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第16話
「……あ、あ、し、し、神学の間に……」
緊張して上擦った声がさらにかすれてしまう。リオはドギマギしながら、神学の間があるという奥の書架室をみた。
「神学の間かあ。まっ、いっか。いこいこ~」
マベール王子はちょっと驚いたが、すぐにあっけらかんと笑って、リオの手を握って、閲覧室ホールを横切って奥へと急いだ。神学の間は連絡橋を横切り、さらに奥にあるといわれている。
「神学の間の本だけは封印呪文がかけられているから持ち出せないしね。僕も読みたい本がたくさんあるんだ。リオ、きみはいい選択をしたね」
ずんずんと廊下を進み、リオは引きずられるように後ろを歩いた。窓は日差しがあたって、壁に金細工が反射してみえる。
螺旋階段を上がって、右手に曲がり、新しい棟の手前まできたとき、やっとマベール王子が足を止めた。
「ついた~。ここだ、ここ」
だいぶ歩いたせいか、二人とも息が上がっている。鳶色の木扉に獅子のノッカーがついていた。
「ここは王族の許可なしには入れないんだよね。ローエンは父上から特別な証明書をもらってたけど、ここはこの僕が呪文を解いてあげよう~」
意地悪そうな笑みを浮かべて、マベール王子が難しげな呪文を唱え、コツコツとノッカーを叩くと、扉のむこうで施錠がカチッと解除された。簡単そうに見えたが、呪文は耳にしたことのないもので、復唱するのは無理そうだなと感じた。
「あ、あの……」
「どうしたの? 入ろう?」
マベール王子が不思議そうな顔をして、リオをじっと見つめた。その顔は十年前よりも大人びているが、無邪気さはそのままだった。
「お、おれが入ってもだ、だいじょうぶでしょうか……」
「いーの、いーの。ここはだれもこないから。ほら、どーぞ」
トンっと背中を押されて、リオは前のめりになりながらも、神学の間に足を踏み入れる。室内はうつくしい内装に所狭しと書架が並んで、書物が収められていた。魔法史に、呪文書、それに薬草学の本、もしかしたらどこかに闇魔法の書物があるはずだと期待に胸が躍る。
「じゃあ、僕は好きなものでも読んでるよ」
マベール王子が数冊本を出して机に置き、どかっと椅子に腰かけた。ということは、勝手にこの部屋を歩いてもいいということだ。リオはキョロキョロと周囲に視線を巡らせ、目的の書を探し、背表紙を見ながら歩いた。
どの本も豪華な装丁がされ、一目で手に届かないほど高価なのがわかる。ただ目当ての本はもっとどす黒く、明るい場所にない。
記憶をたどりながら、探すがなかなか見つからない。リオは上から下まで細かく目を皿にして眺めながら棚をチェックし始めた。
突然、ぐううと大きな音が鳴って、びくっとリオの身体が飛び上がった。
「ふあ~、ぼくだよ。お腹が空いちゃった。朝からなにも食べてないんだ」
「あ、あの。サ、サンドイッチ持ってきましたけど、食べますか?」
エドウィンがお昼にどうぞとつつんでくれたものが確かあったはずだ。リオは斜めがけカバンからつつみを出してみせると、マベール王子が目を輝かせた。
「ここで食べてもよろしいでしょうか?」
「いいよ。僕が許す」
二人でハムやチーズ、新鮮な野菜を挟んだ薄焼きパンを食べた。本が汚れないよう、机にも魔法をかけたが、マベール王子は顔に似合わず豪快に食べるので、リオは口元についたソースを手拭きで拭ってやった。
「ごめん、なんか子どもみたいだね。というか、子どもだよね……」
「い、いえ。そのままでよろしいかと」
「こういう感じだから、初恋の人にも子ども扱いされちゃうんだよなあ。まあ、あのときは十分子どもだったんだけどさ~」
マベール王子は床にも洗浄魔法をかけて、ぽろぽろと落ちた食べカスをさっと一掃した。前はそのまま走りだして遊んでいたので、なんだか成長を感じ、そのしっかりとした様子につい笑ってしまった。
「わ、笑うなよ。そういえばリオはさ、なにか読みたい本でもあったんだろう。奥のほうばかり探してたから、闇魔法の本とかじゃないの?」
その言葉にリオの顔がさっと青ざめた。マベール王子にバレないようにしていたが、心のうちを見透かされていたようだ。
リオは言おうか、言わないか迷った。だが、ここでウソをつくわけにはいかない。相手は王族だ。あとでウソをついてもすぐにバレてしまい、下手をすれば偽証罪で処刑される。
「け、穢れの本を……」
「穢れ?」
「え、ええ、そ、そうです……」
