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第7話

『おはよう。麻陽が好きそうなケーキ屋を見つけた。ここ知ってる?』  午前八時。のんびりと目覚めた麻陽は、彼のトークルームを真っ先に開いた。  文字の後には写真が添付されている。車内から撮ったのか、ガラス越しに店の看板が写っていた。知らないところだ。 『知らない』  そう打ち込んでシャワーに向かおうと思ったのだが、なんとすぐに既読がついた。  これはまさか今から返事がくるのでは。そう思って画面を睨み付けていると、思ったとおり、トークが追加された。 『今度行かない? お昼の時間で大丈夫。御馳走させて』 『やったー。いく』 『じゃあ明後日はどうかな。今日と明日は忙しくて』  麻陽がすぐに出勤を確認すると、明後日の昼間は偶然、オーナーによる気遣いの昼間オフだった。 『いけるよー』 『よかった。時間と待ち合わせ場所はまた連絡する』  それを見て、麻陽はようやくシャワーに向かった。  麻陽には店舗内の一室が自室として与えられている。それは仕事中に使う部屋とは違うところだが作りは同じで、特別広いわけでもない。しかしもう三年もここで暮らしているから、麻陽にはこの広さで充分だった。もともと物も少なく狭いと思うこともない。不便に思ったこともなくて、麻陽にとっては城である。ちなみに、先日もらったお花は仕事の部屋に飾ってある。その花を見ていると落ち着くし、心強くも思えるからだ。  シャワーを終えて麻陽が部屋に戻ると、ちょうどボーイが入ってきた。馴染みのボーイである。 「お、あっちゃん。居ないんかと思った。いきなりだけど、今日の午前中の客キャンセルね」 「えー、ひまー」 「オーナー来てっから。着替えたら奥おいで」 「え! ツクモさん来たの!?」 「ふは、本当犬だなーあっちゃん」  クスクスと笑いながら、ボーイが楽しげに部屋を出ていく。麻陽は髪を乾かすことも忘れて着替えると、出て行ったボーイをすぐに追いかけた。 「うお! 早すぎだろ!」 「ツクモさん元気だった?」 「元気も元気、あの人が元気ない時ねえって」 「そっか」  麻陽を呼びにきただけだったはずのボーイは、結局奥まで麻陽を連れた。  スタッフルームのさらに奥。オーナーだけが入室できる、キャストもお断りのプライベートルームである。  ボーイは寸前まで来ると「ゆっくりしてね」と手を振ってロビーに戻る。それににこやかに返して、麻陽はすぐに扉を開けた。 「ツクモさん! おかえり!」 「おう麻陽。相変わらずちっちゃいなあ」  熊のような大柄な体に、重たい雰囲気。輪郭も骨格もゴツゴツとしていて男らしく、眉も太ければ目力もある。明らかに堅気ではない雰囲気の彼が、麻陽を拾ってくれた恩人の"ツクモさん"だ。  麻陽は慣れたようにツクモの膝に向かい合って座ると、その大きな体に抱きついた。ツクモも慣れているのか止める様子はなく、灰皿に置いていたタバコを持ち上げて吸い込む。 「……タバコ……赤ちゃん産まれたの!?」 「お、そうそう。産まれたよ。おまえの妹ちゃんだぞー」 「え! 嘘、見せて、見たい!」 「待て待て」  ツクモの番が出産をするということで、ヘビースモーカーだったツクモが禁煙をしていた。一人目の出産の時もそうだった。産まれても家では吸わないのだが、外ではある程度許してもらえるらしい。  わくわくとしながら待っている麻陽に、ツクモはすぐにスマートフォンの画面を見せる。そこには、産まれたての赤ん坊の眠る姿が写っていた。 「可愛いだろ?」 「がわいい!」 「そうだろそうだろ。 皇紀(こうき)も大喜びでなあ、妹見に病院行くって毎日毎日うるせえ」 「皇紀くんも元気? この間四歳の誕生日だったよね?」 「ん、元気。……つーか、気になるんならいいかげんうちに住めよ。何回も言ってるだろ」 「それはいーよ。