寝ててかまわないから。
ほら、やっぱり忙しいんじゃん。この前、無理して早めに帰ったから余計に忙しいんじゃないの? 残業の時間を一時間削っただけでも、相当なロスになったりするんでしょ?
――了解。けど、夕飯食べるでしょ? 作っておく。
――ありがとう。一緒に食べたかった。やってられん。
っぷ。怒ってる。
旭輝はスタンプとか使わない。いつでも交わすのは言葉でって感じ。
けど、きっとこのスマホの画面の向こう側には「不機嫌」「不貞腐れ」って感じの顔をした旭輝が思い浮かんだ。そして俺は、今日の夕飯のメニューが決まった。
「何にしよっかな」
すぐに食べられて、ボリュームあって、パッと片付けできちゃうやつ。
――頑張れー。
そうメッセージを送り返して、少し早歩きにギアを入れ替える。
だって、俺も一緒に食べたいから。夕飯準備して、お風呂も入って、ブログ書いて、彼が帰ってくるまでのぜーんぶ終わらせとこうと、ちょっとだけ早歩きしながら夕飯にことを考えた。
ともだちにシェアしよう!

