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第18話

「ロ、ロ、ロー……」  おもわずローエンと言いそうになったが、はくはくとして声がでない。 「リオ、こんなところにきてはだめだ。どうして、ついてきたんだ?」 「僕が連れてきたんだから、リオを怒らないであげてよ。せっかくだから、ペレンスを見せてあげようとしたんだからさ」 「いいえ。殿下、ここは遊び場ではないのです。宿営であり、もっとも戦場に近い場所なのですよ。リオもリオだ。殿下の言いなりになってはだめだ」  鋭い視線に、リオはすみませんとおもわず頭を下げた。 「もう平和なんだから大丈夫だよ。リオも縮こまっちゃってるし、かわいそう。そんなに謝る必要なんてないし」  マベール王子は意地悪そうに笑うと、ローエンがぎろりと睨んだ。べーと舌をだして、ペレンスのほうへ駆け出していく。 「殿下!」 「ロ、ローエン……」 「クソッ、自由奔放すぎるぞ。リオ、なにかされてないか? 身体はだいじょうぶか?」 「う、うん……。なんにもないから……。とりあえず、殿下のあとを追わなきゃ……」  ローエンが複雑そうな表情になりながらも、そうだなと言ってリオの手を引いて牧草地の中を歩いた。 「よかった。位置探知を使ったら、図書館ではなく、ここにいるのがわかったんだ。とっても心配したよ。むこうにいるペレンスを見たら、すぐに帰ろう」  つよい口調で言われて、歩きながら、うんと返した。まさか本当に位置探知なんてついてたとは思わなかった。  ローエンの握った手も汗ばんで、眉間に皺を寄せて深刻そうな顔をしているし、申し訳なさでいっぱいになる。  しゅんとうなだれながら、鮮やかな緑の芝生を見つめながらついていくしかなかった。 「ご、ごめん。探してくれてたんだね……」 「いや、ずっと位置を……、いや。なんでもない……。いまのは忘れてくれ。なにも言ってない」  えっと思って、おもわず顔を上げた。  ローエンは真っ赤になって、余計なことを話さないよう口を結んでいた。さすがに、真面目で忙しいローエンが、仕事中に自分の位置を把握しているなんてことあるわけが……。 「い、いや、その、信用はしているんだ。ただ気になってしょうがなくて、……いや、私もリオと出かけたかったんだ。正直言うと、殿下と二人で出かけ過ぎる。あれはずるい」  悔しそうにしゃべるので、おもわず笑いがこみ上げてしまう。 「ぶっは、ははは。ローエン、さすがにそれはヤキモチすぎるよ」 「言うと、笑われると思ったんだ。私のほうが十以上も上だからな」  顔を見られないように右手で隠しているが、それがまたギャップとなってかわいい。  落ち込んでいた気分も上昇し、リオは謝りつつも、ローエンに今度どこか出かけようと持ち掛けた。マベール王子のところに着いたときにはつないでいた手の指を絡ませて、すっかり仲直りしている。 「あ~新婚さんは仲良くってやるだね。まったく、ローエンの執着ぶりは相変わらずだ」 「で、殿下っ……、ケンカはいけません……。それよりもペレンスは機嫌がよさそうですね」  また言い合いに発展しそうなので、マベール王子をなだめ、ペレンスに話題をうつした。 ペレンスは座ったまま、じっとリオたちを見ている。マベール王子は走って駆け寄り、黒竜は首を上げたが、それでも体長は三十メールを越えて、リオの数倍もの高さがある。 ふいに、ペレンスの右の翼が気になった。翼膜はボロボロになって、どす黒く朽ちている。 「……こ、こ、これは?」 「これは荒れ地の戦いで攻撃を受けたものだよ。僕をのせて、王城にむかう途中に闇魔法を受けたんだ。いまは飛ぶことすらできず、こうして木の木陰で休むことしかできないんだ」  マベール王子がそう答えてくれた。その目は悲しみが宿り、痛々しい翼をいたわるようにそっと撫でた。  