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第2話

 男はひどく怖い顔で、自分を睨んでいた。  椅子から立ち上がると、身長が二メートル以上あり、蔓模様の鞘に帯剣している。  男はユーヒを真上から見下ろし、その眼差しはすごみを増して突き刺した。まるで兵士というより、騎士だ。  え、きし……って……。ここは……。 『私はおまえの監視役になった。これからは私のそばにいてもらう』    男の口からでた言葉は通じて、意味も理解できた。が、内容が頭に入ってこない。  監視役ってなんだろうか。おれはなにかわるいことでもしたのだろうか。頭の中にハテナがたくさん浮かんで、なにも言葉が浮かばない。    つまり。それが、竜騎士であるローエングリン・ライザ・ロズヴェルトとの出会いだった。  男から説明を受けると、どうやら異世界に召喚されてしまったらしい。  自分を引き取るものはおらず、けっこう厄介な存在なのはなんとなく周囲の視線でわかった。それから豪奢な屋敷に招き、手厚くもてなし、何不自由なく暮らせるように色々と手配をしてくれた。ローエンは顔こそは仏頂面で強面だが、実は真面目で、顔に似合わず優しい騎士だ。  それでも、ローエンは自分を世界に戻した。剣を振り上げ、左目と西の魔女の命を対価に、王子とユーヒをそれぞれの場所へと飛ばした。 ★★   あれが最後なのかな……。  横断歩道をぼうっと眺めていると、後ろからゴホンと大きな咳払いが聞こえた。  信号は青に変わって、前方のグループが歩き始めている。  振り返らなくても、はやくいけといっているのが読み取れた。賑やかなグループのしんがりについて、ユーヒは途中で脇にそれ、身を隠すように早足で歩いた。  すぐに仕事場に到着する。  大学図書館は有名な建築家に設計されて建てられたモダンな建造物で、色とりどりのガラスを採用し個性が発揮されている。  それでも毎日足を運ぶ仕事場なので、もう見飽きた。  ユーヒはセキュリティゲートをくぐり抜け、館内に足を踏み入れる。警備員が伏し目がちに自分を確認して、軽く頭を下げた。この生活にもだいぶ慣れた。日常とはこういう感じで編まれていくのだろうか……。 「えーと。今日はなにをすればいいんだっけ。あ、そっか。まずは、昨日残った仕事をするか……」  ぶつぶつと独りごちる。最近の癖みたいなもの。  カウンターにはだれもおらず、しんと静まり返っていて、静寂が自分を包んでくれているような気がした。  書架整理をして、館内巡回、配架をして一日が終わる。自分でつくった手製の弁当を食べて、午後は図書館だよりを月に一度発行しなければならならない。あれこれと頭を巡らせて、余計なことは考えないようにしている。 「けっこうたくさんあるな。試験期間中だからかな……。うーん、これは何往復もしなきゃいけない感じかも……」 「やあ」 「紫尾さん、おはようございます」  げっとうめき声がでて、あわててその言葉を吞み込んだ。  言語哲学科の滝沢だ。  特別講師として着任して以来、滝沢は参考文献を探しに図書館をよく利用している。すでに脇には何冊か分厚い専門書をかかえていた。いま会いたくない人物ナンバーワンなのに、朝からついてない。 「お、おはようございます……」 「これから部分日食が始まりますね。ほら、もう暗くなってきた。朝なのに薄暗くなってきているね」 「……ええ、そうですね。あの、ちょっと。ちょ、ちょっとだけ。そ、その、地下の書架室に用があるので。おれはこれで……」  この男はどうも苦手だ。本能的に逃げたいと思ってしまう。適当な理由をつけて、その場から立ち去ろうと思っていたのに、滝沢はさも当たり前のようにうなずいた。 「ああ、それなら私もついていこう」   なんでだよ……。ついてくんなよ……!!  どうして事務室にしなかったのか、後悔した。  さも当然といいたげに、滝沢はついてくる。追い払いたい衝動をこらえて、階段を降りた。二人は暗い書架室へと足を踏み入れ、ユーヒは滝沢からちょっとだけ前にでて離れた。    ……だれもいないじゃないか。しかも真っ暗だ。クソ。  室内は暗く閉ざされて、だれもいない。さしたる書物もあるわけでもなく、すべて今週の火曜にすべて廃棄される。こんなところに必要な本なんてあるのだろうか。 「あの……、ここは廃棄予定のものしかありませんけど……、その……」 「ああ、気にしないでくれ。どんな本があるのか目にしたいんだ」   興味深そうにしゃべる滝沢にはやくお目当ての本を見つけて帰れと祈った。  そもそも初日からこの男は嫌いだった。性格がじゃない。本能的にだ。  本心はなにを考えているのわからない。黒縁の分厚い眼鏡をかけて、べっとりとした前髪が長くて表情がみえず、このじっとりとした目つきがなんだか苦手だ。    ……とにかく、なんでもいいから一冊だけでも手にとってずらかろう。  ユーヒはずらりと並ぶ棚を見た。どうしてか、金の蔓模様の皮表紙に目を惹かれた。数日すれば廃棄予定なのに、意味もなくその本が目を引いた。 「なにかおもしろい本でもあったかい?」 「い、いえ……。べつに……」 「紫尾くん、そんなに警戒しないでよ」   滝沢はにやにやしながら近づいて、背後にせまってきた。やばい。  大学の講師と揉めごとを起こして、仕事を失うなんて死んでもいやだ。耐えろ。もうすぐで同僚がくるはずだ。滝沢は手にしたものをのぞきこもうと顔を寄せてきた。 「夢でもみた?」  滝沢の指先がうなじに触れ、その冷たさにゾッと背筋が凍る。吐き気がした。 「ローエングリンが死ぬ夢か?」 「え……ッ」  その名前に振り返る。視界がさえぎられ、ねっとりした声が全身をからんだ。瞬間、窓から陽光が消え、累々とした闇が重なる。 「このときをまっていたんだ。ユーヒ……」  一冊の本が床に落ち、その場から人の気配が消えた。

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