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6-山田
扉を閉めると、安藤は長い腕で俺の身体を丸ごと包み込んだ。甘くて儚いバニラの香りと安藤自身の香りが混ざり、俺を確実に侵していく。
「アイツらに何か…された?」
「っ、何も……大丈夫だから…離せって…」
頼むから。
自我を保てているうちに、理性を吹っ飛ばしてしまう前に、俺を離してくれよ。
これ以上安藤に嫌われたくない。Ωの匂いも、発情した自分も知られたくない。
それなのに…突き飛ばすことが俺には出来ないから。安藤がもう一度伸ばしてくれたこの手を、自ら手放す勇気も覚悟もない。
本当に、悪夢みたいな2ヶ月だった。安藤と出会うまで、こんな気持ち知らなかった。元に戻っただけだったのに、全然違うんだ。見える景色も何もかも。
あんな態度を取られたのに、それでも忘れられない。安藤が居ない世界を生きていく自信が、俺には無いんだ。
「もうお前…コレ、ヒート来てんだろ……っバカじゃねーの…危険って、わかんねーの」
安藤の呼吸が浅い。俺にも負けないくらい身体が熱くて、指先の震えを隠すみたいに抱き締める力は更に強まる。
腹の奥が疼いて、安藤の中からαのフェロモンを探し始めていることに気づけば、自分から胸焼けするほど甘ったるい匂いが放たれるのがわかった。
人間というより、もはや獣に近い乱れた呼吸を繰り返していながらも、安藤は俺を離さない。
理性が、もう…限界だった。
この時には既に、胸元に忍ばせた抑制剤の存在など忘れていて、Ωの本能ってやつがひたすらに安藤を求めていたのかもしれない。
「安藤、と…また話せて……うれし、」
首元の締め付けが鬱陶しくて、作業着のチャックを下ろす。途中中指に引っかかったチェーンには気付かぬふりをした。
だって俺は知っている。
薬なんかに頼らずとも、ヒートを抑制出来る一番の方法を。
安藤の大きな背中に腕を回した。
シワ一つない真っ白なシャツは汗で湿り、背中にまで響く鼓動は速度を増して激しく俺の掌を打ち付ける。
「あんどぉ…俺に、したいこと……していいよ…」
首元が、なんて単なる言い訳だ。俺は安藤に縋りつき、自ら頸を見せつけた。
まだ誰にも許していない、傷一つないその部位を。
安藤になら、もう何されてもいいやって
確かに思ったんだ。
だから、いいよ。安藤。
この前みたいに、痛いとか言わない。安藤のしたいように俺を使って。
それが暴力的なセックスでも、ねじ伏せられて歯を立てられるだけでも、受け入れるから。安藤が俺を見捨てずにいてくれたという幸せな記憶だけは、どんな形になろうとも一生存在し続けてくれると思うから。
そう…思ったのに。
「い…いや、だ。絶対……今は、やだ…」
頸を見ないよう目を逸らし、汗で濡れた冷たい手が俺の首を覆い隠す。
拒絶の言葉は悲しくて、切なくて。
報われる事を知らない俺の瞳から、大粒の涙が溢れた。
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