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Chapter1-2

 恋人に堂々と浮気みたいなことをされて、それを止めることもできず、受け入れなければならない今の自分は惨めで仕方がない。  あまりの気恥ずかしさに早苗は、どうにかなってしまいそうだ。  そんなことを考えていたせいで、テーブルに残されたケーキに手をつける気にもなれず、ただ時間だけが刻々と過ぎていった。  あまり大きくない喫茶店のため、カウンターにいる店員が時折、心配そうにこっちの様子を伺っていることには気が付いていた。  しかし、今の早苗にはテーブルに落ちた数滴の涙を拭う気力さえない。  必死に湧き上がる全ての感情を抑え込み、理性を取り戻そうと深く息を吸う。そうすると自然と視線はテーブルの上に移動した。  あれから結構な時間が経過していたようで、グラスの中にあった氷は跡形もなく姿を消し、その周りには結露が滴って大きな水たまりを作っていた。  早苗の頼んだアップルパイに添えられていたバニラアイスもドロドロに溶けて、パイ生地がそのほとんどを吸収してしまっている。本来ならばサクサク食感のだったろうそれは、今や見るも無惨な姿に変貌していた。  お気に入りアップルパイを台無しにしてしまった上に、残すのは忍びないとは思うが、今はどうにも食指が動かない。  それでも、無理してでも食べるべきかどうか考えあぐねていると、テーブル挟んだ向こうに誰かが腰を下ろした。  もしかして考え直した京介が戻ってきてくれたのか、と僅かな期待を持って視線を上げるが、そこに居たのは思い描いていた人ではなく、早苗をさらに落胆させる人物であった。 「こんにちは、早苗くん。久しぶりだね」 「どうも……」  その人――小松俊哉は断りもなく早苗の向かいの席に腰を下ろしただけではなく、さも当然のことのように近くにいた店員にコーヒーを注文した。 「1人?」 「そうです」  テーブルの上を見てそんな質問をするあたり、彼はなかなかいい性格をしている。 「暇ならさ、俺とデートする?」 「お断りします」  あまりに軽率に誘ってきたことに腹が立った早苗が間髪入れず断ると、俊哉は目を丸くして驚いていた。まさか誘いを断られるとは考えてもいなかった、とでもいいたげな様子だ。その自信が何処から湧いてくるのか聞いてみたいところであるが、これ以上会話を続ける気がなかった早苗は口を閉じて、目の前の人物から視線を外した。 「つれないなあ。早苗くんに足りないのは可愛げだと思うんだよね」  が、俊哉は早苗がどう反応しようと、話しかけるのをやめるつもりはないらしい。 「別に俊哉先輩にどう思われようと、正直どうでもいいので」 「うわー……。流石に傷つくよ、それは」 「すみません」  つっけんどんに返したものの、眉尻を下げてしゅんとする俊哉見て流石に言いすぎた、と思った早苗は素直に謝罪の言葉を口にする。 「まあ、いいけど。普通、オメガの子といったら、有能なアルファとは仲良くしておかないと! とか思うんじゃないの?」 「特にそう考えたことはありません」 「ふーん……。あ、このケーキもらっていい?」  早苗の回答に対し訝しげに相槌を打ちつつ、京介が手を付けなかったケーキを指差して俊哉はそう言った。  早苗が無言で頷くと、彼は上機嫌にケーキを口に運ぶ。いくら口を付けていないからと言っても、他人が残していったケーキなんて普通は食べようとなんてならないだろう。  そんなことを考えていたせいか、早苗は無意識のうちに、まるで子供のようにケーキを頬張る俊哉をじっと凝視していたようだ。  視線に気がついた俊哉は、フォークに1口分のケーキを乗せ、早苗の眼前に差し出した。所謂、「あーん」と言うやつだ。  恋人である京介とすらやったことがないことを、赤の他人と言っても差し支えない相手としなくてはならないのか。早苗が断るジェスチャーをすると、俊哉は残念そうに腕を引っ込めた。 「なんだ。物欲しそうな目で見てたから食べたかったのかと思ったよ」 「いえ。いくら手をつけていないとはいえ他人が残した物をよく食べれるな……と思っていただけです」 「さっきまでここにいたのって、どうせ京介でしょ?」  この兄弟に監視でもされているのだろうか?  ふと、そんな疑問が脳裏に浮かぶ。 「そんな目で見ないでよ。ちょっと考えれば予想くらい簡単にできるんだから」  早苗の心を読んだかのように、俊哉は慌てて否定の言葉を口にした。 「どんな推理をしたので?」 「推理なんで仰々しいものじゃないけどね。まず、伝票立てに伝票がないから、早苗くんと一緒にいた人物は先に帰ったことが予測できる。しかも、凄く急いでたんじゃない? コーヒーには飲んだ形跡があるけどケーキには一切手をつけてなかった。よほど余裕がなかったみたいだ」  いつの間にか完食されているケーキの皿を、俊哉が指でトントンと叩く。 「普通なら一緒に店を出るか、最低でも自分の分は完食してから行くんじゃないかな? そう考えると、ケーキだけじゃなくコーヒーもほぼ手付かずで帰るようなそんな振る舞いをする人物、って考えると自ずと答えは出るよね。君の恋人、須田京介だって。それからもう1つ、この推理を裏付ける理由として俺の携帯にさっきから京介から何件も着信が入ってる」  そう言って俊哉は早苗に携帯の画面を見せた。その間にも、京介からの着信が俊哉の携帯に届く。 「出ないんですか?」 「出ないよ。どうせ小言しか言われないもん」 「オレたちは、また、あなた達兄弟のいざこざに巻き込まれたって事ですね……」 「そういうことになるかな、ごめんね。――にしても、京介も酷い男だよね。いくら伊織からの呼び出しがあったからって、早苗くんをこんな形で置いていくなんて。そんな扱いを受けても、京介と付き合っていられる早苗くんは本当に懐が深いね。……それともそういう趣味があるとか?」  俊哉の発言に対してモヤモヤとした感情が生まれる。この兄弟に振り回されているというのになんでそんなことを、巻き込んだ側の人間である彼に言われないといけないのか。 「失礼なことを言わないでください。そもそも、俊哉先輩がもう少し伊織先輩の扱いを改めてくださったらそもそもこんなことにならないと思うのですが……」 「まあ、君からしたらそう思っちゃうよね。でも、悪いけど俺は伊織に対しての振る舞いを変えるつもりはないよ。俺は、伊織を抱くことは出来ないからね」  暗に京介と伊織の間に肉体関係がある事を仄めかされて、早苗の心はチクリと痛んだ。それは今まで早苗が、気が付かない振りをしてきたことだった。 「伊織先輩は、俊哉先輩の『運命の番』じゃないんですか?」 「それは伊織が勝手にそう思ってるだけだよ。その証拠に俺はアイツに兄弟以上の感情は抱いてないし、それ以上の関係も望んでない」  と、そう言いきった。

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