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第18話

「変な子。……本当に和真のことなんとも思ってないんだね」  やけに突き刺さる言葉に、小鳥遊は何も言い返せなかった。  分かってはいたが改めて突きつけられれば痛い。 「俺のことはいいんだよ」 「……本当にごめん。勝手に別れたいって逃げた」  テーブルに額を引っ付ける勢いで、長岡が深く頭を下げた。 「すごく好きだった。和真と結婚したくて、このままじゃ嫌で、だから何度も結婚しようって言ったのに、和真が全然相手にしてくれないから……」 「……俺も悪かったよ。押し付けとか八つ当たりとか、正直心当たりしかない。それでも俺のこと好きって思ってくれてたつぐみのこと追い詰めて、悪かった」  長岡がパッと顔を上げる。少しだけ意外そうな目をしていた。 「なに?」 「いや……和真って謝れるんだね。なんかちょっと新鮮かも」 「はあ? 俺謝ったことあるだろ」 「ないない。なんかずっとイライラしてて、いつも気を張ってたし……悪いことをしたって気付いてない、っていうのが正しかったのかな」 「……そう、か……それは……」  居心地の悪そうな小鳥遊を見て、長岡は苦笑を漏らす。そうしてちらりと麻陽を見つめた。  麻陽は長岡の友人と二人、何かを話しながら、綿貫にサービスされたデザートを食べている。 「電話で『別れよう』って言ったら、怒って飛んできてくれるかなって思ったんだけどね」 「仕事中だった」 「それでも。……僕は仕事中でも、飛んできてほしかった。別れたくないって言ってほしかった。だから賭けだったんだよ。負けちゃったけど」  ふぅ、と短く息を吐いて、椅子の背にもたれる。長岡は最初ほど苛立っていない。それどころか、少しすっきりとした様子だった。 「その後も連絡とかくれないんだもんなー。仕事が終わったらしてくれるかなって期待したけどそれもないし、仕事が落ち着いた頃かなって待ってみてもこないし。実家に確認したら婚約はとっくに解消されてるって言われるし」 「それは、電話で別れようって言われたから……」 「分かってるよ。……僕はただ、和真の特別になりたかっただけ」  小鳥遊は小鳥遊なりに彼を大切にしていたつもりだった。それでも「特別か」と聞かれればたしかに違うような気もする。  長岡は自立したパートナーだった。同じ目線に立って生きていける、背中を預けられる戦友のような感覚だったのかもしれない。それはきっと長岡が望んでいたものではなくて、小鳥遊の認識と長岡の求める関係がちぐはぐだったから、二人はバラバラになってしまった。 「今日、会えて良かった。しっかり話したいって思ってたけど、僕から連絡するのもなんか嫌でさ。……プライドが高いって面倒だよね。本当の気持ちまで分からなくなる」 「俺も。なんかすっきりした」 「はは、あの子のおかげだ」  長岡がそちらを見ると、小鳥遊の目も追いかける。  ちょうど綿貫が麻陽にもう一つデザートをサービスしているところで、麻陽が嬉しそうに受け取っていた。 「あの子さ、馬鹿でしょ」 「そ、それはどういった意味で……?」 「いろんな意味で。頭悪そうだし、なにも考えてなさそう。正直すぎ、素直すぎ、考えなさすぎ。学もない」 「否定できない」 「でもちゃんと、大切なことは分かってるんだね」  長岡が悔しそうに呟いて、小鳥遊に視線を移す。 「なにその顔。自慢したいの?」 「麻陽の側は力が抜けるだろ?」 「あーあ。惚気だ」  長岡は最後、泣きそうな顔で笑った。そうして長く息を吐いて、微かに顔を伏せる。  終わらせるような、静かな時間だった。だから小鳥遊も何も言わず、ただ海を眺めていた。 「……ごめん。ありがとう。頑張って。これからは良い友人として居られると思う」  ぎこちない笑みを浮かべると、長岡は席を立った。自身のテーブルに戻り、麻陽と会話をして小鳥遊を指す。  少しの後、麻陽が戻ってきた。 「良かったの?」 「綿貫からどれだけデザートをもらったんだ?」 「ん、なんかたくさんくれた」  麻陽の髪の毛はまだ湿っている。だけど麻陽はまったく気にしない。それまでと変わらない様子で椅子に座ると、次にやってきた料理に目を奪われていた。 「ん? ことりさん、なに?」  料理を見ていた麻陽の目が、上目に小鳥遊に向けられた。 「なにって?」 「いや……ニヤニヤしてる」 「に、ニヤニヤ?」 「うん。変なの」 「……そうだな。変なのかもな」  小鳥遊の中で、"結婚"はこれまで"縛るもの"だった。窮屈だと思えた。何もかもを相手に捧げるのはそれまでと変わらないのに、紙一枚を提出しただけで拘束が強くなる気がしていた。逃げられないという感覚が嫌だったのかもしれない。だから長岡から結婚の話が出るたびにうんざりとしていた。  ――たった紙切れ一枚。  それがあるからこそ、小鳥遊も相手を縛ることができるというのに。 (縛られることばかりを考えて、そっちを考えたことがなかった) 「ことりさん?」  どうやらまた、麻陽を見つめて固まっていたらしい。  頬に料理を詰め込んだ麻陽が、不思議そうに小鳥遊を見ている。 「……俺さ、花屋の前で水をかけられた日を、ずっと人生で一番最悪の日だって思ってたんだよ」 「ん? うん。そーでしょ。言ってたし」 「うん。でももしかしたら、俺にとっては最高の日だったのかも」 「…………ん?」  あのとき偶然、麻陽と共に水をかけられた。苛立つままに怒鳴り込んで、麻陽が小鳥遊に抱きついて。あっさりスーツを弁償したかと思えば消えて、学生にも見える若い子にスーツを弁償させた罪悪感から麻陽を探して、気がつけば連絡をとって、約束を取りつけて、会いたくなって。  今ではもう、麻陽と一緒に居たいと、結婚したいとまで思うようになってしまった。 「……ことりさんどしたの? なんか変だよ」 「変でいいよ。美味しい?」 「うん。このお店好き。たくさんデザートくれるし、ご飯美味しー」 「そっか。じゃあオープンしたらまた改めて来よう」 「いーの?」 「いいよ。次はちゃんとクルーザーを手配するから、ジェットスキーとかダイビングもやってみるか?」 「ことりさんの家族も一緒?」 「それは無理だな。忙しい人たちだから」 「じゃー楽しくないかもしれないよ。ことりさん、みんなが一緒だったから楽しかったんでしょ」  ピタリと、小鳥遊が固まった。  家族が居たから楽しかったと言った覚えはない。だけどまさか麻陽が「楽しそう」と言ったのは小鳥遊の言葉をそうとらえていたからだと思えば、見透かされたような心地だった。  自分でも気付いていなかった。そんなところを暴かれて、小鳥遊の頬がほんのりと赤くなる。 「……いいよ。俺は、麻陽となら何してたって楽しいから」 「そーなの?」 「そうだよ。一緒に居たいだけだからな」 「ふーん」  他人のことには敏感になれるのに、どうして自分のことになるとこんなにも鈍感になってしまうのか。それほど小鳥遊に興味がないのかと思えば崩れそうにもなるが、麻陽が相手なら仕方がない。  これからたくさん愛してやって、たくさん幸せにしてやらなければ。  麻陽はやっぱりマイペースに食事を楽しんでいた。けれど小鳥遊は何かを言うこともなく、それをにこにこと見守るだけだった。  

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