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第22話
何とか声を絞り出すと、将星が自分の言葉に息を飲んだのが分かった。
「今は……考えられない」
やはり番になるなど、簡単に答えを出す事はできなかった。
「そうか……」
将星が目に見えて落胆しているのがわかり、そんな将星を見て胸が酷く締め付けられた。
「てかおまえ、彼女いるだろ」
あの綺麗な恋人の存在を思い出す。
「……別れた」
あまりにもあっさりそう言いのけた将星に、理月はギョッとする。
「おまえと再会して、わりとすぐ別れた。あいつには元々忘れられない奴がいるって言ってたし、それでもいいって言われて付き合ったけど……今思えば、あいつには悪い事したと思ってる」
言い訳のような将星の言葉に、よく知らない彼女へ理月は罪悪感を感じた。
「結局、俺は……理月以外、好きになる事は出来ないって実感しただけだった」
「将星、俺は……番にはならない」
将星の言葉に理月は自分の気持ちの意思表示をきっちり示さないければならない、そう思い将星を真っ直ぐ見ると、そう言った。
「分かってる。理月がオメガであるのを死ぬほど嫌だって事、知ってるからそう言われるのは予想はしてた。ただ、一つ提案がある」
「提案?」
「これは提案っていうより、俺の願望だな……」
将星は少し自嘲気味な笑みを溢し、組まれた手を落ち着かない様子で動かしている。
「どんな形でもいいから、おまえの傍にいさせてくれねえか?」
理月には将星の言っている言葉の意味が、よく分からなかった。
「俺の言ってる事、よく分からないか?」
どうやら顔に出ていたようだ。将星は相変わらず、眉根を下げ、少し悲しげな表情をしている。
「俺はもう、おまえ以外に好きになれる奴はいない。おまえ以外と番になる気はないって言ってる」
そう言って、将星は両手で理月の手を取ると、愛おしむようにそっと唇を寄せた。その言葉に、理月の体がカッと熱くなるのを感じた。
「そ、そんなの! 分かんねえだろ! それに俺は、誰とも番には……!」
「分かってる! だからせめて、傍に……おまえの一番近い存在でいさせてくれ!」
将星は懇願する様に、理月の手をぎゅっと強く握りしめてきた。
「頼む……」
そう言った声は震えていた。
「おまえがヒートで辛い時以外、手は出さない。俺と体を繋げればヒートが楽になるって、おまえも分かったはずだ。理月は俺を利用すればいい」
「利用って……そんな……」
そんな都合のいいように将星を利用することなど、自分にはできるはずがない。
「いいんだ……! 頼む……俺をおまえの傍に置いてくれ……」
キツく閉じた将星の目から涙が溢れた。
「──!」
その姿に理月は息を飲む。喧嘩をすれば容赦なく殴り付け、何の躊躇いもなく腕の骨を折れる男が、自分の事で泣いているのだ。こんな将星の姿を見るのは、きっと自分しかいない、そう思うと腹の奥がギュッっと締め付けられる感覚が襲った。
「将星……」
「三年前のあの日……おまえをあっさり手放した事を、酷く後悔したんだ…………あの後も、何度もおまえに会いに行こうと思った。会って無理矢理にでも首を噛んでしまおうと、そう思うくらいにおまえを自分のものにしたかった。けど、理月の気持ちを無視して、無理矢理番になっても虚しいだけだし、何よりおまえが俺に言った、近付くなら死ぬ、って言葉が頭から離れなかった。きっと本当に死ぬと思ったから……」
そこまで話し、将星は理月の飲みかけの水を口にした。
喉仏が大きく動き、それが妙に色っぽく見え理月はじっと将星に見入ってしまった。
「再会して、夢見てるのかと思った。目の前にあの理月がいる……もう離れたくないと思った。もう理月のいない、あんな虚しくて辛い過去に戻りたくないんだ! 番にならなくてもいい! だから、理月……せめておまえの傍にいさせてくれ……!」
将星はそう言って、抱きしめてきた。
「好きだ……どうしようもなく好きなんだ……俺はもうおまえ以外考えられない……」
将星の腕の力が入り、更にキツく抱きしめられた。理月の手は行き場を失い、宙に浮いた。
(将星……)