ペレンスは非常に賢い希少種で、マベール王子の遊び相手でもあった。ローエンの目を盗んで、勝手にハーネスの手綱をとって飛び乗った。空高く飛翔して、海の上をぐるぐる旋回してはよくローエンを困らせたものだ。  それだからこそ、中型種のドラゴンが哨戒活動に出て、こうしてひとりぼっちで留守をあずかるのは歯がゆく感じるはずだ。プライドが高い竜ならば屈辱としてとらえるだろう。  十年前とさほど変わらないと思っていたが、どこか弱々しさも感じる。  リオは巨大なドラゴンの顔に腕をのばして、ぎゅっと抱きしめた。金色の虹彩に緑の瞳孔を細くし、低い声でうなってドラゴンはすりすりと顔をこすりつけてきた。温かい体表が気持ちいい。なんだか、その人懐っこさは犬のようにも見えてくる。 「リオ、……怖くないの?」    マベール王子が、驚いた表情でリオに問いかけた。 「ええ」 「ど、どういうこと……。ペレンスが頭を撫でさせるなんて……、僕とローエンと……ユー……」 「殿下、その名前を口にするのは控えてください」 「えっ、なんで⁉」  勘がいいのか、マベール王子がリオをじいぃっと見つめた。ペレンスがリオの頬を細長い舌でチロチロと舐めだして、くすぐったい。その表情にピンときたのか、えええええと雄叫びを上げた。 「ウソッ! ユー…じゃなくて、リオっ」  石のように固まったマベール王子に、ローエンはめんどくさいことになったとため息をついて事情を話しだした。リオはペレンスにマベール王子から分けてもらった魔法石を与えながら、ローエンたちのやり取りを笑いながら眺めていた。滔々と説教のような説明をされたマベール王子は、ローエンにわかった、わかったよと頬を膨らませて不満そうにうなずいている。 「げっ、使い魔がきてる。」  いつのまにか陽も暮れてしまい、マベール王子はローエンの肩に鳥が止まっているのに気づいて、苦虫を嚙み潰したような顔になった。まるで妖精を彷彿させるようなうつくしい鳥が、軽快な響きでさえずり、ローエンが指にのせてなにか伝えている。ローエンがうなずくと、鳥は煙のように姿を消していなくなった。 「殿下、マーリン卿がお呼びのようです。すぐに戻れと」 「ちえっ、こういうときに限って呼び出しがあるんだ。ちょっとしか会えなかったじゃないか。まあ、いいや。じゃあね、ユー…じゃなくて、リオ。ローエン、リオをよろしくね」  マベール王子は頬を膨らませてローエンをなじった。 「では」  じゃあね~と手をひらひらとさせて、マベール王子は塔にむかって戻っていった。「ま、た、あ、し、た」と口パクしているのがわかる。手をふって、うなずいて答える。姿が見えなくなってから、ローエンがリオの肩をぐっと引き寄せた。 「まったく、嵐のようだったな」 「う、うん……」  爽やかな風が草原を吹きつけ、生えかけたばかりの草の匂いが立ちこめる。冠翼を寝かせて、ペレンスが尻尾をトントンと揺らし、構ってほしそうに見えた。 「ペレンスに乗ってみるか?」 「い、いいの?」 「ああ。私も、こいつも空は飛べないが、眺めは最高なんだ」  ローエンは慣れた足取りで、ハーネスの鐙に足をかけ、ペレンスに乗り上げた。手を差し伸べてきた。  リオはペレンスを傷つけないよう慎重によじ登りながら、ローエンの前にゆっくりと腰かけた。ツヤツヤとした漆黒のうろこはやわらかく、体表からは鼓動が伝わり温かく感じた。優雅で、荒々しい戦闘竜とはかけ離れていた。  リオはハーネスをつかんで、顔を見上げると、草原と海のコントラストの絶景が展開して、おもわず目を輝かせてしまう。 「……す、すごい」 「いい景色だろ。今日は海も静かだ。今度行こう」  どこかうれしそうにしゃべるローエンに、リオは思わず笑みがこぼれた。なんだかんだ言いつつ、ローエンはやさしい。 「いや、ちがう。