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第9話

「このままじゃ、まずい……どうしよう……」  ローエンとの再会から数週間を経て、リオは一人頭を抱えて、ソファーに座り込んでいた。  ローエンはというと朝早くに朝食をともに頂くと、名残惜しそうに馬車に乗って、任務のためにいってしまったので部屋に一人でいる。  異世界に出戻ってきたが、生活はまずまずというか、充実はしている。  リオは一階の最奥にある、かなりひろい部屋をあてがわれ、申し分ないほどの待遇を受けている。部屋の陽当りはよいし、使用人たちも男娼ながらそつがなくリオに接してくれる。  部屋の外にでると中庭に面しているので、ぽかぽかと陽光が注ぎ込む中を散歩すると、香り豊かな植物に満たされて心地よいし、食事もおいしい。  それなのに、今日もリオはどよんと気持ちが沈んでしまう。 「うう、いつでも一緒にいれるのは嬉しいけど……、なんだかこの身体じゃ、これからが不安だ」  触れてしまうだけで発情してしまうやっかいな身体。  ローエンに毎晩抱いてくれと伝えてから、きっちりと義務以上に愛をもって抱かれるようになったが、なんせ快感が倍増されているのか最後は絶対に意識がない。  ローエンの身体の穢れを減らせるよう、リオもがんばってみるが、結局毎晩シーツを乱して、すべて剥かれて朝になってしまう。  そして触れられるたびに感じてしまい、昨日だって着替えを手伝ってもらったローエンにあわや発情してしまいそうになった。  そのままもう二回ほどいたしてしまったが、ジンジンとした意識の中、なんども絶頂を極めてしまった。一旦発情してしまうと、抵抗することもできずに、精を欲してしまう。  ローエン以外と交わると、浄化の力が衰え、死んでしまう。外出時は注意しなければならないが、どうもこの淫紋のせいか快感に弱くなっている。 「と、とにかく、他の人に触れないように気をつけなきゃ。じゃないと見境なく襲ってしまいそうになる……」  リオは椅子から急に立ち上がって、ぐっとこぶしを固めてつよく決心した。  そのとき、扉のむこうで軽快なノック音がして、リオの身体が飛び上がった。 「リオさま、入ってもよろしいでしょうか」 「は、はひっ!」  リオはあわてて身支度を整えて、部屋の鍵をあけた。  扉がゆっくりと開いて、執事のエドウィンがワゴンを引いて部屋に入ってきた。 「こ、これは……」 「お茶をご用意いたしました」 「す、すごい豪華ですね……」  目の前にティータイムセットが並べられ、豪華なケーキスタンドに釘づけになってしまう。リオはそわそわしながらその様子を眺めるが、どれもこれもおいしそうだ。  スタンドにはサンドイッチやスコーン、ケーキが盛りつけられ、食べ物がたっぷりとある。 「今日は昼食がまだでしたので、多めにご用意させていただきました」  エドウィンはにっこりと笑みを浮かべて、リオに説明をつけ足す。 「あ、ありがとうございます。あの、だ、旦那さまは今日戻られるのでしょうか……」  消え入りそうな声になって、ぼそぼそと言う。  なんだか恥ずかしい。ローエンが戻ってすることといえば一つしかないので、リオは真っ赤になって服の裾をつかんでうつむいた。 「ええ、旦那さまならすでにお帰りですよ。いまは書斎にいらっしゃるはずです」 「あ、そ、そうなんですか……」  よかった。屋敷に戻ってきているんだと思うと心強い味方が増えた気分となってほっとしてしまう。  エドウィンはにこにこ笑みを絶やすことなく、ティーポットを傾け、手早く注ぐと、ダージリンに似た香りがリオの鼻をくすぐった。 「いい香りですね……」 「ええ、こちらはファーストフラッシュという春頃に芽吹いた一番茶となります。めずらしい品種の上、リラックス効果もあり、手に入りにくい最高級の茶葉でございます。ぜひ、リオさまにと旦那さまが取り寄せてくださいました」  にっこりとほほ笑まれ、うっとりするぐらい素敵な声で言われると、その気遣った言葉に顔がほろこんだ。 「す、す、すごいキレイな色で、で、すね……」  赤ら顔で差し出されたカップの中をのぞくと、カナリアのような、明るく緑がかった黄色がひろがっている。ローエンが自分のために用意してくれたと聞いて、さっきまで沈みかけた気持ちが消えて胸が熱くなった。 「そろそろ、旦那さまがこちらにいらっしゃいますよ」  にっこりとほほえまれて、エドウィンが椅子を引いて、座るようにうながした。 「い、い。い、いまこちらに……?」 「ええ。旦那さまの昼食も兼ねてご用意させていただきました」  エドウィンが満足げにうなずくと、ちょうどローエンが部屋に入ってきた。銀髪を後ろになでつけ、今日はめずらしくシャツ姿というラフないでたちをしている。物憂げな顔はリオを見るとすぐに明るさを取り戻し、口元に微笑が漂う。 「リオ、会いたかった。それとエドウィン、すまないが少しだけ外してくれ」 むかい合うように腰かけ、エドウィンがローエンの前にカップを置くと、頭を下げてでていった。 「あ、あ、ありがとうございます」  パタンと閉じた扉に、リオは遅れながら礼を言うとローエンがくすりと笑った。 「リオ、なにか食べたいものはあるかい?」 「い、いや。とくには……」  リオはだされた紅茶に口をつけると、マスカットのような独特な香りがして、コクのある味わいに顔が綻んでしまう。