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1-澄晴
最悪の状況からは脱したとはいえ、そう毎日定時に帰る事が出来る筈も無く。一通りデスクの山を片したところで首を回した。
以前と変わったと言えば、安藤をはじめ仲の良い同期たちが手伝ってくれるお陰で他の部署の人間よりは早く切り上げられるってところだろうか。
だからと言って明るいうちに出られるわけではない。今日に限って急ぎの案件が来てしまいこのざまである。
ただでさえ来碧さん…そろそろアレの時期なのに。早くそばに行ってあげないと、辛いのは来碧さんなのだから。
慌ててPCを落とし、オフィスの扉を開いた。すると、作業服から着替えたのか私服姿の――山田さんが突然目の前を駆け抜けた。危うくぶつかる所だったので、こちらは盛大にドアノブに腰を抉られて散々だ。
いくら定時を過ぎて人が少ないとはいえ誰も居ないわけじゃないんだぞ。急いでいるのかもしれないが、マナーは守っていただかないと怪我人が出てからでは遅い。だが、意を決して呼び止めようと足を踏み出したその時。
「お?なんだ~コレ、見慣れねえ箱」
俺より少し前にオフィスを出た別部署のαは、廊下の隅に転がっている小さな箱を手に取った。関わりこそ無いが、社内でもひときわ目立つバリバリキャリアの先輩故話にはよく出るし、可能ならば話したくない俺の苦手な部類に入る男。
そんな奴の掌に収まるそれは、いつか俺が道具入れの前に置き去りにしたあの抑制剤のパッケージだった。
山田さんが蒼い顔をして走っていたのはそのせいだったのか。そりゃ大切なものだもんな、もし失くしたまま発情期が来てしまえば大変な事に──。
って、待って待ってダメダメダメ!!嘘だろ、それを取り返すって事はすなわち自らΩ性である事を公言するようなものだ。
ただでさえこのフロアはαしか居ないというのに、嫌でも仕事でここを掃除しないといけない君が何自分から袋のネズミ状態になる危険を犯しているんだよ!!
「先輩!すみません、それ僕がさっき落として──っ」
「俺のだ!触んじゃねぇクソα、さっさとこっちに寄越しやがれ!」
あぁ~言っちゃったよ……遅かった。
自身の判断のノロさに後悔する間、背中を伝う嫌な汗は止まらない。
俺は知っている。Ω性である事を周りに知られたのちに起こる惨劇を。
いくら強くても、集団のαに敵う訳が無いという事。
そして、深く癒えない傷を心に負ってしまう事も。
「は?あんた確か掃除の……」
「Ωが清掃員で悪いか。もう一度言う、さっさとソレを寄越せ」
だが、
「悪いとは言ってないだろ。ほら、もう落とすなよ」
下の名も知らない先輩は、彼の暴言に少しも嫌な素振りを見せる事無く何ともあっけなく箱を返したのだった。
けれど、踵を返して立ち去る間際に見えた、嫌な予感を思わす不敵な笑みは
恐らく気のせいでは無いだろう。
箱についた埃を払う山田さんと目が合う頃には、既に当初の目的であった「廊下は走るな」などという説教文句はすっかり頭から抜けていた。
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