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第1話
出逢いは突然だった。そしてそれは、すべてを奪い去っていった。
荒れ地には稲妻の閃光がつんざき、ジグザグに黒の光が雲を裂いた。ありったけの魔力の素であるマナを手から注いでみるが、横たわる幼い少年はぴくりとも動かない。
『もうすぐ援軍がくる。ユーヒ、まだか!』
ふだん穏やかな声に怒りが混じって聞こえた。
その瞬間にも轟音と、叫ぶような怒鳴り声と叫喚が耳に響く。ドーン、ドーンと銅鑼を鳴らした音が重くのしかかってきくるように聞こえた。
暗中に黒々とした影が遠くでひしめいて、ごうごうとした嵐が吹きすさみ、ドラゴンたちは高くいなないて、火を噴いている。
辺り一面が炎につつまれ、いつのまにか荒れ地の土が墨と化していて、震える手を必死になって瞼を閉じた少年にかざす。
『わかってる……! まだ鼓動が弱いっ……』
暗闇の中でも白くみえるほど、雨の勢いがつよい。茶褐色の岩場に隠れ、低く屈んでも、飛び交う攻撃に恐怖が増す。
額には汗がべっとりついて、焦りだけが募った。
もう無理だ。マナが枯渇している。
……光すらでない。
『ッ……!』
目のくらむような閃光が飛び込んできて、ユーヒはかざしていた手を引っ込めた。
身を屈めて頭を下げたとたん、ローエンが庇うように前方を覆いかぶさる。腕の中でマベール王子が苦しげにうめき、背中からもうもうと煙がみえた。
頑丈に張られたはずの防衛壁はすでに穴が開きそうで、いまにも破って閃光が飛び込んできそうだ。びゅんと魔弾が飛んでいくのがわかった。
いやだ。いやだいやだいやだ……。
『私のことは気にするな。はやく続けろ!』
ローエンは怒鳴るように叫び、はっとしてマナを注ぐことだけを考えた。意識を集中して、一点に熱を注ぎ込むイメージをする。湧き上がる力さえもう枯渇していた。それでも命の素となるマナを少年に流しこむ。
ローエンは汚泥にまみれた鎧で身を守り、飛んできた攻撃を防御魔法で跳ね返した。その姿が目に飛び込んでくるたびに胸が痛い。
屈強の騎士たちはもういない。団長も死んだ。周囲には歩兵たちも乱れるように倒れている。数名の兵士が攻撃魔法を放ち、光が炸裂して落ちていく。
……これじゃあ、残党だ。みんな、死んでいる。
いや、死ぬ前に魔力の素となるマナを吸い取られ屍と化した。
『……うッ……ッ……』
眼下で、マベール王子の息が吹き返した。ぴくぴくと小さな瞼が動き始め、かすかに呼吸が回復する。あとすこしだ。マナを注いで、命を紡ぐしかない。
『……クソッ、もたないかもしれない』
ローエンが悔しそうにつぶやいた。
腕の中にいる子どもはまだ幼い。西の魔女が王子を攫ってここまで連れてきたのだ。
『ローエン、もう少し粘ってくれ。……ッ。こうなったのも、絶対にマーリンのせいだ。あいつが聖女を焚きつけたんだ』
『どっちにしろ西の魔女が目前まで近づいている。魔力が足りない。このままだと防御魔法が切れる』
大蛇と化した魔女がこちらにむかってくるのがみえた。シュルシュルと音を立てて蛇腹をゆらし、這ってくる。
『おれが本当に神子だったら……、マナが……』
息が乱れて、言葉すら吐き出せない。胸の中に灼けるような渇きが苦痛となって襲ってくる。
どうすることもできなかった。手のひらからはモヤのようなマナしかでない。なんの助けにもならないことだけはわかっていた。ふいに、腕の中にいた王子をローエンが抱え、ペレンスを呼んだ。
ドラゴンは翼を大きく羽ばたかせて飛んで、巻きつけられたハーネスをたぐりよせる。ローエンはハーネスをたぐりよせ、王子をペレンスに巻きつけた。
『ペレンス、頼む。殿下を、王城へ運んでくれ…………』
ペレンスは鋭い爪をひっこめ、かすかにうなずくと前脚で地面を蹴った。たちまち土埃が舞って、あっというまに雲の上へ飛翔していくのが見えた。
『ユーヒ、おまえは元の世界に帰るんだ』
『無理だ。この荒れ地からどうやってでていける。転移魔法には大量のマナが必要だし、もう対価なんてない』
叫ぶようにしゃべって、青の閃光が頭上を通り抜けた。ローエンは屈んで、剣でそれを跳ね返した。
『クレムリン騎士団は壊滅した。援軍がくるまえに私は死ぬ』
ローエンは剣を地に突き刺して、呪文を唱えた。
『ユーヒ、この世界のすべてを忘れるんだ』
その言葉にはゆるぎない意志を感じた。ローエンの呪文に黒の物体が溢れて、魔法円に溶け込んでいく。
『……対価は眼と魔女の命。この者をもとの場所へ』
『……ローエンッ!』
一瞬で漆黒の闇があふれた。全身をつつみ、呪文が空中に浮かび上がった。
ローエンは剣を持ち上げて左目を抉った。眼窩が窪んで一筋の血が流れた。
『この御心、おまえだけに捧げる……神の子……』