ほんのりとした甘さと、さわやかな渋みがおいしくてどんどん飲んでしまいそうだ。 「昼食がまだだと聞いたんだ。サンドイッチぐらいは食べたほうがいい」 「う、うん。あ、ありがとう」  ローエンは皿にサンドイッチをのせて、リオはそれを受け取るとほおばって咀嚼する。焼きたてのパンは白くておいしく、ハムや卵、それにシャキシャキとしたレタスのようなものが挟んでいた。すでに時は昼を過ぎて、ずっと部屋にこもって空腹なのも忘れていたので、食べながらもグウとお腹が鳴った。ローエンはクスクス笑いながら、かわいいとつぶやく。 「ユー……。しまった。名前を呼んではいけないんだったな。リオか。いい名だと思う。それにともに食べている姿が見れるなんてまるで夢のようだ」 「えっ、あ……そんな……」  大げさだよと咽喉からでかかって、パンと一緒に飲み込んでしまう。 「食事はちゃんと食べてるかい?」 「う、うん。おいしくいただいてる……」 「……この屋敷には慣れた?」  ちょっとだけ慣れたと言いかけて、ごくりと飲み込んだパンの固まりがリオの咽喉につまった。ゴホゴホと咳き込んで、胸をどんどんと叩くがつまったものが圧迫してくる。 「ぐっ……ぐうっ……!」 「落ち着いて。いま水をあげるから」  ローエンは肩を震わせて笑いをこらえつつも、水差しから水をグラスに注いでくれた。 「……ご、ごめん。あ、あ、ありがとう」  手渡されたグラスを一気に飲むと、よく冷えた水が咽喉を通り抜けていく。レモンが入っていたのかサッパリとしている。 「いいんだ。急に話しかけた私がわるい」 「い、いえ……」  しんとまた静けさが戻る。どうしてか会話がしぼんでしまう。クッキーを食べようかと思ったが、またつまらせたらたまったものでない。 「今日はずっと部屋にいたのかい?」 「う、うん……」 「そうか……」 「ロ、ローエンは仕事にいってたの?」 「ああ、今日は午前から会議があったからゆっくりできなくてすまない……」 「あ、謝ることじゃないよ……」  会話を紡ごうとこちらもなにか考えるが、なにも浮かばない。  変なことをしゃべって、ケンカもしたくないので、返事もおろそかになって会話はすぐに途切れてしまう。しだいに質問もなくなり、二人とも黙り込んでしまう。  仲が悪いというわけでなく、どうしてか会話を重ねていくと探り合いになる。  ……うう、とりあえず紅茶を飲もう。  優雅に口に運ぶローエンとは対照的に、リオはお腹がタプタプになるほど飲んだ。五杯目を注いだとき、ローエンが重たい口をひらいた。 「……その、さ」 「へ?」 「その、実をいうと、時間が経つたびに不安になるんだ。きみと私では、いまでは十歳も年の差が離れているだろう。左目だってこの状態だ。もしかして元の世界に戻りたいとかそういう気持ちがでたりするんじゃ……」 「そ、そんなこと……」  リオははっとして首を横にふった。  ローエンの穢れが治ったら、元の世界に戻る約束をしたことをまだ伝えていない。いま言ってしまおう。そう思って、リオは膝の上に置いたこぶしをぐっと丸めた。 「リオ、どうしたの?」 「あ、あのさ……。実はローエンの穢れが消えたら、元の世界に戻る約束をしてしまったんだ。いまはまだ治ってないけど、いつかマーリンに伝えなければならないんだ……」  すべてを言い切るまえに、ローエンが話を遮るように口を開いた。 「リオは元の世界に戻りたいの?」  悲しげな視線をむけられ、胸がツキンと痛んだ。 「も、戻りたくはないよ……。そ、それにローエンこそ、前の顔のほうがよかったとか……」  ずっと疑問に思っていたことを吐き出すと、ローエンは首を横にふって、ちがうとハッキリと宣言するように言った。 「きみがなにものでも、私の愛は変わらないよ。離れていても愛してる」  まっすぐに熱を帯びた瞳で見つめられ、その物言いに真摯さを感じ、こみ上げるようなせつなさを感じた。 「そのしゃべり方もずるいよ。庇護欲が湧いて、どうもそばにいないと不安になるんだ。ただ、きみの気持ちがわかってよかった。また以前と同じように暮らしていきたい。穢れがなくなったら、マーリン卿に会いにいこう」 「う、うん……」 「そうだ、このあと外に出ないかい?」  不安げにローエンに視線をむけると、目が合うとにこっとほほ笑み返してくれた。よかった、わかってくれたとリオは思った。 「午後は休みをとった。いやかな?」 「い、いやじゃないよ。い、い、いかせていただきます!」  つい緊張してしまい、敬語が口をついた。リオの頬がほんのりと赤く染まる。 「いつも身体だけ求められていると認識されるのは困るからね。昨日のこともそれほど気に悔やむほどでもないし、たまには新鮮な空気にあたって、気分転換をしよう。街もだいぶ様変わりして、びっくりすると思う」  そう言うとローエンはふんわりとしたスコーンの上にベリーのジャムをのせて、リオに渡した。 確かに屋敷から出ずに、ずっと求め合っていた。  ローエンも悩みがあるんだと驚いたが、そもそも出会ったときなんて二歳年下だった。十歳以上離れてみえるが、自分のほうが精神年齢が上なので、しっかりしなければいけない。  リオは反省するように大きなスコーンをパクついて、またゴホンゴホンと咳き込んで、ローエンからグラスをもらった。

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