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第13話
プツ、と通話が終わった。
それに気付いてスマートフォンを耳から離すと、小鳥遊は自身の手についた白濁をぼんやりと眺める。
九十九のことで話をしようと、麻陽に電話を持ちかけたのは一時間前のことだった。しかし既読がついても返信はなく、仕事中かもしれないと思いながらも小鳥遊から電話をかけてはみたが、一度目は出なかった。だけどもし今日がオフだったら? もしかしたら嫌われたのかと、そんな考えが過ぎると小鳥遊はいても立ってもいられなくて、電話をかけ続けた結果がこれだ。
麻陽のあられもない声を聞いて、小鳥遊は夢中になって自慰をしていた。
幸いなのは、電話をするのに専用のトイレを選んだことである。ここには小鳥遊しか来ないし、抜いてもバレることはない。
(……何をしてるんだ俺は……)
麻陽の乱れる姿を想像した。しかし彼は小鳥遊との電話越しに知らない男に犯され、甘やかに乱れてよがり果てていた。
心中はまったく複雑だ。麻陽の姿を想像して自慰をしていたのに、彼はリアルタイムで別の男に犯されている。それを思えば気分も悪く、今すぐにでも店に乗り込んでやりたい気持ちにすらなった。
ほんの少しの罪悪感。
それから目を逸らし、トイレットペーパーで丁寧に手を拭いて、スラックスを整える。
「……仕事中か……」
今も麻陽は、男に貫かれているのか。
麻陽からねだり、自ら腰を振っているのかもしれない。奥に出してと言っていた。あの小さな体を揺さぶられ、子宮を突かれて精子を誘う。ナカを締め付けて、相手が悶えても決して離さない。
キスをして、体に触れて、奥に匂いをつけさせるのか。
「今も……」
風俗に勤めている時点でそんなことは当たり前だ。これまでだってそうだった。それに関して、可哀想だとは思っても苦い気持ちになったことはない。
九十九は案外麻陽のことを考えていたし、いずれ九十九が相手を見繕うのであれば麻陽の将来は安泰だろう。別に今無理に辞めさせなくてもいい。そのうち九十九との関係も精算される。
何より、小鳥遊には関係がない。
(……だから別に……風俗にいたって……)
ため息を吐き出すと、静寂なトイレにはそれさえ大きく響いた。
分かっている。分かっていない。分かっているのに分からない。分かろうとしない。分かりたくない。分からなくていいと思っている。矛盾がぐるぐるとせめぎ合い、だんだんと苛立ちを覚えてきた。
「ああ、くそ。でもムカつくもんはムカつく!」
小鳥遊も馬鹿ではない。理屈では分かっている。しかし感情が追いつかないのだから仕方がない。
九十九の態度や、麻陽が風俗にこだわること、九十九から離れようとしないことも、今日声を聞かせたのだって何もかもに腹が立つ。自分ばかりが振り回されて、当の本人はセックス中だと? 人をこんなにも悩ませておいてほかの男に抱かれているとは、いったいどういう了見なのか。
「そんなに抱かれたいなら俺が、」
俺が、誰よりも優しく抱いてやるのに。
喉の奥につっかえた言葉は、飛び出す前にどこかに消えた。
何を言おうとしたのだろう。
そんなことを思って、小鳥遊は思わず頭を抱える。
「いや待て違う。俺は別に友人として……風俗は一般的に良く思われないし麻陽が気にしなくても世間の目が厳しいことには変わりないからやっぱり麻陽が可哀想で、あいつが風俗を辞めたとき一人にならないようにしてやるのも友人のつとめだから俺はただ仕事や住居の提供を、」
「社長」
「わあ! 何だ、いきなり声をかけるな」
加倉の声に、小鳥遊の肩が大きく跳ねた。
「会議ですよ会議。便秘でした?」
「…………違う」
バン! と乱暴に扉を開けてトイレから出ると、加倉が爽やかにタオルを差し出した。加倉は潔癖だ。それも、男に対してだけ発症する厄介な潔癖である。
とっとと手を洗え、という笑顔に押されて、小鳥遊はひとまず丁寧に手を洗う。
「おれ思ったんですけどね、社長。そんなに神田さんが風俗に居るのが嫌なら、買い上げちゃえばいいんですよ」
「……買う?」
「そう。身請けっていうんでしたっけ?」
「……金を払って除籍させるということか?」
「そうそう」
いやしかし、麻陽の意思も関係なくそんなことをしては嫌われてしまうかもしれない。麻陽に嫌われるのは本意ではないのだ。麻陽を強引に身請けして九十九から引き離し、自身の家に閉じ込めるのは小鳥遊だけが幸せになる道である。そこに麻陽の幸せがないのなら、側にいてもきっと笑ってはくれないだろう。
これまで大変な思いをした分、これからは麻陽をうんと幸せにしたい。小鳥遊の隣でも笑ってほしいし、どうせなら好きにもなってほしい。
(……いやいや……そもそも俺の幸せが麻陽を囲うことなんてそんな……)
はず……ない、のか……?
「どうですか社長……ね、いいでしょ身請け。九十九さんに相談してみたらいいじゃないですか。神田くんにも説明してみましょうよ」
「……そんな話……ちょっと待て今忙しいんだよ俺は。そもそも何で俺はこんなに麻陽のことで頭を悩ませているんだ。分からなくなってきた。苛立ってもきたな。くそ、こんなときにあいつはセックスしてたんだぞ? あの店アルファは入れないからベータに抱かれてるってことだろ? ありえない。せめて俺以上のアルファを選ぶくらいしろ」
「何に怒ってるんです?」
「俺が知るか! くそ、イライラする……」
加倉からハンドタオルを奪うと、乱暴に洗った手をこれまた乱暴に拭いていた。
「ああ、もう。社長、好きな子がほかの男に抱かれて嫉妬する気持ちはよく分かったんで、おれがなんで身請け話を出したか理解してください? 最近イライラしすぎで部下がビビり散らかしてますよ」
「…………好き」
好き。
好き?
「え?」
「ん、何です?」
あれ。好き?
「恋……?」
「…………はい。なんで社長がそんなテンションなんですか?」
「恋か」
「聞いてます? うわ、タオル引っ張らないでくださいよ千切れそう」
「恋か!」
そうか。恋をしていたのか。
心の奥に、すとんと落ちた。風俗を辞めさせたいのも、九十九に腹が立ったのも、頻繁に連絡をしてしまうのだって「恋」だからだ。今も正直腹立たしくて仕方がない。麻陽を抱いた男の性器はすべて切り落としてやりたい気分だった。
「加倉、俺は麻陽が好きだ」
「……やめてくれません? なんかおれが社長に告白してフラれたみたいになってるのが我慢なりません」
「ひとまず会議に行くぞ。会議しながら次のことを考えることにする」
「重役会議なんで集中してください絶対に」
小鳥遊はトイレを出ると、足早に会議室に向かう。加倉はそんな小鳥遊の背中を見つめて、やれやれと呆れ返っていた。
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