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第14話

「あれ? 僕ことりさんと通話したっけ?」  麻陽がそれに気付いたのは、夕方になってからだった。  今日は丸一日を仕事の日にした。九十九には「毎日はダメだが週に二回くらいならいい」と許可を得たため、今日をその日にしていたのだ。  仕事中は、仕事部屋にスマートフォンは持ち込んでも、待ち時間くらいしか見ることはない。今日はなぜか興奮した客がいて体力を持っていかれたからほとんど寝ていたし、確認が遅くなってしまった。  着信履歴の最後に、間違いなく通話履歴がついている。  ひとまずリダイヤルをしなければと、スマートフォンを耳に押し当てた。 「んー……仕事か」  出てもどうせ、風俗を辞めるようにと言われるだけだろう。  麻陽が九十九にとって邪魔な存在だと突きつけて、意地悪ばかりを言う。そんな言葉を進んで聞きたいわけもない。麻陽はすぐに電話を切ったが、耳から離した瞬間にそれはすぐに震え出した。  小鳥遊が出たと同時に切ってしまったのかもしれない。  ディスプレイには「ことりさん」が表示されて、麻陽は少し唇を尖らせた。 「はい」 『……麻陽?』 「電話した? 僕話した記憶ないんだけど、通話したみたいになってて」 『あー……うん。いや、いいんだそれは』 「そう。……じゃーなんの用で電話したの」  パタン、としっかりと部屋を閉めて、麻陽はすぐに自室のベッドに横たわる。 『なんか怒ってる?』 「怒ってるっていうか……どーせことりさん、風俗やめろとか言うだけだもん。ツクモさんとも離れろって」 『そりゃ俺は……って麻陽、なんで九十九さんだけちゃんと九十九さんって呼ぶんだよ』 「? ツクモさんはツクモさんでしょ?」 『それなら俺も……いや、いいか。ことりさんって麻陽が言うと可愛いし……』 「ことりさん? なに?」 『なんでもないよ』  歯切れの悪い言葉を、麻陽は追いかけることはしなかった。  あまり深追いしてまた口煩く言われてはたまらない。麻陽はぷくっと頬を膨らませて、分かりやすく不機嫌な顔をしている。 『その……この間言ったことは取り消さない。九十九さんとの関係は終わらせるべきだと思う』 「なんでそんなことことりさんに言われないといけないのー。嫌。僕はツクモさんから離れない」 『だから番の人の気持ちは……って、実は俺がやめてほしいだけなんだけど……』 「ことりさんが? なんで?」 『んあー……それはまた今度。……この電話はね、ただ麻陽の声が聞きたかっただけっていうか』 「声?」  そんなものを聞いてどうなるのだろう。ごろごろとしながら、麻陽は布団に潜り込んだ。 『寝る前に電話とかしたらダメ? 今日はちょっと早めだけど、明日から』 「んー、別にいーよ」 『じゃあ約束な。……あ、それと、またどこかに行かないか。麻陽に会いたい』 「お礼?」 『お礼でも謝罪でもないよ』 「また? エッチが目的でもないんだよね?」 『ごふッ!』  麻陽は思わず耳元からスマートフォンを引き離した。通話先ではまだ咳き込んでいる。それが終わったと察してようやく、麻陽はそれを定位置に戻す。 『そんなわけがないだろうが! そりゃ俺だって、まあ、いろいろあるけど……俺は別に、麻陽とのセックスが目的で会いたいって思ってるわけじゃない。それはまた別として、まずは友人にでもなれたらとか……』 「お友達?」 『そう。友達。まずは』 「まずは?」  麻陽にはよく分からなかったけれど、なんだか必死に思えたから「分かった」と返しておいた。 『ちなみに俺ね、明日一日休みねじ込んだんだけど……ちょっと長く会えたりしない?』  麻陽はすぐにスケジュールを確認する。 「あ、僕も休みだ」 『え! 本当に?』 「うん」 『えー……じゃあ、朝から夕方までとか、会える?』 「会えるけど……そんなに居たら疲れない?」 『…………麻陽は、疲れるか?』 「んー、どーだろ。そん時にならなきゃ分かんない」 『じゃあ明日十時に、そっちの最寄り駅で』 「ん、分かったー」  返事をしたと同時、スマートフォンからピピ、ピピ、と不規則な音が聞こえてきた。耳を離して確認すれば、ツクモさん、とディスプレイに追加表示されている。 「あ、ことりさんごめん、ツクモさんからキャッチ入ってる」 『ああ、シフトのことかな……じゃあ麻陽、また明日。十時に駅前で。おやすみ』 「うん、おやすみー」  シフトのこと、とは何だろう。そう思いながらも、麻陽はすぐに九十九からの着信に出る。  繋がった瞬間、麻陽が「もしもし」と言う前に、向こうから「麻陽!」と大きな声が聞こえてきた。 「わっ、何!? ツクモさん、どしたの!?」 『小鳥遊に何か言われなかったか? 結婚がどうとか』 「……た、たかなし……? さー、知らないけど……結婚なんて言ってくる人いるわけないじゃん」 『そうだ間違えた、ことりだことり』 「ことりさん? ことりさんなら今電話してたけど」 『何も言ってなかったか?』 「明日朝から会いたいって、そんくらい」  麻陽の言葉を聞いて、通話先の九十九からは長く深いため息が聞こえた。 「……何かあった? ことりさんのこと?」 『麻陽の今週からのシフト、真っ白だ』 「へ?」 『全部そのことりさんとやらが買い占めたからな。キャンセル料も含めて、さらに色つけて払いやがった。ひとまずこの先一ヶ月はずっとおまえはことり専属だ』 「へー、ことりさんってお金持ちだったんだね」 『……言うに事欠いてそれか。さすがだな麻陽……』 「だってことりさん、お店辞めろって言ってたもん。どーせそれで変に手を回したんでしょ」 『麻陽、大丈夫か?』 「……なにが?」  布団にさらに潜り込んで、麻陽はぎゅうと体を丸める。  一ヶ月間人肌はない。誰とも触れ合わない。彼の専属なら、彼としかそういったことはできないのだろう。だけどついさっき「体は目的ではない」と言っていたから、彼と触れ合うことも望めない。  麻陽は寂しいことが嫌いなのに、ひとりぼっちになってしまった。 『俺がことりを黙らせてもいい』 「……黙らせる?」 『迷惑してるなら言え。……おまえが寂しがりやなのは知ってる。でも俺は側に居られないことも多いしな』 「僕のところに来るくらいなら家に帰りなよ。……ありがとー、ツクモさん。でもことりさん悪い人じゃないんだよ。明日ちょっと話してみる」 『大丈夫そうか?』 「大丈夫だって、心配しすぎ」  麻陽の控えめな笑い声に、通話先からも安堵の息が漏れた。  その後も二、三話して通話が終わる。静まり返った部屋で一人、麻陽は丸くなって目を閉じた。  

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