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5-安藤

終業時間を過ぎても終わる気配のない仕事は、更に俺に追い討ちをかけた。 徐々に遠ざかる同僚達の話し声と、深い紫色に染まっていく空。あっという間に室内は俺と澄晴2人きりになってしまった。 「珍しく他人の仕事まで引き受けるからこうなるんだろ。ちょっと貰うよ」 「ん…あー、悪い。来碧ちゃん待ってんじゃねーの?」 「今日は遅い日だから、いつ帰っても変わらない」 「……あっそ」 隣の男は、りゅうから預かったという物を寄越して以来初めて俺に声をかけた。まず間違いなく幻滅されているだろうと思ったので、手を貸してくれるのは意外だった。 「ここ最近忙しいフリをしていたのは、山田さんに話し掛ける隙を与えないためか?」 忙しいフリって何だよ。しっつれーな奴。 俺は真面目に仕事して、まっとうな理由で忙しかっただけですー。 黙って睨みを効かせてやると、澄晴は一瞬びくりと肩を上げたが、すぐに持ち直して淡々と続けた。 「いや…だって安藤は普段もっと要領が良いだろ。俺なんかと違って、仕事も早いし効率の良い動き方だってできる」 「何お前。俺のストーカー?」 「違う」 仕事を手伝わせておきながら、素直な褒め言葉に対して悪態を吐くなんて最低野郎だ、俺は。そう…最低なんだ。大事だって、もっと仲良くなりてーって思った相手にすらあんな態度取るしかないくらい、最低で最悪な“クソα”。 「尊敬してるんだよ。安藤は器用で何でも出来るし、女性との関わり方だって上手いし…」 「女の扱いに慣れてたって、相手がりゅうだと全部わからなくなる」 テープも剥がさないまま引き出しに突っ込んだ、小さな赤い紙袋を取り出した。昨日までそんな事無かったのに、今日はやたらと話しかけてこようとしていた理由は…もしかしたら、コレだったのかな。 朝から何度、りゅうを見つけては別のルートを探して遠回りしただろう。何度呼ばれかけて、気付いてない振りをして、反対方向へ足を進めただろう。 昼休みは油断していて、ばっちり対面した時にはやべーなって思った。 そしたら案の定、りゅうはまたおかしくなって。 「俺の顔見ただけであんな風になるりゅう、見てらんねーって。本能に引っ張られてるなんて知らねーんだろうな」 「…そう、なのかな。俺には2人、すごく仲が良く見えたよ」 普通に考えて、それしか考えらんねーだろ。そうでなきゃ、りゅうみたいな奴が急にあんな…自分から迫って来るなんてあり得ない。 運命の鎖に縛り付けられ、本能に洗脳された事で生まれただけの気持ちをりゅうの口から聞くのは耐えられなくて、遮った。 俺は正しい。間違ってない。俺は、傷つきたくない。 封を開けたそれの中身は、先日俺が貸したハンカチだった。そこまでは予想通り。 だが、取り出した拍子に一枚のカードが床にはらりと舞い落ちる。 『ありがとう。お前が友達でよかった これからも仲良くしてもらえたら嬉しい   龍樹』 床を見つめ、手を伸ばした時には既にカーペットへ涙のシミを作っていた。 立ち上がる事すら出来ず、思わずその場で泣き崩れる。 この空間に、澄晴しか居なくて本当によかった。

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