他人がいたら寛げないだろうし」  卑屈になっているわけではなく、麻陽はただ、以前の叔父家族の様子を思い出して事実のみを口にした。  叔父の家族は居心地が悪そうだった。麻陽の顔は見えなくても、その家のどこかに居ると言うだけで落ち着かないのだろう。ずっと麻陽の存在を意識していたし、あまり笑顔も浮かべていなかったように思う。  ツクモのところにまでそんなふうになってほしくはない。ツクモのおかげで麻陽は今生きていられるのだ。ツクモには幸せであってほしい。だからこそ麻陽はただ淡々と拒否を告げ、うっとりとスマートフォンの画面を眺めていた。 「おまえはオレの家族だろうが」 「ん? うん。そーだよ。僕とツクモさんは家族」 「それなら一緒の家に住むのなんか普通だ」 「んー、でもさ、僕マドカさんとは会ったことないわけだし」 「おまえが散々拒否ったからな」 「だから一緒に暮らすとか無理無理」 「おまえが! 散々拒否ったからな!」  幾度となく「番も会いたいって言ってるから」と家に連れて行こうとしても、麻陽が頷くことはなかった。麻陽が断る理由は様々で、仕事があるから、行く気分じゃないから、甘い物を食べたいから、挙げ句の果てには「行く意味もなくない?」と言い出す始末。無理に引っ張るのも違うとツクモはそのたびに折れてきたが、ここでそれを理由に同居を拒否されると話は変わる。 「おまえは寂しがりやだし、うちに来たくない理由もなんとなく分かる。おまえにとっては家族がトラウマみたいなもんだ。だけどなあ、ずっとそのまんまってわけにもいかねえだろ。おまえもそのうち結婚とかすんだから」 「え、僕結婚するの?」 「知らねえけど……いつかはするだろ」  そういえば彼も「いつかは結婚をするんだろうし」と言っていたような気がする。  まったく考えたこともなかった。麻陽に家族が作れるとも思わない。作り方も知らないし、家族のあり方も分からない。  麻陽が誰かと結婚したところで、うまくいくはずがない。  ――風俗あがりのオメガなら結婚も難しい。  彼もそう言っていたし、麻陽には結婚など程遠い存在だ。 「僕はいーや、結婚とか。家族もいらないし。ツクモさんが居るもん」 「そりゃあおまえ……あー。こんっなにも可愛いおまえが独り身になんかなるわけないだろー!」  ツクモは自身の膝に座っている麻陽を抱き寄せると、ぐりぐりと額を押し付けた。 「そうだ麻陽、ハヤテから友達ができたって聞いたぞ」 「友達? あ、あー。言われたかも」 「ん? おお、まあそうか。よく分からんが……どんな相手だ?」 「どんな?」  たしかにボーイには「友達」と言われたが、麻陽の認識では友人としての認識は薄い。そもそも麻陽が「友人」というものを知らないから基準が分からないことが第一である。さらに麻陽は人に深入りするタイプでもないから印象を聞かれても難しくて、悩むような顔でうーんと頭を捻る。 「……なんかいっつも大変らしくて、よくカリカリしてる。僕にたくさんいろんなこと言うけど、最後には謝ってる人」 「なんだそいつは。年齢は? 性別は? バース性は?」 「年齢は知らない。働いてるって言ってたから社会人じゃない? 男の人で、アルファだって言ってたよ」 「アルファ!? アルファがおまえとどうやって友達になんだよ!」 「…………水かけられてから?」 「なんだそれ」  すっかり麻陽のペースになって、ツクモはがくりと肩を落とす。 「んじゃあ名前は」 「ことりさん」 「……はあ?」 「ことりさんって人」 「小鳥……女じゃねえの?」 「ううん。男の人だよ。……あれ? 女の人なのかな?」  容姿や骨格から勝手に男だと思っていただけで、麻陽の認識違いだったのかもしれない。今度会うときに聞いてみよう、と決意する麻陽のかたわら。まったく意味の分からない情報だけを聞かされたツクモは、やっぱり呆れたようにため息を吐いていた。  

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