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第4話

 言うや否や、彼の背に金色の翼が現れた。そしてクロウを抱いていた手はメリメリと音を立てて大きくなり、キラキラと輝く鱗が肌を覆っていく。その片手にぎゅっと身体を握られ、動けないまま、クロウは彼が変身していくのを見つめていた。  やがて、彼は家一軒分ほどの大きさの竜になった。  ヴィシが言っていたとおりの、黄金竜だ。  ――ああ、自分はこの神竜に食べられるのか。  クロウは諦めに似た気持ちで、身体の力を抜いた。だが、不思議と恐怖はない。それは、目のまえにいる神竜があまりに美しかったからだろう。  彼に食べられ、彼の一部になるのなら、悪くない。  そう思ってしまったのだ。 「バラウル様。どうか僕を食べて、お怒りをお収めください」  祈るようにクロウは言った。  最後に治癒魔法も役に立った。ほかでもない神竜を癒せたのだ。それだけでも生まれてきた価値はあった。  もう、悔いはない。  そう思って、静かに目を閉じようとしたところで、「馬鹿かおまえは」と身体の拘束が解かれた。えっと目を見開くと、バラウルは元の人間の姿に戻っていて、呆れたようにクロウを眺めていた。 「食べないんですか?」 「だから、さっき言っただろう。俺は生贄など求めてはいないと」  人間を食べるなど論外だ、と怒ったように言われ、クロウは戸惑った。 「えっと、じゃあどうやってお怒りを鎮めれば……」  このままでは、村の役に立たない。一体どうすればいいのかわからず、縋るようにバラウルを見上げる。 「そのことなんだが……」  困った顔で首の後ろを掻きながら、バラウルが口を開いた。  ――このままでは、何もしないまま村へ帰されるかもしれない。もうあの村にはクロウの居場所などないというのに。  バラウルが何かを言いかけたのを遮って、クロウは言った。 「僕を、バラウル様のお傍に置いていただけませんか」  食べられないのなら、せめて身の回りの世話くらいはしなければ、と咄嗟に出た言葉だった。だが、自分でもいい案だと思う。傍にいれば怒りの原因もわかるかもしれない。それを解決するまでは、帰れない。 「おまえ、家族はいいのか。帰れるなら帰りたいんじゃないのか?」  バラウルが訊いた。それに、クロウは首を左右に振る。 「僕の家族は、一年前に死にました。身寄りもないですし、今さら帰ったところで居場所などありません」  正直にそう言うと、バラウルは深刻そうな顔になって、「哀れな子どもだ」と一言つぶやいた。 「僕はもう十八で、先日成人を迎えたところです。子どもではありません」  それをきっぱりと否定して、クロウは言い募った。 「ですからどうか、お傍に」  頷いてくれるまではこの場を動かない、と意気込んでまっすぐに見つめていると、バラウルは少したじろいだ様子で訊いた。 「おまえ、俺が恐くはないのか?」  何を言うかと思えば、そんなことだ。 「まさか! 神竜様を恐いと思うことなどあり得ませんよ。人間の姿も竜の姿も美しくて、見惚れたほどです。この方になら食べられてもいいと本気で思いました」  胸に手を当て、しみじみと言うクロウを見て、バラウルはぽかんとしたあと、ふっと破顔し、徐々に声を大きくして笑い出した。 「竜の姿で脅せば逃げていくかと思えば、面白いやつだな」  そしてクロウの頭を撫で、言う。 「いいだろう。行く当てがないというのなら、俺のところに来るがいい。ただし、村と違って何もないぞ」 「寝床さえあれば、それで十分です」  許されたのが嬉しくて、クロウはにっと笑みを深めた。  これで、村には帰らなくて済む。それに何より、バラウルの傍にいられる。彼の傍にいると、不思議と頭痛が起こらないのだ。本来の自分を取り戻したような心地がして、気分が安らぐ。これもすべて、彼が神竜だからだろうか。 「これからどうぞよろしくお願いします、バラウル様」  丁寧にお辞儀をしたクロウに、バラウルは頷き、その手を取った。 「では行くぞ、クロウ」  名前を呼ばれた途端、痺れるような甘い感覚が脳を満たす。 「……はい」  そうしてクロウは、食べられることなく、イオナドの神竜、バラウルに仕えることになった。  連れていかれた山頂は、草木の乏しい物寂しい岩場だった。中央が丸く平らになっていて、そこに岩で組み上げられただけの簡素な祠がある。人ひとりが入るのがやっとで、おそらくそこでバラウルが眠るのだろうというのは窺えたが、あまりに殺風景だ。  それに加え、何に使うのかわからない変な木彫りの人形や、硝子でできたオーナメント、旗のような布切れが所在なさげに置いてある。供え物、だろうか。 「もっと緑があると思ってたんですけど、岩しかないですね」 「何もないと言っただろう」 「さすがに神殿はあるかと思ってました」  神竜信仰があるのなら、それを祀る大きな神殿くらいあってもいいはずだ。可能なら、せめて身体を休められる家を建ててあげたい。  昔、建築に携わっていた父と一緒に、本物そっくりの小さな家の模型を作ったことがある。木の組み方は覚えているし、家に建築の本もあってそれを読んで覚えているから、この祠よりはマシなものができるはずだ。  ただ、設計はできても大きな木を扱うには人手がいる。残念ながら、そんな伝手はクロウにはない。願ったとしても無理なことだったと、クロウは静かに笑って俯いた。 「ここにはだれも来ないからな。この寝床も人間の家を真似て自分でつくったものだ。建築の知識がないから家とは呼べない代物になってしまったがな。だがまあ、俺には必要ない。こうして竜の姿になれば、どこでだって寝られる」  住居には興味がなさそうにそう答え、バラウルは竜の姿に戻ると、祠の横に丸くなって息をついた。それと同時に辺りを照らしていた炎も消え、頭上の星空がよく見えるようになる。 「村と比べて、空が綺麗に見える気がします」  星に手が届きそうで、クロウはそっと手を伸ばした。だが当然掴めるはずもなく、その手は虚空を切った。 「ここは空気が澄んでいるからだろう」 「確かに、そうかもしれませんね」  夜空をこんな穏やかな気持ちで眺めるのはいつぶりだろう。ここ最近は雨続きで星空が見えなかったというのもあるが、そもそも今のように美しいものを見る心の余裕が、クロウにはなかった。  いい眺めだ、と見上げていると、さあっとどこからともなく風が吹きつけてきた。 「……っ、さむ」  気温は夏に向かい温かくなってきてはいるが、山の夜はまだまだ冷える。それに、朝からちゃんとしたものを食べていない。そろそろお腹が鳴りそうだ。  焚火のためにクロウが木を拾いに行こうとすると、「どこへ行く」とバラウルが訊いた。 「あ、薪を拾いに行こうかと。食事もとらないといけないので……」  言ってから、クロウはとある疑問が浮かび、バラウルに訊いた。 「バラウル様は何をお召し上がりになるんですか?」  竜といえば、見た目的には肉食に見えるが、どうなのだろう。自分だけが食事をとるのも忍びないが、彼の腹を満たすには、相当な量の食事が必要な気もする。  しかし、その質問にバラウルは首を振り、「食べなくとも死にはしない」と答えた。 「俺はこの霊脈の魔力で生きている。だから人間のように食事をとる必要はない」 「そうなんですね」  納得したところで、クロウが再び歩き出そうとすると、バラウルがひょいっと爪でクロウの襟首を掴んで止めた。

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