本当はきみに話さないことがあるんだ」 「は、話さないこと……?」 「実は左目の穢れが消えているんだ。黙っていてすまない。」 えっ……と振り返ると、ローエンが眼帯を外した。鱗のような皮膚は滑らかになり、禍々しさが消えてなくなっていた。痛々しい傷痕はそのまま残っているが、闇魔法の気配はない。 「すごい……。でも、きのうも、その……おれたちって」  シタよね……とぽそっとつぶやく。さすがにペレンスが下にいるので、大きな声でセックスとは口にだせなかった。 「……それは、その自分がしたかったからだ。その、言い出せずにいたんだが、すでに私にかけられた呪いが消えても、リオの身体はそうでないだろう……?」  カアアアとお互いが顔を赤らめて、こくりとうなずく自分がいた。  そうだ。ローエンの穢れが治ったとしても、感じやすく、中に白濁としたものを放たない限り、この身体は疼いてしまう。 「う、うん……。そう、だね……」 「それで、一度マーリン卿に会いに行こうと思う。さきほどの使い魔からリオ宛にも言づけが届いていた。もちろん私も護衛としてついていく。必ず守る」  その言葉に胸がしめつけられた。  穢れが治れば、元の世界に戻してもらう。その約束は忘れたわけではない。 「すまない。穢れが消えたのは数日前なんだが、きみが行ってしまうのを想像したくなかった。それで黙っていたんだ」  深々と頭を下げられ、その声は苦しいほどうめいたものに聞こえた。 「は、話してくれてありがとう。ただ……」 「ただ?」 「た、ただ、おれは……その……」  もう少し考える時間が欲しい。それだけ伝えた。  それ以上はなにもしゃべることなく、ローエンはリオをつよくだきしめた。  そのあとはぼんやりしながらも展望を眺め、ペレンスが眠そうになると二人は地面に戻った。ローエンが器用に鐙に足を乗せて降りたが、リオは足元を滑らせて、ローエンに倒れ込むようにドンッという音ともに落ちた。 「ご、ごめん……」 「そういうところ、好きだよ」  顔が熱くなった。あいまいに笑ってごまかすと、さっきまでしぼんだ空気が和む。  ペレンスはすでに目を閉じて眠っており、やはり翼を見るとどうしても胸が痛む。 「つ、つばさ、治らないのかな……」 「竜医から完治は無理らしいと言われている。がんばって治療を続けたが、もう諦めなければならないかもな」  艶があったはずの翼は、暗黒色にぼろぼろに朽ちて、みるに絶えないほど腐っている。ものすごく痛かっただろう。治癒魔法は効果がないらしく、薬も劇薬らしい。  リオは腐朽がすすんだ翼にふれ、そっと頬をよせた。  すでに血は巡っておらず、ひんやりとして冷えている。穢れは上腕骨まで浸食しているのか、ぐにゃぐにゃとゆれて、完治が難しいという意味がわかった。 「……ペレンス」  リオはペレンスの柔らかな体表をなでた。顔を寄せると、耳から鼓動を打つ音が伝わり、リオは瞼を閉じた。  ……どうか、翼を戻して欲しい。  そう願いを込めて、翼に唇をそっとあて、マナを送った。  ペレンスの双眸からは涙が流れ、じんわりとリオの指を濡らし、指輪の色が変わった。 「……リオ」  ローエンの驚いた声が響いたような気がした。  風がどっと吹きすさび、リオはよろけて倒れる。すぐに後ろから腕が伸びて、ローエンが抱きとめてくれた。数歩後ろに下がり、ペレンスを恐る恐る 「まさか。……ありえない」  翼は元の光沢をもち、膜状に張られている翼膜は黒々としたうつくしさに戻っていた。ペレンスの瞼がゆっくりひらき、翼は宙高く持ち上げられ、力強く羽ばたいた。 「……お、おれ、元の世界には戻ろうと思う」  上下に揺れ動く翼を目にして、リオはローエンにそう告げた。

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