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1-澄晴

「や…山田さんっ!待ってください!」 「は?……テメェかよまた残業か?」 「うぅ…」 見るからに呆れ返った表情で、山田さんは振り返る。名乗ってもらった事は無いが、こうして無事呼び止められたという事は安藤の仕入れた情報は正しかったという事だろう。 まあ恐らく彼自身も情報元に心当たりはあるらしく、特に何も問われずその場にいてくれた。 「…今の、良かったんですか」 「何がだよ」 「いやだから…αに抑制剤が自分のものだなんて簡単に教えてしまって……」 俺が後ろから声を掛けようとした所を見てはいなかったのだろうか。これでも自分の中では声を張り上げたつもりだったが、俺の声量が虫けらレベルだったのかそれとも…山田さんも相当焦っていたのか。 そもそも俺が箱ごとではなくシートのみ置いていったなら、まだ少しは引っ掛かりが出来てポケットから落とすなんてミスも起きなかったかもしれない。こうなってしまったのは、少なからず俺の責任でもあるだろう。 「お前俺の事ナメすぎ。俺は強いよ、多分お前とタイマン張っても勝つ自信ある。それにお前が俺にくれたもんだ。アレはもう俺の物なんだよ」 「でも、だからって」 それ以上話をするつもりは無いらしく、先程の全力疾走で乱れた髪を手櫛で梳かし始める山田さんは舌を打ってエレベーター方面へと足を進めた。 いくら体力に自信があったって、αが複数集まればそう簡単に払いのけられるものではないという事くらい流石に誰でもわかると思う。 それでも他人に頼ろうとしないその姿勢は、今も家で俺を待ってくれているであろう最愛の人とどうしても重なってしまうのだ。 「おい。お前今帰りだろ、俺もエレベーター乗せてけ。チクったらぶっ殺すからな」 「……別に言いませんよ。僕と二人きりになって怖くないんですか」 「だってお前は番がいるんだろ」 「そう、ですけど…」 しかもエレベーターなんて、扉が開くまで逃げ場もない小さな密室で。 そういう油断こそが身の危険に繋がるのだと、山田さんはもう少し自覚を持った方が良いんじゃないか。 例えば俺が、本性を隠しているだけの傲慢なαであればどうする気だったのだろう。閉じ込められその場で襲われ、いつの日か山田さんに言われた冗談のように第二夫人とされる可能性だって…。 って、そんな事他人の俺が口を出すもんじゃないか。 山田さんがそういう生き方を選び、ここまで生き抜いてきたというのなら 俺は他人らしく見て見ぬふりをするしかない。 同情で番になれるわけでもあるまいし。 ちくりと痛んだ胸を深呼吸で誤魔化し、エレベーターが開いたと同時に小走りで立ち去る背中を見送ったのだった。

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