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第2話
「僕は呪われてるの? 出来損ないなの……? どうして?」
泣きながら家に帰り、母に訊くと、「呪われても出来損ないでもないわ」と母はクロウを抱きしめて言った。
「呪われた子が、傷を癒す魔法を使えるはずがないもの」
世界で母だけが、クロウの味方だった。そして厳しかった父も、クロウを村の皆から守ろうと必死だったことに、そのとき初めて気がついた。酒に酔っても、父は決して暴力は振るわなかったし、クロウから目を逸らしたりもせず、怒りつつも魔法を教えようとしてくれていた。ちゃんと愛されていたのだ。
そして母は、長年の無理がたたってか、去年突然倒れたかと思うと、クロウを残してあっさり死んでしまった。いくら治癒魔法があっても、死人を生き返らせることはできず、クロウは自分の無力さを呪った。
基本的な魔法が使えないクロウのそれからの生活は、過酷だった。生活の基盤が魔法で賄われているこの村には魔法以外の動力のついた設備もなく、火を熾すには火打石が必要で、水も崖下の川から汲んでこなければならなかった。さらには母の遺してくれた蓄えも徐々に減っていき、食べていくには働かなければならないのに、だれも雇ってはくれず、この一年、自給自足の生活が続いていた。
おまけに二年ほどまえから原因不明の頭痛に襲われていて、慣れたとはいえ常に体調は最悪だった。
この先もこの調子でずっとひとりで生きていかなければならない。
それを思うと、クロウは絶望に打ちひしがれた。今日までなんとか生きてこられたのは、ひとえに両親の墓守をしなければという責任感からだった。
だから、今日ヴィシに生贄にすると言われたとき、クロウは少し安堵した。
この虚無な生活から、ようやく解放される、と。
「……もう、僕のことを心配してくれる人はいない。だったら、もういいじゃないか」
しかし同時に、哀しくもあった。
――いつかあなたを愛してくれる人がきっと現れるわ。
母はいつもそう言って、クロウを抱きしめてくれていた。クロウもいつかそんな人が現れてくれるかもしれないと、希望を抱いていた。
だが、それももはや夢と消えた。
あとほんのひと月足らずで、クロウは死ぬ。荒れ狂うイオナド山の頂で、たったひとり朽ち果てる運命なのだ。
ヴィシは悔いのないように生きろと言ったが、クロウの人生はすでに悔いだらけだ。今さらどうやって悔いを晴らすことができるというのか。
「せめてこの癒しの力が役に立っていたら、少しは村のみんなにも認めてもらえていただろうか」
考えようとして、クロウはやめた。傷を癒せたとしても、きっと呪われた子に治癒をしてもらうのを皆が嫌がるだろう。
長くなっていた黒い髪を鋏でジャキジャキと切りながら、クロウは鏡に映る自分を睨む。
――いっそ生まれてこなければ。
両親を殺したのは自分だ。父も母も、自分がいなければ長生きできただろうに。
「こんなふうに死ぬのなら、おまえなんてはじめから生まれなければよかったんだ」
しかし、目元は父に、鼻や口元は母に似た自分の顔を憎めるはずもなく、ふたりの面影に、クロウはただただ涙した。
「それでは、行ってまいります」
今まで関わりのなかった大人たちに取り囲まれるように山の中腹まで連れていかれたクロウは、丁寧に頭を下げ、辞去の言葉を告げた。
数日分の食料と水だけの簡易な装備を背負い、ここからクロウはひとりきりでイオナドの山の頂を目指す。頂に着いたら、神竜が来るのをただひたすら待てばいいとヴィシは言っていた。
「……クロウ、すまない」
彼らに背を向けて歩き出したクロウに、小さなつぶやきが聞こえて、思わず振り返った。こちらを見つめて眉間にしわを寄せていたのは、父と同じくらいの歳の男だった。
謝られても、どう返せばいいかわからない。クロウが黙って会釈をすると、男はぐっと唇を噛み、何かを言いかけて、やめた。
目を合わせてくれたのは、ヴィシに続いてふたり目だ。悪い人ではないのだろうな、となんとなくわかった。
「お元気で」
クロウはそれだけ言って、再び歩き出す。その背にはもうだれも言葉をかけることはなく、こうして生まれ育った村との縁は思ったよりも簡単に断ち切られたのだった。
そして歩くこと半日。
山頂に近づくにつれ、空気も薄くなり、立ち並ぶ木はだんだんと低くなっていく。陽も落ちてきて、辺りは少しずつ闇に呑まれはじめた。しかし幸運だったのは、最近続いていた雷雨が、今日はまったく降らなかったことだ。
「雨の日は特に頭痛が酷かったから、ありがたいや」
山頂まで、もう少し。山登り自体初めてだったクロウにとって、この道程はかなり大変だったが、それもあと数刻で終わる。
そう思った途端、ふと気が抜けた。
ここらで一度休憩して、食事をとってから再び登りはじめればいい。どうせ陽が落ちきるまでには間に合わない。
休むのにちょうどよさそうな岩を見つけて、クロウはそこへ歩み寄ろうとした。
そのときだ。ぎゃあぎゃあとけたたましく鳥の鳴き声が辺りに響いた。びくりとしてそちらに目を遣ると、餌でもあるのか鳥たちが一ヶ所に集まって、騒ぎ立てている。
気になって覗きに行こうとしたクロウの頬に、ぽたっと冷たいものが当たった。
「雨……?」
慌てて空を見上げるが、頭上に雲らしきものはなく、どうやら天気雨のようだ。天気雨ならすぐ止むだろうと気に留めず、クロウは鳥たちの傍へ近づいた。
動物の死骸か何かだろうと思って油断していたが、クロウに譲るように鳥たちが羽ばたき、そこに現れたものを見て、クロウは思わず「ぎゃっ」と悲鳴を上げた。
「に、人間……?」
岩に寄りかかるようにして倒れていたのは、大柄な男だった。
線の細いクロウと違って、身体つきもよく、顔も彫りが深く整っている。しかも、見たことのない金色の髪だ。服装はガルズ村の服と似ているが、襟や袖に施された複雑な模様の刺繍は、この世のものとは思えないほど美しい。アレスの人間ではないのだろうかと訝しみながらも、クロウは男に駆け寄って膝をついた。
胸が上下しているのが見え、死んではいないようだとほっとしたのも束の間、よく見ると腕に大きな傷痕があり、大量の血が流れていた。
「大丈夫ですか!?」
声をかけて男の身体を揺すると、「うっ」と呻き声を上げて、彼の目が開かれた。
ばちりと視線が合い、その瞬間、クロウは見惚れた。金色の髪も美しいが、それ以上に彼の瞳に魅入られたのだ。
硝子玉のような、宝石のような、赤い瞳。
「わあ」と思わず声を上げると、男はその美しい目をギッと睨むように細め、クロウの手を跳ね除けた。
「だれだ、おまえは」
顔に相応しい低く張りのある声で、男が訊いた。その途端、頭上で激しい雷鳴が轟いた。天気雨だったはずなのに、暗い雲が集まってきたかと思うと、土砂降りの雨に変わった。しかし不思議なことに、防ぐものもないはずの男とクロウには、雨粒ひとつ当たらない。
男の防御魔法か何かだろうかと驚くが、雨は避けられても、頭痛までは防げないようで、痛み出したこめかみに、クロウは顔を歪めた。
「だれだと訊いている」
答えないクロウに、男が苛ついたように再び問うた。まっすぐに見つめられ、どきりと心臓が高鳴る。
この男は、クロウの髪も瞳も恐れていないようだった。
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