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ヤキモチエッセンス編 5 思い出

「わぁ……」  あくび、出ちゃったじゃん。急いで、誰にも見えないようにお店の壁に顔を向けたけどさ。  昨日は寝たの、遅かったんだよね。しかも今日はけっこう忙しくて、お客様がずっと途切れることがなく来てたから、お昼も適当で。  こういう時にもう一人スタッフさんがいるといいなぁなんて、贅沢なことを考えたくなる。もちろん、そんな予定もつもりもないけどさ。  旭輝も今頃あくびしてるかな。  昨日は旭輝が帰ってくるのが本当に遅かった。十時近くて、ちょっと心配になったくらい。帰りに「今から帰る」って連絡なかったら、仕事の邪魔になるかもと思いつつ、電話かけてたかも。  そこから一緒に夕飯だったから。  夕飯食べて、食器とか後片付けはこっちでやるからお風呂に入ってきちゃいなよって、バスルームに押し込んで。それでも寝たのは日付が変わってからになった。  すぐに寝息が聞こえたくらい、疲れてたんだと思う。寝顔、ちょっと疲れてそう、だったかな。枕に沈むように眠ってる旭輝をしばらく眺めて、それから俺も目を閉じた。  ――待ってたのか?  帰ってきた時、すごく驚いた顔してた。  べっつにぃ、待ってたんじゃなくて、色々、夕飯の準備して、お風呂入って、お店のブログとか書いてたらこの時間になったってだけ、なんて、また可愛くない言い方をしちゃったけど。  フツーに、旭輝のこと待ってたんだよ。一緒にご飯食べたかったから、って言えばいいのにね。そのほうが断然可愛いでしょ。けど、どうしてもそういうのが苦手で  言えない。  そんなだからもっと可愛げのある人のところにみんな行っちゃうんだけど。  旭輝の方は仕事大丈夫なのかな。  あれだけ遅くなったってことは相当忙しいんでしょ?  身体、壊さないといいんだけど。お昼とか食べてる時間あるのかな。ちょっと心配なんだよね。きっと今までだったらなんてことなかったと思う。旭輝一人だったら、きっとどんな忙しい時でも、厳しい局面でも、涼しい顔をしてやってのけてると思う。  でも、今は俺がいるから。  旭輝は自分のことよりも俺のことを大事にしちゃうから、それがけっこう心配で。  もっと俺のこと放っておいていいよって、思う。  全然さ――。 「いらっしゃいま、…………」  言葉が止まっちゃった。 「こんばんは」 「……直樹」 「ごめん。また、来て」  こういう展開、苦手だ。 「あ、えっと……聡衣、は」 「学校の先生になったんだね」 「あ、あぁっ、そうなんだ、イタリア行って勉強した。そしたら、なんか、俺って才能ないなって気がついちゃってさ。逆に日本にいる才能のある卵を育てる側の方がいいんじゃないかなぁって思って」 「へぇ」  どういう顔をしたらいいのかわかんない。 「いい経験になったし、今は講師として、若い人材を育成していくことにすごく意義を感じてる」  そう、そういうとこが好きだった。  俺と同じくらいにさ、ファッションに真っ直ぐ向き合ってるとこ。全然、立ち位置が違うんだけど、それが逆に楽しかった。売る側と作る側で、いろんな意見言い合いって、あーでもない、こーでもないって夜遅くまでファッションの話で盛り上がってさ。  そういうの、楽しかった。 「今は、聡衣は、バイヤーなんだな。セレクトショップの経営なんてすごいな」 「あー、うん。オンラインがメインなんだけど。ここは支店で。メインのオーナーに店舗としてもやらせてもらってる」 「へぇ、聡衣はセンスあるからな」  そう、いつもそうやって褒めてくれた。 「ずっと、ここに? こんな近くにいたんだな。知らなかったよ」 「……うん」 「今日はそろそろ閉店か?」 「うん」 「じゃあ、この後、」 「ずっとっ、じゃないよ」 「……」 「パートナーが転勤で、それで一緒にこっちに来た」 「……ぁ」  直樹が、カウンターに置いた俺の手を見て、見つけた。薬指の指輪を。 「だから、彼がまた別の場所でってなったら、きっとついてく」  直樹には、ついていかなかった。それが国内だろうと、今みたいに、お店を一つ任されていたら、そのお店に、毎週のように通ってくれる常連さんがいて、季節が変わる度に、新着楽しみにしてくれるお客さんがいてくれたら、俺はきっとお店があるからって、そこに残ってた。 「そっ……か……そうだよな。何年前の話してんだ、って感じだよな」 「……」 「まさかもう一回会えるなんて思ってなくて、舞い上がった。もう何年も前で、聡衣、こんなに綺麗なんだから、そりゃいるだろ。パートナー」 「うん」 「……」  やっぱ、すごい苦手。 「俺も、今、代理講師だから、これ、終わったら、また海外行こうと思ってたんだ」 「そうなんだ」 「ダメもとでって、思ったけど、完全無理だったな」 「……」  二人とも、少し、黙っちゃった。  小さなお店の中に、息詰まるくらいにぎゅうぎゅうに何かがいっぱいになってる。 「……ありがとね」 「え?」 「あの時、海外、一緒に行ってくれないかって言ってもらえて嬉しかったよ」 「!」 「けど、あの時は、自分の仕事がすっごい大事で、行けなかった」  寂しかったし、悲しかった。すごく好きだったから。 「今は、きっと彼について来て欲しいって言われたら、どこへでもついてく」  言葉がわからなくても、めちゃくちゃ寒いとこでも、めちゃくちゃ暑いとこでも、どこにだってくっついてく。 「そっか」 「うん」 「そっか。なんか、そっか……おめでとう」 「うん」  だから、やっぱ苦手。  あんなに好きだったし、きっと、俺の過去の恋愛の中で一番、キラキラしてたんだ。  でも、今は旭輝が一番で、今、旭輝といる時間が一番キラキラしてて、幸せで。  ぜーんぶに「だった」がつくっていうのが、ぜーんぶが思い出になっていて、なんか、苦手。 「ありがと」  キュッと手を握り締めたら、薬指の指輪がきらりって、光った。

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