胸が締め付けられる。自分も将星に惹かれていない、と言えば嘘になる。オメガの本能が将星を求めている。オメガの本能だとしても、その相手が将星で良かったと思うのだ。
「俺が……オメガだから、オメガのフェロモンに惹かれてるだけじゃ…………」
「それは、否定できない……けど、俺はそれでもおまえを好きになれて良かったって、思うんだよ。それに……俺は、おまえ以外のフェロモンに惹かれた事がないんだ」
それは、将星にしか反応しない自分と同じだった。
(仮の番……)
その言葉が不意に浮かぶ。
だが、
「理月、俺はおまえが運命の番だと思ってる」
将星はそんな事を恥ずかし気もなく言って退けた。将星の言葉に思わず苦笑が漏れる。
「はは……っ! どんだけロマンチストなんだよ……」
そんな揶揄う理月の胸に、将星は子供のように顔を押し当ててきた。
「初めておまえを見た時から、俺は何か感じたんだよ。事実、俺はおまえ以外興味ないし、欲情もしない」
気のせいじゃないのか? 体を繋げたから、そんな風に思ってしまっただけなのでは? そんなもの後付けの理由だろう。
理月の思考にはネガティブな言葉しか浮かんでこなかった。
(きっと、こいつは勘違いしてる……)
自分の手首を噛んだ事で、自分と将星の間に仮の番として契約が結ばれてしまった、瓜生が言っていた仮説がここにきて信憑性を帯びてきてしまった。
仮の番になり、互いのフェロモンにしか興味を示さなくなってしまった。
その仮説が理月には酷く残酷に思えた。
仮の番の話を将星にしたら、どう思うだろうか。それでも自分を好きだと運命の番だと言ってくれるのか?
だが理月は言えなかった。
仮の番の話をして、将星が落胆するのは可哀想だから? いや、違う、将星に自分が運命の番だと思っていて欲しいのだ。
その事実に気付いてしまった途端、力が抜けた。
「理月?」
将星に寄りかかる形になると、理月は将星の胸に顔を埋めた。引き締まった硬い胸筋は理月にはないものだ。理月の顔の横に狼の顔が目に入り、それをそっと撫でた。ほのかに柑橘系の香りと先程まで吸っていたタバコの匂いが鼻に付く。その匂いを嗅ぐと、体がフワフワと浮いたような心地良い気持ちになる。それが酷く安心するのだ。
(これが幸せってヤツなのかもしれない……)
不意にそんな言葉が浮かび、その言葉がじんわりと理月の中に染み込んでいく気がした。
それでも安易に、将星の番になる事は受け入れる事ができなかった。アルファは番を変える事ができるが、オメガは一生番を解消する事はできない。番が解消される時は、自分が死ぬか相手のアルファが死ぬかしかないのだ。
やはり、自分の中でオメガとして自覚して生きていく事に抵抗を感じる。将星と番になれば子を作り、家庭を築いていくのだろう。そんな未来が理月にはとても想像ができない。理月にとって、子供を産むという事が、オメガとして全てを受け入れしまう事になると思っている。自分がオメガである事は覆す事はできない。それでも少しでも抵抗したくなるのだ。オメガだって強くなれる、一人で生きていけるのだと、自分自身で証明したい、叔父の自殺を目の当たりにした時からそう思っていた。
だが、そんな自分ですらヒートを前には結果、酷い有り様だ。
「少し……考えさせてくれ……」
理月のその言葉に将星は、分かった、少し悲しそうに言葉を溢した。
「将星の事は嫌いじゃない……けど、将星が俺を思う程の気持ちは今の俺にはない」
将星はゆっくりと優しく理月の背中を撫でると、
「おまえへの想いは、自分でも引く程なんだ。きっと、この先もこの想いに理月の気持ちは追いつく事はないと思う」
そう言って笑いを溢した。
「ただ、一つ約束してくれ」
理月は顔を上げ、将星を見た。
「ヒートで辛い時は俺を呼んでくれ。絶対、他の奴とやるな。じゃないと、俺はその相手をきっと殺しちまう」
そう言った将星の目に、理月は一瞬背筋が凍ったようにゾッとした。きっと本気だ。この将星ならやりかねない、そう思った。
不意に将星の手が伸び、頬を撫でられるとそのままキスをされた。
(一度、先生に相談してみるかな)
将星のキスを受けながら、そんな現実的な事を考えてしまっていた。
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