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第15話
電車に乗ろうと駅に着いたところで、やけに派手な車を見つけた。
ギラギラと輝く黒のボディ。麻陽でも知っている有名な高級外車であるそれは、駅前のロータリーに止まるにはあまりにも違和感がある。
何だあれー、なんて野次馬気分で通り過ぎようとしたのだが、そこでちょうど人が一人降りてきた。
「麻陽、おはよう」
「…………あ。ことりさんだ」
「え? うん。なに?」
「おはよー」
そうだこの人金持ちだったんだ。麻陽は自分のシフトが一ヶ月丸ごと色をつけてお買い上げされたことを思い出して、マイペースにそちらに歩み寄った。
「今日も可愛いね」
「? ありがとー……?」
麻陽を迎えるように助手席側にやってきた小鳥遊は、麻陽の腰を抱き寄せて頭にキスを落とす。
はて。これまでの彼はこんなことをするような男だっただろうか。麻陽は頭にいくつものハテナを浮かべながら、しかしすぐに考えるのは面倒だと放棄した。
小鳥遊が扉を開くと、麻陽はすぐに乗り込んだ。特に抵抗もなく、「車持ってたんですね!」なんて見れば分かるようなことも言わない。ぼんやりと乗り、すぐにきちんとシートベルトを締める。
「今日はね、今度新しくオープンするレストランのプレオープンの日だから、そこに行こうかなと」
「へー、僕プレオープンとか行ったことない」
「そうか。初めてが俺で嬉しいよ」
あれ、やっぱりことりさんが少しおかしい。
麻陽はポリポリとこめかみを人差し指でひっかきながら、でもなにが違うのかが分からずに首を傾げる。次第に考えるのが嫌になって、いつものように考えることをやめた。
「そーだことりさん、僕のシフト」
「ああ、聞いた? そういうことだから、麻陽は俺の専属ね」
「…………余計なことをしたね」
運転をしていた横顔が、赤信号で振り向いた。気まずそうな顔だ。麻陽と目が合うとすぐにパッとそらされて、青信号でこれ幸いと発進する。
「僕、エッチしたい」
「……待って、ちょっといろいろ待って」
「僕の生活はエッチで成り立ってるの。でもことりさんのせいでなくなった」
「や、本当……運転ミスるからやめて」
「ことりさんがエッチしてくれるの?」
パン! と、一足遅く、小鳥遊の片手が麻陽の口元を押さえた。
麻陽のぼんやりとした瞳はまっすぐに小鳥遊を見ている。小鳥遊は、耳まで赤く染めていた。
「ほほいはん」
「わ、そこでしゃべるな」
手の平に吐息が触れて、小鳥遊は慌てて手を離した。
「……悪かったよ、勝手なことして。……麻陽の性質はまあ、あの人から聞いたけど……それでも俺は嫌だったし……」
「ことりさんがエッチしてくれるの?」
「何でそこ繰り返すかな。……俺は麻陽とはできない。しっかり向き合いたいんだ」
「えー。意味分かんないー。じゃあ仕事じゃなかったら誰かとしていー?」
「ダメに決まってるだろ!」
突然の怒号に、麻陽はびくりと肩を揺らす。驚いたように目を瞬いていた。小鳥遊も自身の声に驚いたのか、すぐに「悪い」と言葉を続ける。
「あー……じゃあ、俺の家に住む? 一ヶ月」
「ことりさんち?」
「そう。一緒に寝るくらいなら……多分できるけど」
「エッチは?」
「しないぞ」
「えー……ぎゅってして寝る?」
「…………す、するか?」
うーんと悩む麻陽の隣で、平静を装う小鳥遊の心臓が騒がしく跳ね回る。
まさか自分がこんなことを言うとは思ってもみなかった。小鳥遊の計画としてはまず、麻陽を自身の存在に慣れさせるために毎日の電話、頻繁にデートをして距離を縮め、麻陽の気持ちが傾いたところで除籍に持っていくという段取りだった。一ヶ月を過ぎれば延長も厭わない。それほどじっくりと距離を詰めようと思っていたのだが……。
(……麻陽が仕事じゃなく誰かと寝るとか言うから……)
ドキドキしながら答えを待つ。
小鳥遊は実は家には寝に帰るくらいだし、小鳥遊の忙しさをなんとなく察した麻陽から「そっちにいる方が寂しい!」と断られる可能性もある。断られたらどうする。麻陽の監視を強化しなければ、ふらふらとどこかの男について行くかもしれない。
「手は? 繋いで寝る?」
「えっ……ぎゅっとして、手も繋ぐのか?」
「そーだよ。お風呂は一緒?」
「ぐ……えー、と……風呂?」
「トイレにはついて行ってもいい?」
「それはちょっと……」
「ちゅうは? 側にいるときはたくさんしてくれる?」
「……ま、待ってくれ……えっと……」
正直想像するだけで勃起しそうである。
帰ったら麻陽が家に居る。どこに行くにもついてきて、隙あらばキスをし、そしてトイレにまでやってきて、風呂に一緒に入る。互いに体を洗いあって湯船につかり、同じベッドに入って手を繋いで抱きしめ、
「無理だ!」
ばん! とハンドルを強く叩くと、麻陽が驚いてピャッと跳ねた。
「麻陽、手加減してくれ。一緒には寝る。それだけにしよう」
「えー。んー。ええー」
「頼むよ。……大切にしたいんだ」
真っ赤になった真剣な横顔を見つめて、麻陽は考えるように眉を寄せる。
――別に麻陽は、小鳥遊に大切にしてもらいたいわけではない。ただ側にいてくれたらいい。どこにもいかず、できればずっと触れ合っていたい。寂しい時間は嫌いだ。それさえなくなればいい。
「……麻陽?」
一人は寂しい。だから暇な時間は必ず外に出ていたし、客はギリギリまで引き留めた。ボーイには必ず声をかける、話しかけられたら絶対に聞き逃さない。
それでも、麻陽の側には誰も居てくれなかった。
九十九には家族がいる。麻陽はその中には入れない。だから麻陽はひとりぼっちだった。
誰かが側に居てくれたらと思っていた。一人でいい。そんな人が居てくれたなら、麻陽だってよく眠れるだろう。悪い夢も見ない。安心して眠れる。
誰かが、居てくれたなら。
「……一緒に寝てくれるの?」
麻陽の小さな言葉に、小鳥遊がパッと振り返る。しかしすぐに運転を思い出したのか前を向いて、興奮気味に何度も頷いた。
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