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第3話

 その夜は満月だった。  白く冴える月明かりの下、ぐるりと街を囲んだ堅固に防御する壁をくぐる、二頭立ての幌馬車が風を切って夜道を駆けていた。    マーリンの血、という強烈なものを飲まされて、ユーヒはリオと名をかえられた。気分は地を這うように最悪である。  男娼という身分を偽り、ツルツルとした安そうな生地に、レプリカらしい宝石を散りばめた胸が大きくあいた衣装を着せられて、すでに尻も痛い。  この国の夏は雨がほとんど降らず乾燥し、冬はそのぶん雨が増えるが温暖な気候という恵まれた気候だったが、さすがに夜は冷えた。  安物の衣装が肌を最大限に露出しているせいで、風に触れるたびにリオはぶるぶると震えている。 「リオ! あんたは新人だから、特に粗相がないようにお相手するんだ。面倒なことをしたらただじゃおかないよ。」  しょんぼりとするリオに、つり上がった目をさらに吊り上げて、売春宿の女が叫ぶように怒鳴る。    いまにも手を高く振り上げて平手をくらいそうだったが、ぐらりと馬車が揺れて、あわてて荷台につかまり、リオは助かったと思った。 「いいかい? これからむかう、ローエングリンさまのお屋敷は特別なんだから、失礼のないようにたっぷりとご奉仕するんだよ!」 「……は、はい」  リオは膝を抱えながら、ぼうっとしながら遠ざかる街を見ていた。売春宿からローエンの田舎屋敷までは遠く、すでに一時間ほどは揺られている。  貴族たちの邸宅は王城のそばに整然と建ち並んでいるが、ほとんどが別宅であり、住人たちも常駐の使用人を除いて社交界シーズンという限られた季節にしかいない。 「たっく外ばっかり見て、だいじょうぶなんかねぇ」  女はブツブツと不満そうな声で、落ち着かない様子で舌打ちを大きく鳴らした。 「外なんて眺めても、もう真っ暗じゃないか。なんにもない海なんて見て、なにが楽しいんだかわからないよ。まったくこの子は本番でも使えるのかしらねぇ」  海に面したロウェンツェ王国は城塞都市として栄え、オレンジ色の灯りが点滅してみえる。遠ざかっていく白い建物は美しく、街並みもさほど変わっていない。  ペラペラの生地に夜風が入って、ぶるっと震えた。寒さなのか、不安なのか、どちらともわからない。薄い氷のような空気が頬をかすめ、またぶるっと身体が震えた。リオはため息をつく。  一つでると、また一つでて、次から次へと続いてしまいそうになる。  粗末な馬車は、でこぼことした道の上を走り続け、ブツブツしゃべる女の声もほとんど聞こえなくなった。  ……うまくいくのかなぁ。いや、うまくいけばいいんだけども。  マーリンと契約し、リオは新しい顔と浄化の力を手に入れた。実際になにをすればいいのかと訊くと、 『身体を重ね、奥深くから穢れを取り払え』  という説明をされ、なんとも無茶苦茶な試練を与えられた。  なにをすれば穢れが浄化されるんだと訊くと、「セックスだ」とさも当然という言葉が返ってくるわけで……。  リオが納得いかない顔をしていると、マーリンは鋭い視線を投げて、最後にこう言い放った。 『一応、注意事項を伝えておく。交わるものはローエンだけだ。それ以外と身体を重ねたらおまえは力を失って死ぬ。対価となった名前をむけられるとおまえの命が削られ、前の名を口にできないようにした。とにかく、そういう契約だ。なにかあれば使い魔をよこす……』    どういう契約なんだよとツッコミたくなったが、言い終わるうちにマーリンは指輪は必ずつけて性交しろとだけ言い残して煙になって姿を消した。  マーリンが去ったあと、すべての手配が整えられ、売春宿の店らしき女に手を引かれて、馬車に押し込められたわけである。  女のしゃべる言葉を理解できたので、目的地がローエンの屋敷にむかっていると知ったのはつい先ほどのこと。  チャンスは一回だ。というが、無理だとリオは思った。穢れを取り払うなんて、そんなことが自分にできるのか。  それに相手は元夫。ワーロック勲一等賞を授与されて、いくつもの師団を束ねる総司令官となった。その英雄が、まさか売春宿からたびたび男を呼び寄せているなんて、いまだに信じがたい。  しかもローエンの性欲は朝まで続き、店に戻った男娼たちはそのときの記憶はとんとないという。そして、その内情を耳にするものも限られている。  おそらく忘却魔法と口閉ざしの術を使っているのだろう。  そのため、マーリンはリオにも同じ魔法をかけられないよう、特殊魔法をかけてやった。  