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第17話
そうはいったものの、その日からリオたちが第三基地に足を運ぶことは難しかった。
どうやらペレンスの容態はあまりよくないらしい。ローエンにも報告すると、基地に行くなんて危険過ぎるとにべもなく反対された。それなので図書館にせっせと通いつめ、リオはほっとしながらも魔法書を読み漁った。
といっても、書物はどれも内容が難しいものばかりで全然頭に入ってこない。カオス理論やバタフライ効果、聖域をより効果的に構築できる方法、それに呪いと呪術書、悪魔召喚についてばかりで魔女についての記述は二行あればいいほうだ。
「……だ、大宇宙で起きることが、小宇宙に影響を与えるという解釈についてだが、宇宙空間はあらゆる界層にリンクしていて、一つの層で起きたことが他の層にもドミノ倒しのように連続して影響を与える……。うう、ぜ、ぜんぜんわからない……」
ブツブツとひとりごとのように文章を読むがまったく頭に入ってこない。わからない言葉に、理解できない内容ばかりだ。専門用語を調べて、そばにある関連辞書を開いて、まだ本に戻るという繰り返しで一日があっというまに終わる。
マベール王子との色恋のいの文字もでないほど、リオは読書という勉強に明け暮れていたが、ここのところ横からマベール王子の視線を感じる。穴があくほど見てくるので、どう返せばいいのかわからず、リオは闇魔法について訊いてみた。
「や、やっぱり、闇魔法に対する力は神の子が担っているのでしょうか……」
「そうだねぇ、地と星。惑星。幽光の力をもって光を与えよ。月満ちて欠け、神の子があらわれ、深く結ばれるとき無限の力を施す。……そんな言い伝えがあるけど真偽は定かではないからね。結局は聖女もユーヒもいなくなっちゃたし……」
「ユ、ユーヒ……」
マベール王子は言いかけた言葉を飲み込んだ。リオは自分の名がでて身体がこわばった。
「ああ、僕の初恋の人さ。まあ、ローエンの奥さんとも言うべきかな。彼も荒れ地で死んだ。ローエンが魔女を倒して、闇魔法に打ち勝ったといわれるけど、ローエン一人が受け止めているだけだ。魔女は対価を利用して、魂をローエンに植えつけたに過ぎない。だからって男娼を買うなんてびっくりだよね~」
「そ、そうですね……」
マベール王子は立ち上がり、手にした本を元の場所へ戻した。なんと答えていいのか言葉につまり、リオは黙ってしまった。
「しかし、闇魔法の浄化を調べているなんて、リオも変わってるね」
「だ、旦那さまのためですから……」
ふーんと言いながら、マベール王子はじっとリオを見つめた。彼が自分の読んでいる本を気になるのもしょうがないとリオは思った。
純粋に慕う主人のためは本当のことだが、リオは闇魔法についての詳しい文献を隈なく探しているがいまだに見つからない。
マベール王子に教えてもらいながら読み進めているが、まだ読まなければいけない闇の書物はたくさんある。ローエンは自分を元の世界に送り込むために、対価を払い、闇魔法の穢れを被った。ローエンは気にする必要はないというが、すべては自分のせいだと思っている。
「そ、そういえば竜の涙と、人魚の涙の伝説というのがあって、あれはどういうものなんでしょう……。願い乞うものの涙が混ぜ合うとき、奇跡が起きたとも書かれておりましたが……」
「ああ、悲恋物語だよ。竜人と人魚とのせつない恋物語で、リオがつけている指輪がそうじゃないかな。その魔法石を竜の涙に浸すと、石は変化してあらたな力をもつともいわれているんだ。まあ、ドラゴンが涙を流すってめったにないけどさ、所詮伝説さ」
マベール王子は眠そうに口元を抑えてあくびをした。今日こそは西の魔女についての書物を探しだそうとしていたが、その書のことは気になっていた。首元につけられた、真珠のような石はキラキラと輝いているがそういう伝説があったのを知って、驚いた。
パンッという本を閉じる音がして、リオははっとなった。
「リオ、そっちよりもエネルギーの循環経路のほうがいいと思うよ。よく士官学校のときに魔力強化法の授業で使ったんだ」
「あ、ありがとうございます……」
マベール王子がさらに分厚い本をリオに渡すが、どのページもちんぷんかんぷんでわからない。
「最近さ、ローエン元気?」
「え、ええ。お変わりなく過ごしてらっしゃいますよ……」
なにげない質問を投げられたのに、リオの耳たぶまでが真っ赤になる。
というか、毎日ついてこようとしている。執着ぶりは増しに増して、夜はねちっこくなり、朝は必ずつながって、もう一度いたしている。ヘトヘトになりながら、起きてくるリオに無理をしなくてもいいと言ってくる始末だ。
「そっかー。なんかさ、リオを迎えに行こうと思ったら、その必要はないですってなんか牽制してくるんだよね。怒らせちゃったかな~」
両手で頭をおさえ、椅子を揺らしながら、意地悪そうな顔でリオを見ている。とても怒っています……とはさすがに口が避けても言えない。
「そ、そうなんですか。朝などなにも……」
というか、そういう会話も交わすひまもなく胸の中にいた。
「ねぇねぇ、リオ。今日は外の空気を吸いに行かない? なんだか眠くなってきちゃったよ」
ふああとあくびを嚙みしめて、マベール王子が杖をふった。机の上にあった数冊の本が棚に戻っていく。
「え、え、あの……」
本が片付けられ、長机の上は塵一つない。これではなにもできない。そう思っているとマベール王子に手を引かれて、椅子からずり落ちたところを持ち上げられる。