炸裂音がして、全身が落ちていく気がした。
視界が底のない闇の中に沈む。
堕ちて、青白い光芒につつまれた。
★★★★
あたたかな陽光が射して、紫尾 有斐は白い光の中で目を覚ました。こちらの世界に戻ってきて、何度目の朝を迎えたのだろう。
「まただ……」
見上げた視線の先に、天井にあるうずまき模様があった。日本だ。
狭い六畳一間のベッドの上で、思いっきり手を上に伸ばしていた。なんたる寝相。ユーヒは重たくなった腕を下ろした。濡れた目もとを拭う。涙を流していたらしい。
外は晴天だった。
青々とした空に、チュンチュンというスズメのさえずりが聞こえた。平和だ。
有斐はむくりと起き上がり、サイドボードに置かれたリモコンを手に取った。
テレビの電源ランプが赤から緑に変わると、どのチャンネルも部分日食の話題でニュースは持ち切りだった。数十年ぶりの観測は朝になるらしく、通勤途中の皆さんにもごらんできますとキャスターが笑みを浮かべている。
「……月か」
あのときも満月だったなと思った。有斐は夢を思い出しながらも、洗面所に足をむけた。蛇口をひねって、ハブラシを手にとって歯を磨いた。口の中をゆすぎ、カラカラだった咽喉が潤ってくる。
「……ちょっと早いけど、仕事にいくか」
自分の顔と、チェーンに下げられた華奢なリングが鏡に映った。顔はいつもどおり、青ざめて、顔色はわるい。
それでもすっと切れ長の瞳は黒く、整った顔なのは変わらない。身長も高く、昔から男女問わず告白される。
恋人をつくることはなかったが、どちらかというと男のほうが好きだと自覚したのは大学生のときだ。
きれいだと言われて、うれしいと感じたのは一時だけなのかもしれない。
異世界に召喚されて、それからこっちの世界に戻ってきて一年がたつ。あちらで過ごした数年は、こちらの世界では数日しか経っていなかった。
時間のタイムラグに追いつかないまま、病院で数日を過ごし、トラックに轢かれたわけで、保険金の手続きにあれやこれやと忙しく時間が過ぎた。
女子大生が運ばれなかったと聞いたが、だれもそんな人間などいないと首を横にふった。
さすがに聖女とは口にだせず、知らないものはしょうがないと無理矢理気持ちを押し込んだ。家族は交通事故で他界して、見舞いにくる人もいない。めんどうな事務手続きに追われて、ユーヒは早々と一人で退院手続きを済ませた。
「いってきます」
そう告げて、部屋を出た。
最寄り駅までバスに乗って、始発に運よく乗り込めた。ガタンガタンと電車に揺られて、有斐は外に視線を流した。
所狭しと並ぶビルとマンション。どこをどう見ても現代だ。それなのに居心地がわるい。ここで生まれたはずなのに、この世界を否定してしまう自分がいる。
もやもやとしているうちにドアが開いて、周囲を囲む学生たちとともに電車を降りた。どの学生たちも、この先にある私立大学にむかっている。有斐の勤務地は敷地に隣接している大学図書館だ。司書の資格が幸いして、運よく派遣の働き口にありつけた。
重い足取りで賑やかな学生たちの後ろを歩いていく。信号が赤になり、有斐は横断歩道の前で立ち止まった。
「あ……」
顔を上げると、眼前を勢いよくタクシーや大型トラックが横切っていく。ここだ。ここで、女子大生を助けようとして、トラックに轢かれて、あの世界にいったんだ。
あの夜、紫尾有斐は残業続きで疲れ切っていた。ゲームシステムエンジニアとして働くが、もう限界だった。
……疲れた。
これは過労死ラインを超えている。
辞めたいと思っても、帰る実家も、家族も親戚もいない。友人は皆結婚して家庭持ちだ。
この日常に耐えるしかなく、明日もこの道を歩いて働くしかない。
疲弊しきった顔で歩いていると、前方に誰か立っていた。酔っているのか、肩まで伸ばしたセミロングの女がふらふらしている。
有斐は危ない足取りだなと怪訝に思った。
信号が黄色に点滅し、有斐は歩道の脇に立ち止まる。
いつのまにか女は横断歩道の上にいて、黒い影がそこから動こうとしない。あ、と思ったときには遅かった。トラックがもうスピードでむかってきたのだ。
有斐は勢いよく駆け寄って、女の背中を押した。
——あぶない!
衝撃音が響き、視界に真っ白な閃光がぶつかった。
目を覚ましたとき、有斐はベッドで寝かされていた。真っ白な天井と凝った内装にとうとう死んだのかと思った。
『……目が覚めたか』
白い視界に天国にいったのかと思った。
とうとう母さんと父さんに会えるのか、ひさしぶりというべきか、なんという……か、ちがった。
ぱちぱちと瞼を上下させながら目を覚ますと、目の前には凛々しい屈強な男がいた。
軍服服に身を固め、袖のカフスは青く輝く石をシェルで飾っている。
……なんだ、この男。こわい。
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