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最終話
「それで、全員揃ったか」
紫のローブに身を包んだマーリンが一同に視線を巡らせた。金塗りの椅子にそれぞれ腰かけて、右にマベール王子、そして左にローエンとリオが並ぶ。マーリンは両手を腰に組み合わせると、中央に歩き出して、リオのほうをむいた。
「リオ、ひさしぶりじゃな」
「は、はい……」
マーリンの声におもわず飛び上がり、背筋が伸びた。
売春宿でむかい合ったときと違って、城の中のせいか緊迫感が漂う。それでも頭の中は真っ白で、なにもかもが考えられる状況じゃない。
本当はあらかじめローエンに使い魔をだしていたのなら、こんなややこしい目に合わなかったのに……。なんてことをしてくれたんだと声をあらげたかったが、それすらも頭から飛んでいた。
「約束通り、まずはローエングリン卿の穢れを確認しよう。まったく、なんども使い魔を送ったのだが、無視されていようとな……。ローエン、前に立つのじゃ」
嫌みを吐きながら、マーリンがローエンにそばにくるように命じ、ローエンは絡めていた手を解いてリオのそばを離れた。
黒の眼帯を外し、滑らかな皮膚に覆われた左目が現れると、さすがのマベール王子も口をきゅっと閉じた。
皮膚は滑らかになり、義眼を入れているせいか、縦に裂いた傷痕がなければ目を閉じているようにも見える。
「うむ、無事に穢れは浄化されたようだな」
穢れが取り払われたかを調べが終わり、ローエンが眼帯をつけて戻った。
マーリンは満足そうに笑顔になり、その笑みにどうしてか、リオの心臓の鼓動が脈打つように早まる。
このまま元の世界に戻ってもいいんじゃないか。
それとも、この世界でこのまま過ごしていいものだろうか。無事に生まれてきても、男娼の子として非難を浴びるかもしれない。
「それではリオ、まずはその子どもをいただけないだろうか」
「え?」
元の世界に戻してやると言われると思いきや、予想外の言葉が飛び出して、リオはぽかんと口を開けていた。
「そなたの腹の中に子が宿っているはずじゃ。その胎児をよこせ。対価に元の世界に戻してやる。あちらに戻れば容姿も元通りじゃ」
だが、次の言葉でリオの身体がこわばった。なんだ、そういうことだったのか。
「い、いやだ……。この子はローエンとおれの子どもだ。ぜ、絶対に渡さないっ!」
反射的にそう言ってしまった。隣に戻ったローエンも驚いた表情をしている。
「なんだ、断るのか」
「こ、断る。子どもはやらない。元の世界には戻らないんだ」
「それならば、おまえのつけている指輪をよこせ。かなりのマナが込められている。異常なほどの愛に育まれた石は竜の涙に濡らすと、強力な浄化の力をもついうが、まさしく伝説通りだな。くれぬなら、わしが対価を払ってもよい。なにか願いごとを叶えてやろう」
「ね、願いって……。それでいいのか……?」
「よい。もちろん、おまえの顔と名を戻すことも可能じゃ。多少生きづらいと思うが、元のうつくしい容姿がよければそのようにしてやろう」
マーリンはそう言い放つと、リオに前にくるようにうながした。子どもの代わりに指輪をよこせと言われて、頭が混乱してしまう。
願いごとなんて……、ほかに……えっと……。
「リオ……」
ローエンがその手を止めようとして、リオが首を横にふる。
リオは立ち上がり、マーリンの前に立った。指輪を外すと、石は淡い光を放って名残惜しげにリオの顔を照らしたような気がした。
「そ、それならば指輪を対価に……。ロ、ローエンの失った左目を授けて欲しい」
リオはそう言って、ぐんと腕を伸ばして、マーリンに指輪を手渡した。
深くうなずいたマーリンはにやりと気味のわるい笑みを浮かべ、手渡された指輪を握った。
「……これで、やっと王太子が救われる」
「マーリン卿。どういうことか説明を」
「初めから、王太子を救うためにこやつを呼び戻したのじゃ。もちろん、おまえの穢れを払うためもあるが、わしの目的はこの国を救うこと。つまり、魔女が残した穢れを取り払うことじゃ。それで、こやつは名を対価に犠牲にし、指輪にマナを蓄積させてもらったのじゃ」
つまり、ローエンから吸いとった穢れをマナに変えて、指輪にためこんでいたらしい。
はやくその説明が欲しかったが、結果通りになってよかっただろうと言い捨てられてしまった。
「マーリン、ローエンの左目は元に戻るのか?」
「対価が強力な力を持つ限り可能じゃ」
マーリンはローエンにむけて杖を一振りした。
すると、ローエンの左目の皮膚が液体のようにどろどろと溶け、ローエンは両手で顔を覆う。
猛烈な痛みが頬骨や目鼻を襲い、ローエンは低いうめき声を出しながら、身を屈めた。
次第に痛みが治まり、はあはあと息を乱して、顔を上げたとき、一堂の視線を集めた。
「……ローエン!」
マベール王子の声が飛んで、リオがローエンのそばに駆け寄った。
ゆっくりと立ち上がり、双眸に涙が浮かんで見えた。その瞳は緑色で、うつくしく輝いていた。
「リオ、視える」
ローエンは短くそう言って、リオを抱きしめた。ぎゅっと互いを抱きしめ合い、涙が止まらない。