「準備もできたし、行こう!」
「へっ! あ、あ、あの……?」
抵抗しようにも少年のときの腕力とは違って、マベール王子の力はつよい。あっというまに神学の間をでて、扉が閉まるとカチッと施錠がかけられてしまった。
「だ、だ、第三基地は……、まずいですよ……!」
あわあわしながら、リオはむかい合って座るマベール王子に目で問いかける。行き先を御者に告げ、場所を聞くと、第三基地だった。その言葉にぎょっとして、リオは口をぱくぱくとさせる。その予定はローエンに告げていないし、勝手に基地に行ってはダメだときつく言われている。
それでもリオの意志を無視して、馬車は颯爽と駆けて図書館は遥か遠くにみえる位置になっていた。
「いいの、いいの。さあ、ペレンスを見に行くよ!」
「き、今日ですか‥‥…?」
「そうだよ、今日はローエンが魔鉱山に遠征にいっているんだ。念のため、父上から許可状をもらったよ」
「で、でも……」
ローエンの許可なく見学して本当にいいのだろうか。いや、だめだ。屋敷に戻ったときに、ローエンに咎められてもなにもいえない。
そんなことを心配しても、マベール王子はニコニコと笑顔でしゃべり続ける。
「だいじょうぶ! リオは透明になっていればいいし、ペレンスはかわいいよ~! 黒竜だから鱗までまっくろなんだ! 魔法石が好物だからいくつか持ってきたしね!」
マベール王子は子どものような笑みをみせて、パンパンに膨らんだ革袋をだした。中身はエメラルドやライムイエロー、オールローズなど研磨されていない色鮮やかな原石がぎっしりとあった。
「す、すごい……」
「へへっ、内緒だよ。ぜんぶ僕のコレクションなんだ」
「ペ、ペレンスというドラゴンは遠征には行かないのですか?」
「……ペレンスは戦力外のドラゴンだよ。昔は貴重種の上に、火を噴くドラゴンとして活躍していたけど、僕のせいで……、その、荒れ地の戦いで翼を怪我してから飛べなくなったんだ」
なだらかな丘を下り、図書館はあっというまに遠ざかってしまう。馬車は海沿いから離れて森の中を突っ切るように走った。そして、あっというまに双子塔に到着した。
マベール王子は意気揚々に双子塔の中に入った。門扉にいた守衛に王の許可状を見せて、門をくぐる。すぐに髪を短く刈り上げた男が敬礼し、後ろにいた男たちもそれにならった。
こう見ているとおちゃらけた性格は鳴りを潜めて、王族らしい毅然とした態度が漂う。リオの姿は見えないもののじっと縮こまって目立たないようにした。
「リオ、だいじょうぶ? 吐き気は?」
「だ、だいじょうぶです……」
馬車で酔ったのか、途中、休憩を挟んだときに吐いた。最近は寝不足のせいか、よく酔ってしまう。マベール王子は視えないながらも、心配げにちらちらと後ろを気にして前方へ歩いていく。
「やあ。殿下、今日もドラゴンですか?」
どんどんと穿った洞窟のような棟の中をすすんでいると、横から明るい声をかけられた。手をふってこっちにむかってくるブルックス隊長がいた。
「やあ、ブルックス隊長。王の許可を頂いてきたんだ。といっても、ローエンに内緒できたんだ。今日のことは内密にしていただけるとありがたいかな」
「ははっ、そうでないかと思っておりました。今日はすべてのドラゴンが魔鉱山に哨戒活動のため不在です。ペレンスはのんびり眠っておりますよ」
ブルックス隊長が奥にある木扉を開いた。
牧草地が遠くまでひろがって、空は真っ青に澄み渡っていた。周囲には軍服を着こんだ士官や兵たちがいて忙しく働いており、巨大なハーネスを工匠具師たちが点検しながら、そばにいた兵たちにあれこれ必要な道具が欲しいと依頼している。
マベール王子がキョロキョロとしていると、視線の先に真っ黒なドラゴンがいた。木の下で巨大な身体を丸めて翼を閉じて眠っているのがみえる。つやつやとした漆黒のうろこが陽光に反射して、銀色に輝いていた。
「ペーレンス!」
マベール王子が大きな声で名を呼んで駆けだした。黒竜はピクリと反応し、起きた。ゆっくりと頭をもたげ、尻尾をうれしそうに上下している。
「こっちに気づいた! 元気そうでよかった」
「ええ、最近食欲が低下して心配しておりましたが、ローエン団長のおかげでだいぶよくなりました。たまに散歩にも行かれているようで、竜騎隊から離れていても、こまめにここに顔を出してらっしゃいます」
「ローエンはああみえて、ツンデレだからね」
「だれがツンデレなんでしょうか?」
ドスのきいた低い声が落ちて、ブルックス隊長の背の高い身体がピシリと石のように固まるのがわかった。リオの顔が青ざめ、身体がこわばる。
ローエンが静かに怒りをあらわにして立っている。
「では私はこれで。任務がございますゆえ、失礼いたします」
ブルックス隊長は頭をさっと頭を下げて、横からやってきた士官と共に司令棟に戻っていった。ローエンはなにも言わず、その背中を見送るとじろりと振り返った。
「殿下、私が不在なのを承知でこちらに?」
「まさか~! たまたまだよ。ローエンこそ、どうしているの?」
「急遽戻ることとなり、ペレンスを引き連れて、湖畔でも散歩しようときたのです。それと、リオ。そこにいるのはわかっているんだ。手を離しなさい」
ローエンはそう言って、視えているのか、リオのいるほうに視線を送った。リオがマベール王子の手をそっと離すと、姿がみるみるうちに浮かび上がり、ローエンが自分のほうへ引き寄せた。
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