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第32話

 ヒートの予定日まであと二週間。  クローゼットの奥には将星の匂いの付いた下着や服で巣作りをしたスペースがあり、最近はその巣に埋もれて自慰をするのが日課になってしまっていた。  最初は自分の妙な性癖だと思っていた。だが、それがオメガの習性だと楽人から聞いた時、軽くショックを受けた。自分はオメガなのだと再認識した瞬間であったが、思いのほかショックは最小限だったように思う。それは将星の存在が大きい気がした。将星を思っての巣作りならば仕方がない、そうにまで思えるようになっていた。  オメガである自分を今まで否定し続け、そしてオメガである自分が大嫌いだった。そんな自分を将星は、好きだと言ってくれている。将星がずっと隣にいてくれるのならば、オメガの自分を受け入れていけるような気がしてきたのだ。  正直怖いとも思う。叔父と同じ末路を辿る可能性だってある。だから番になる事だけはどうしても、受け入れられないのだ。  ヒートで将星に抱かれたのは二回。約束通りヒート以外での挿入はしておらず、キスと互いのを抜き合う程度だった。時折、ヒートではないのに後ろが疼く事があったが、そんな事を将星に言えるはずもなく、将星は将星で自分との約束を頑なに守っている。ヒート以外での挿入を嫌がっていると将星は思っている。自分が嫌がる事を決してしない男だ。将星が無理矢理にでも押し倒してくれれば抵抗はしないと思う。けれど、自ら誘うなど自分のプライドが許さない。それでも将星はこんな自分といたいと思うのか、いつかそんな自分に嫌気がさすのではないかと不安に駆られる時がある。もっと素直になれればいいのだが、いかんせんこの性格だ。理月にしてみれば、かなりの勇気がいる。  いつも将星の匂いの付いた服や下着に埋もれながら自慰をしているなど将星が知ったら、どんな顔をするのか。将星はおそらく気付いているかもしれない。理月のアパートに来る度に服が消えるのだ、気付いていないはずはないだろう。寧ろわざと服を置いていっているのかもしれない。気付いていながらも理月の性格を汲んでいるのか、それを言おうとしない将星の優しさを感じるも、逆に言ってくれれば開き直って普段言えない事も言えるかもしれないとも思う。そこは将星の優しさというより、自分に嫌われたくないヘタレさが出てしまっているのかもしれない。  (ヘタレめ……!)  そう内心悪態を吐きながらも慰める手は止まる事はなく、将星に触れられている事を想像する。最後は将星の匂いの付いたシャツを大きく吸い込むと理月は精を吐き出した。  その日、大学に行くと専攻しているスウェーデン語の教授から、スウェーデンにある大学への留学の話を持ちかけられた。交換留学で期間は二年。向こうの大学で卒業する形になるという。自分はオメガであると教授に告げると『そんな事は関係ない。スウェーデン語を真剣に学びたい人間に行ってほしい』そう言われた。教授は叔父の絵本の事は知っていて、いつもその事を気にかけてくれていた。凄く興味深い話だと思った。  真っ先に浮かんだのは将星の事だ。この事を将星に伝えたらなんと言うのだろうか。二年も待ってくれるのか、それとも自分もスウェーデンに行くなどと言うかもしれない。  教授には少し考えさせてほしいと告げた。  午前中で授業が終わり、日用品を購入しようと大学近くのスーパーに寄った。  最近、将星が理月のアパートに入り浸る為、何かと日用品の減りが早い。そしてヒートになれば暫く家からは出れなくなる。その為に食材やら日用品を今のうちに買っておかなければならない。そして、ヒートに向けて将星も暫くは理月のアパートにいる事になるだろう。  カゴにカレールーを入れる。無意識に中辛を選んでいる自分に苦笑する。理月は辛い物が好きだが、将星は見た目に似合わず辛い物が苦手なのだ。  ひと通りの買い物を終え、スーパーの出入口に向かうと見覚えのある女性が店内に入って来るのが目に入った。  (!! 将星の元カノ……)  気付かない振りをしてその場を立ち去ろうとしたが、目立つ容姿の理月に元カノ……加奈子は気付いてしまった。少し驚いた表情を浮かべたものの、すぐに穏やかな笑みを向けこちらに近寄ってきた。理月から妙な汗が流れる。話しかけないでほしいと願ったが、それは叶わず加奈子は、 「あなた、将ちゃんの……」  話しかけられてしまった。  仕方なく理月は頭を下げると、その場を立ち去ろうとしたが、 「待って! 聞いてほしい話があるの。この後少し時間ないかしら?」  自分には話す事はないし、その話とやらは聞きたくない。絶対いい話でない事が容易想像できた。だが、理月も加奈子に、もう将星に近付かないで欲しいと一言言いたい気持ちもあった。 「……分かりました」  理月と加奈子は目の前にあるコーヒーショップに入ると、小さいテーブルを挟み向かい合って座った。 「急にごめんなさいね。あそこの大学生だって聞いたから、あのスーパーに通っていればそのうち会えると思っていたの」  加奈子は穏やかな笑みを浮かべ、そんな事を言った。理月はそんな彼女の行動にゾッとしつつも、何とか顔に出さないよう耐えた。  (将星のやつ、大学まで教えてたのかよ……)  将星に苛立ちを感じ、小さく舌打ちをした。 「理月くん……? で、よかったかしら?」  コクリと頷き、コーヒーを口に含むと加奈子もまたブラックのアイスコーヒーに口を付けた。 「話ってなんすか?」 「君……オメガなのよね?」  いきなりの不躾な質問に理月は思わず加奈子を睨んでいた。だが、加奈子はそんな理月の視線を気にする様子もなく、コーヒーをすすっている。 「いいよね、オメガってだけでアルファ誘惑できて」  悪びれる様子もなく加奈子はそう言った。 「私もオメガだったら、将ちゃんに振られる事なかったのかな?」  加奈子の言葉に苛つき過ぎて言葉が出ない。男だったら間違いなくここで殴り飛ばしていただろう。 「何が言いたい? なんなんだ、あんた」  ギロリと青い瞳を向けてみるも、全く加奈子には通用しないようだった。 「将ちゃんって優しいでしょ?」 「……」  それに対して理月は返事をしなかった。将星が誰にでも優しい事など分かっている。だからなんだというのだ。加奈子が言いたい事が全く伝わってこない。 「あなた、将ちゃんと向き合っているの? 番にはならないって言っているそうね」  相変わらず笑顔を貼り付けているが、そう言った彼女の目は笑っていなかった。 「将ちゃんの子供を産む気がないって事?」 「……それが俺たちの付き合い方だ、アンタには関係ない」  一瞬、加奈子の表情が怒りに変わった気がした。だが、すぐ元の表情に戻りわざとらしい笑みを浮かべると、 「じゃあ私が将ちゃんの赤ちゃん、産んでもいいよね?」 そして、彼女は自分のお腹を優しく撫でながら、 「私のお腹に……将ちゃんの赤ちゃんがいるの」 そう言った。

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