よかった。これで、もう一度、ローエンもペレンスに乗って飛べる……。
「それで、腹の子はどうするの?」
コホンとわざとらしく咳払いをし、マベール王子がリオの腹を差した。マナが視えるのか、へその部分を指さしている。
「う。産みます。絶対に! あ、あげません!」
「それはまた大変だな。腹の子はおまえの子じゃが、穢れに侵されたローエンとできた子じゃ。浄化されているかわからん。穢れが残っていれば魂を乗っ取り、助かるのは厳しい」
「それはどうすればわかるんだ?」
ローエンがリオを守るようにマーリンとの間に立った。
「それは産まないとわからない。屠る約束だったはずじゃが、そのものを生かしたいのならそうすればよい。心配ならば対価を払って、守護魔法をかければよい」
それなら……と言いかけて、ローエンがリオの言葉を遮った。
「リオ、だめだ。代わりに私の命を捧げる。私は十分に生きた」
ローエンは毅然と言い放った。
「いや、おれが対価を払うよ。現代に戻って育てるより、ローエンを後継人にしたほうが幸せだ。そのほうがいい」
「だめだ。私が対価を払う」
「ふ、二人とも落ち着きなって……。ローエンも意地になるなよ。穢れはあるけど、黒いシミ程度だ。すぐに浄化できるはずだ」
マベール王子がなだめるが、それだけはお互い譲れない。どっちが対価を払うのか、命をかけたいざこざにリオもローエンもムキになってしまう。
「そうなると、対価は命ほど必要ない。おまえがいいならば、そのうつくしい顔で十分だろう」
マーリンはすくっと杖をリオの顔にむけた。
「かお?」
「そうじゃ、その顔じゃ。その顔はあらゆるものの魅力を吸いとる」
「やるよ。対価として捧げる。あの顔はもう必要ない」
ローエンが咎めようとして、リオをみた。
リオはにっこりと笑みを浮かべた。
「おれはこの顔で十分だ」
リオはローエンをちらっとみた。気まずそうにして眉を寄せ、苦い顔になっていた。
「よかろう。……まったく注文が多いのか、少ないのかわからぬやつじゃ」
マーリンは不満そうにもう一度杖をふるって、呪文を唱えた。リオのそばかすと糸目は変わらず、腹の中がほのかに温かみを増していくのを感じた。
ということで、五年後。
長い眠りについた王太子が目覚め、ロウェンツェ王国は若き王陛下の力によって、魔法石産業が盛り上がり、さらなる躍進を遂げていた。
あれから国の貢献に尽力したということで、リオにはマーリン勲一等賞を賜られた。
眠い目をこすり、リオはのしかかる重さで目を覚ました。目の前には小さな身体がまたがって、ニコニコと笑みをむけている。小さなローエンというべきか、だがそのやんちゃさはどちらにも似ておらず、どこから持ってきたのかいつも頭を悩ませてしまう。
「リーオ! チューしよ!」
チューとさくらんぼのような唇が顔面いっぱいにせまり、よけようとすると頬にチュッと唇があたった。
「ホ、ホリン!」
「ふふん、ホリングワースだもん。オーハヨウは? ちゃんと言ったらどいてあげる」
「ほ、ほ、ホリン……お、お、おおはよう」
あわあわしていると、ひょいっと小さな身体が摘みあげられ、膝が軽くなった。
ホリンの小さな身体の背後に、巨大な黒い影が見える。見上げると、ローエンがものすごい形相でこちらをみている。
「ホリングワース。親をからかう暇があるなら、剣の鍛錬の時間をもっと増やしてやろう。士官学校まで残り数週間だ。教師陣に恥をかかせないよう、私がきっちりマナーまで叩き込んでやる」
ローエンがホリンの小さな額にデコピンを食らわせると、べーと舌をだして対抗している。その仕草には思い当たるフシがあった。
「父上!」
「ろ、ローエン。おかえり。遠征から帰ってきたんだね……」
リオはまた一段と大きなお腹をさすりながら、のそのそと起き出した。
最近は寝ても寝足りないほど眠気に襲われ、朝もままならない。それでも早起きを心がけて、生活リズムは整えるように心がけていた。
「ああ、さっき戻ったばかりだ。まったく、リオをからかうなんて」
「ちえっ。てっきり明日帰ってくると思っていました。売春宿には寄らずにまっすぐ帰ってきたのですね」
ぎくりとリオの顔がこわばった。
どこでそんなことを覚えてきているのか、心の底から心配してしまう。
たまにマベール王子と遊んでいるらしいが、よろしくないことまで覚えている気がしてならない。
「ホリン! どこからそんなっ!」
ケラケラと笑って、ホリンはささっと身をひるがえして部屋をでていった。
あとでマベール王子に文句の手紙を使い魔にくくりつけて送ろう。
「無事に帰還されてよかったです」
リオは苦笑いをして、ローエンをホリンとともに抱きしめた。
「きみたちのことが心配でしょうがなかった。もう一人家族が増えるんだ。いてもたってもいられなかったんだ」
ローエンはリオの頬にキスをして、腹部をやさしく撫でた。その両目は緑に輝いて、熱を帯びて愛を宿していた。
「もう、二度ときみを手放さない」
ぎゅっと抱きしめられ、糸のような細い目がポロっと涙がひとつ落ちた。
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