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5-山田
息をするだけでも、安藤の匂いが身体に入り込んできて、熱くて。
そのうち足取りまでおぼつかなくなって、非常階段にたどり着く頃には安藤の腕へ縋り付いていた。
「あ…っあんどぉ……はぁ…」
まだ記憶に新しいその場所で、俺たちの乱れた息遣いだけが響く。
安藤は片手にコーヒーを持ったまま、袖口で鼻を覆う。
「……手、離してくんね?」
「離したらお前…どっか行く……?」
「正直…早く戻りたくはあるかな」
振り返りもせず、安藤は静かに呟いた。
その声色は震えていて、今までに聞いた事もないくらい弱々しい。
俺はただ、ハンカチを返したかっただけなんだ。
それなのに、また安藤に迷惑をかけた。
きっと安藤、口ではああ言ってくれたけどΩだって知って避けてたんだろ俺のこと。どうせαだもんな、Ωとこれからも関わり続けようだなんて普通思わねぇよ。
それでも、またこうやって俺を助けてくれた。
一人じゃあのまま誰かに見つかって、襲われていたかもしれない。安藤って、本当はすごく…残酷なくらい優しい。
そんな安藤の事、俺…多分──。
「ごめんな、安藤……おれ、が…こんなだから……っ、Ωだから…」
「泣くなって。…また匂い濃くなってる」
「……ぁ、ごめ…」
その時、ふと思い出したのは胸元の微かな重みだ。あの日とは違う。俺、安藤に迷惑掛けなくていいんだよ。
抑制剤持って来てるよ。安藤の事、苦しいまま引き留めないよ。すぐに治るから、だから…もう少しだけ……。
「…ここに、いて」
「………うん」
安藤は、黙ってその場に腰を下ろした。後ろを向いたままだけど、俺が握った手を振り払おうとはせず、一口啜ったコーヒーを置いて、窮屈そうにズボンのウエスト部分を気にしている。
キツいのかな。そりゃ辛い、よな…。
前よりずっと距離も近くて、多分だけど、俺の匂いも強くなってる。どうしてなのかはわからないけど。
…とにかく薬だ。早く、飲まないと。
作業着のチャックを開き、中に着ていたVネックの更に奥に入れ込んであったチェーンを引っ張った。肌まで敏感になりやがって、安藤がすぐ近くに居るのに変な声まで出そうになって。
「…ッ、ん」
息を止めることで何とか堪えた。
と、思ったのは俺だけだったらしい。
「…何の声、今」
「あっ、薬……出してて、その…」
安藤の呼吸は、どんどん浅くなっていく。ついに離された指先は、彼の口元でガジガジと歯を立てられていた。
「早くしろって。…コーヒーしかねーけどコレで飲んでいいから」
必死に抑えているのが伝わって、優しさが、強さが、友達として俺を想ってくれてんのが痛いほど伝わって、涙がこぼれた。
「…ん、ごめん……っ、」
俺、安藤の事が好きだ。
それなのに、苦しめてばっかりだ。
何なんだよ…この身体。
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