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1-安藤
ある日を境に俺のつまらない人生は簡単に終わりを迎えた。理由はいたって簡単。出勤すれば大体掃除機をかけているあのにーちゃんの存在だ。
「おーはよ。今日も朝っぱらからすげぇなアンタ」
「あ?何だテメェ近寄んじゃねぇよボケが」
「なぁなぁそこまでコード届かなくね?こっち使った方が一回で出来んぞ」
「人の話聞けっつの!!」
今までは気に留めた事も無かった清掃員だが、数日前に突然俺を使って澄晴を呼びつけたコイツは多分最近入ったばかりの新人だ。年寄りだらけの中でこんな若い男が居りゃ、いくら興味なくても目に付くだろうしな。
俺達が出社する前から事務所の掃除を初め、始業すれば廊下や階段掃除に明け暮れる。働き者のソイツをたまに見つけた時はこうして声を掛けるのだが、いつどのタイミングでどう声を掛けたっていかんせん口が悪い。しかし、俺の言う事に全く耳を傾けないという訳でもない。
「…うわ、挿し代えてねぇのにこっちまで届く」
「だろー?」
「……うざ」
とまぁこんな具合に。
そして俺は、こういった有益な情報を教える見返りに何を求めるという事も無く、ぎゃふんと言わせたいという事も無く、ただ一つだけ楽しみにしているものがある。それが──。
「勤務中なのにフラフラしやがってほんっとカス以下だな」
「俺安藤って言うんだけどさ、お前なんつーんだよ教えろよ」
「人の話を聞きやがれ!テメェに名乗る名はねぇよゴミ!」
「だから俺テメェでもゴミでもなく安藤だってば」
「んがあぁあうるっせえ!」
俺を相手にしておきながら物怖じしないこの態度。αじゃない事は明白なのに、媚びうってきたりヘコヘコしたりしないんだ。本当に、人生で初めて出会うタイプの奴だった。
毎日ギャンギャン煩いし暴言吐き散らして何処かへ行ってしまうけど、そんなのは俺の知った事ではない。
平和なβや健気なΩ、その時毎に求める人柄というのは違っていて、ほんの短期間の付き合いを持った人間は星の数ほど居る。そして今、俺の標的になった人間がコイツだったというだけだ。
だって新鮮じゃん。人の顔見りゃポンポン汚い言葉が飛び出してくる、それなのに案外気が済むまで相手してくれるんだから。
「んおっ、名札付いてんじゃん。なになにー、ヤマダ?」
胸元にきらりと光るそれを見つけ、何の気なしに手を伸ばしたその時だ。
「触んなッ!」
「………わり…」
暴言こそ吐いても手は出さなかったソイツ…基、ヤマダは音を立てて俺の手を跳ねのけた。その上突然の事で驚き呆然としている俺をよそに、さっさと立ち去ってしまったのだった。
手の甲からは、先程爪が引っ掛かったのかジワリと赤い血が滲む。微かな痺れを覚えつつも晴れない疑問に頭を悩ませ、オフィスへと戻った。
まさか女だった?胸触られると勘違いしたとか。……いやぁまさかな。どこからどう見ても男でしかないだろアレは。なんて、呑気な事を考えながら。
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