リオは穢れと闇魔法についての書物を探していた。魔女の呪いについて、知りたかった。
「穢れかあ……、そうだな、もうちょっと奥にあるかも」
マベール王子はすこし考えると、さらに奥まったほうへ足をむけた。そこはベルベットの深紅カーテンが閉め切られ、じめっと暗く、陰鬱な雰囲気が漂っていた。
マベール王子はスタスタと歩いていき、黒檀の書架棚で立ち止まった。リオも恐る恐るそのあとをついていく。
「ここだね。闇魔法関連の書物がたくさんある。たしか……これとか?」
マベール王子はつま先立ちになって、ひょいっと一番上の真っ黒な背表紙一冊を手にとった。そして後ろにいるリオにおもちゃをあげるように手渡し、受け取ると満足そうにほほ笑んだ。
本の表紙は蝶が金で箔押しされ、ずしりと重い。
「あ、ありがとうございます」
「いーの、いーの。気にしないで~」
あんまりにも気軽に渡してくれるので、リオはぽかんとしながらマベール王子を見つめ返した。
「リオ、へんな顔をしてる。そんなにびっくりしなくていいよ」
「で、で、でも……」
「いいんだ。ここの本は安全だし、きみはわるい人でもなさそうだ。後ろにある椅子に座って読めばいいさ」
「は、はい……」
リオは言われるままに従い、本を机に置いた。
「でもさ、闇魔法のことそんなに気になるの?」
どさりと机に数冊の本を置いて、マベール王子がリオの隣に腰かけた。
「だ、旦那さまの呪いをし、知りたくて……」
このセリフは予め用意していたセリフで、嘘はない。西の魔女の呪いについて調べて、どうにかローエンを早く救ってあげたかった。そと、どうもマーリンの言葉が信用できないのもあった。
ドギマギとするリオだったが、マベール王子は肘をついて、はあと深いため息を漏らし、リオの顔をマジマジとみつめた。
「ふーん。リオはやさしいね。でも闇魔法は強力だよ。あの魔法のせいで、兄上は目を覚まさないんだから……」
「そ、それはいまもなんでしょうか」
「そうだよ。兄上は眠り姫のように王宮の奥でぐうぐう寝てる。父上は頑張って公務を果たしているけど、……母上だって……。いや、その話はいいんだ。早く、その本を読んでみたら?」
マベール王子にうながされて、リオは真っ黒な本を読もうとすると、本が開かない。
「あ、あれ……? ひらかない」
表紙と見返し、小口が石のようにぴったりとくっついて離れない。これでは読めない。ぐいぐいと力任せに本を開くわけにもいかない。どうしようと途方に暮れそうになったとき、マベール王子がクスクスと笑った。
「ああ、解除呪文があるんだ。まってて」
マベール王子が笑いながら手を表紙にのせると、白い光が淡く放たれた。ガッチリかたまっていた本がパラパラッとひらいた。
「あ、あああありがとうございます。ほ、ほ、本にも魔法がかかっているんですね」
「そうだね。一応、ここにある書物は検閲されているからだいじょうぶ。呪いがかかったものもあるから気をつけたほうがいいよ。本に食べられたり、呪いをかけられたりもするんだ」
マベール王子がやけに真面目な顔で言うので、リオはそのときになって、母親の王妃が呪いの本を手にして亡くなったのをリオは思い出した。王妃は王子が幼いころに帰らぬ人となり、葬儀すらままならなかった。くしくも、その本は聖女がマベール王子に渡したもので、王妃は王子のかわりにそれを読もうとして開いたのだ。
「……い、いろんな本があるんですね」
「うん、でも怖い本ばかりじゃないけどね。妖精の本もあるし、ドラゴンの飼育方法っていうのもあるし……。そうだ、リオはドラゴン好き? こないだのドラゴンどうだった?」
「え。ええ、か、かわいかったです」
「ほんとう?」
マベール王子の沈んだ顔がぱっと明るくなった。リオはほっとして、こくこくと縦にうなずいた。
「じゃあさ、やっぱりペレンスにもう一度会いに行こうよ」
「ペ、ペレンスって……」
「ローエンのドラゴンだよ。翼を怪我してから飛べなくなったけど、すごーく賢いんだ。こないだは残念だったけど、絶対に気に入るはず」
うん、絶対にそうだとマベール王子は勝手に隣で意気込んだ。
「で、でも……」
「じゃあさ、許可を取るからまた見に行こうよ!」
「は、はい……」
にこっと無邪気に笑いかけられ、リオはおもわずうなずいてしまった。
「絶対だよ!」
しまったと思ったときには遅かった。マベール王子はいつにしようと指を折って考えていた。
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