念のため、洗浄魔法だけは外してやるとオプションをつけてやると言われて一層不安が増したのは言うまでもない。  ……しかもなんでこんなものが。  リオは下腹部をそっとさすった。  腹の下にある墨色の模様がちらっとみえて、すぐにリオは手で隠した。それを見ていた女が不満そうに顔を歪めた。 「たっく、淫紋なんてつけて……。顔もぱっとしないし……」  急に馬車がガタンと揺れて、女がああもうっ! と大げさに苛ついた声をだして、リオはぎゅっと膝を抱えてさらに小さくなった。どうやらイライラが収まらないらしい。  うう、どうして淫紋なんてあるんだよう……。  ……くそ。マーリンめ。なにが浄化の力だ。これじゃあ男娼よりひどいじゃないか。男娼といったが、これではまるでサキュバスだ。  マーリンいわく、触れただけでも快感をひろい、体内に精液を大量に出すまで淫楽は上昇し続けるらしい。  つまり大量の精液を中だししろという、はたまた迷惑な身体に仕上げられたというわけだ。 ぼうとしていると、女がぶつぶつと呟いて、リオを睨んだ。 「今夜に限って、店には指名客が殺到し、リオだけがひまを持てあましているなんてなんてツイてないのかしら。あんたなんて、糸目にそばかすなんて……。ああ、あんたが売れっ子だったら……! こんな日に限ってナンバーワンの子たちは指名客が殺到するなんて、まったくもうついてないっ……」  女は歯ぎしりして、くやしそうな声で嘆いた。  本来なら売上ナンバーワンである美青年がくるはずだった。彼は器用もよくて、客からの人気もあり、なんどかローエンのところにも呼ばれている。  リオがローエンの屋敷にいくのが気に食わないらしく、店からでるときに、睨まれて足を引っかけられた。  それほどローエンは男娼にとっても人気らしい。いまだもって、ローエンがおれ以外の男を抱くなんて信じられない。  ショックだったが、死んでも魔物と化して国を滅ぼすとなればなにも言えない。そうならざる負えない理由があるならば、浮気だなんて思えない。  しかも二度目の異世界。出戻りしてきたのに、以前より不安は一層深まるばかりだ。まだ自分の顔がどんなものかも確認すらしていない。容姿を変えたとしても、ローエンは自分だとわかってくれるのだろうか。  不安になって癖で、ぎゅっと鎖骨あたりを握った。布越しに硬い手触りがして、そのときになってやっと首に下げていたリングの存在を思い出した。  そうだ、これをつけていればローエンは自分の存在に気づいてくれるかもしれない。この指輪をシルシに自分がユーヒだとわかってくれる。リオの心は明るくなり、さっきまでの不安が薄らいだ。 「ああ、やっとみえてきたわね」  体が大きくゆれ、しばらくすると馬車が止まった。  屋敷に到着したと御者が伝える声が聞こえて、リオの心臓はどくりと跳ねた。 「これこそが、この国が誇るローエングリン・ロズヴェルト伯爵さまのお屋敷よ。なんど訪れても金のかかった庭ね。ふんっ、あんたにはたっぷりと稼いでもらいますからね!」  馬車は屋敷の裏手に停まり、広大な敷地からみずみずしい花の匂いがこっちまで漂ってきた。いつまでいるのか、どうやって帰るのかなにも知らされていない。 「あの、おれは旦那さまのお屋敷に泊まるんでしょうか?」 「当たり前じゃないの。朝になったら、あちらから馬車を出してくれるんだから。それまでたっぷりと稼ぎなさいよ!」 「え。えっと、はい……」  不安になって訊いた自分がバカだった。さも当然に言われて、女の剣幕に怖気ついてしまい、リオはついうなずいてしまった。女はリオの態度が気に入らないらしく、ちっと舌打ちをしてさらに怒鳴った。 「伯爵さまに失礼がないようにたっぷりとサービスするのよ!」 「は、い……わかりました……」  そう言われて、どんよりと気持ちが沈んだ。  馬車が止まると女は荷台から降りて、ずんずんと建物の端にある通用口にむかう。リオもそのあとに続き、ひやりとした夜気が頬をなでた。ジャスミンの花の香りがふわりと流れてきたとたん、なつかしさでキュッと胸が締めつけられた。  ……なにもかも、そのままだ。まるで、数日前に戻ってきたみたいに感じがする。  十年前まで、ここで暮らしていた記憶がまざまざと蘇る。広い階段の上にある正面玄関ではなく、使用人や商人たちが通る出入り口に行き、空掘にあるベルを鳴らした。扉が開いて、すぐに従僕がでてきた。 「ほらっ! さっさとおはいり!」  女は振り返って、とぼとぼと歩くリオをせっつくように怒鳴った。その声で、せっかくの淡い記憶が吹き飛んだ。

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