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第22話
翌日も、麻陽はベッドから出てこなかった。布団に丸まったまま、そこから小鳥遊を見ることもなく手だけで見送る。
小鳥遊は少し寂しい素振りを見せてはいたが、眠たいのなら仕方がないかと諦めて会社に向かった。
玄関が閉まる音がして、麻陽はようやく布団から顔を出す。すぐにスマートフォンを掴んだ。
『昼前に迎えに行く。地図送れ』
九十九からのメッセージだ。アルファに会わせると言っていたからその件だろう。昨日の今日でさっそくかと、麻陽もさすがに脱力する。
九十九に会えるのは嬉しいけれど、誰かと引き合わされるのは億劫だった。セックスをするわけでもないし、お見合いとか結婚と言われても麻陽にはいまいちピンとこない。
(……ピンとこないのに……)
小鳥遊に言われたときにはやけにそれが身近に感じて、"結婚"というものに少しばかり興味が湧いた。
「はぁ……お風呂入ろー……」
――九十九いわく、麻陽は小鳥遊とは結婚はできないらしい。
言われたことはよく分からなかったが、小鳥遊の家がすごいところで、その家族が小鳥遊にオメガが近づかないように手を回していることはなんとなく分かった。
それならどうして、小鳥遊が自ら麻陽に「結婚したい」などと言ったのだろう。
無理だったのなら最初から言うはずはない。昨日も態度はまったく変わらなかったし、麻陽をしっかりと抱きしめて眠ってくれた。
風俗には結婚していても関係なく通う男も居たが、その感覚なのだろうか。いいや、あの小鳥遊がそんなことをするはずがない。麻陽から見ても小鳥遊は誠実な男だ。先日元婚約者と話したときだって、遠目に見てもきちんと向き合っているように見えた。どんな扱いを受けてもなにを言われてもしっかりと対応をして終わらせられるような男が、誰かに対していい加減なことをするとは思えない。
九十九を信じればいいのか、小鳥遊を信じればいいのか。
もともと考えることが苦手な麻陽は、最後にはやっぱり考えないことを選んだ。
悩むだけ無駄だ。もう面倒くさいから、とりあえず九十九に言われたとおりにしてやろう。九十九は頑固な男だからひとまず従っておいて、何度目かでもう一度断りを入れればいい。
そうだそうしよう。もう考えたくない。頭が痛くなってきた。
風呂から出ると、麻陽はすぐに準備を始める。
麻陽の行動はまったりとしている。途中でぼんやりしたりスマートフォンをいじったりとするうちに、予想外なほどの時間が過ぎているのだ。だから早すぎるくらいから準備を始めてちょうどよく、麻陽はいつもの洋服に着替えた。
するとメッセージが一つ届く。小鳥遊からだった。
『今日も出来るだけ早めに帰るよ。今日は家に居てほしい』
なんだか様子がおかしいように思えて、「どうしたの?」と返しておいた。するとすぐに既読になり、素早く返信が送られてくる。
『どうしても。帰ってすぐに麻陽に会いたいから』
『分かった。昨日よりは早めに帰るね』
『どこか行くの?』
『九十九さんに呼ばれてるだけ』
アルファと会うことは小鳥遊には内緒にしろ、と言われたために、素直に打ち込もうとした指が止まる。言わないというのは嘘をつくことにはならないだろう。麻陽は自身を納得させ、呼ばれているということだけを伝えた。
『そっか。気をつけてね』
あんなにも九十九から離れろと言っていたのに、意外とあっさりと引いた。これまでの過剰なまでの九十九への反応を考えれば、これにはつい麻陽も面食らう。しかし追及されないのは良いことだ。そのまま「ありがとー」とだけ打ち込んで、またのろのろと準備を始めた。
九十九と合流すると、知らないレストランに連れて行かれた。たまに麻陽が連れられてくる雰囲気の良い高級なところだ。適当な場所で顔を合わせるだけかと思っていた麻陽にとって、それは少し予想外だった。
「……ツクモさん。僕、話進めないからね」
「まあのんびり考えようや。すぐに結婚しろって言ってるわけじゃない。恋愛から始めるのはアリだろ」
「……恋愛? 恋のこと?」
「そ、麻陽にはちっと難しいかもしれねえがなあ」
恋といえば、小鳥遊が麻陽に言っていたことだ。
楽しくて幸せで、触りたくて、離れたくなくて、ずっと一緒に居たいと思う。そんな気持ちを抱いたら、それは恋をしているということらしい。
小鳥遊は、麻陽に対してそれがあると言っていた。麻陽に触れたくて、麻陽とずっと一緒に居たいと思っている。だから麻陽を幸せにしたいと言ってくれた。
(……別に、ことりさんがそう言ってくれてるんだから……)
麻陽が小鳥遊の側を離れる必要なんかない。九十九の言っていることはいわゆる「大人の事情」というやつである。それは麻陽と小鳥遊には関係がないし、何より小鳥遊自身が麻陽と結婚をと求めてくれているのに、ほかに相手を探す意味も分からなかった。
だけど九十九は頑固な男だ。そして本気で麻陽のことを思ってくれているために、申し出を強く断ることも気が引ける。
三年前、麻陽を拾ってくれたのは、ほかの誰でもない九十九である。
見捨てることもできた場面で麻陽に声をかけ、そして親身になって事情を聞いてくれた。麻陽を強く抱きしめた九十九は、何も考えずにゆっくり暮らせと店舗内の一室まで貸してくれた。服も食い扶持も、九十九が与えなければ麻陽はのたれ死んでいたかもしれない。
九十九は麻陽の恩人で、そして大切な人である。
九十九が満足するのなら、アルファと会うことくらい我慢はできる。
それでも心だけは九十九の思いどおりにはならないから、麻陽はそっぽを向いているけれど。
「よお長谷部、元気だったか」
「元気だよ九十九。久しぶりに連絡寄越したと思ったら、お見合いって何?」
「おお、この子。神田麻陽」
麻陽、おいで。
呼ばれて個室の中に入ると、一人のアルファと目が合った。
「……想像より可愛かった」
「だろ? 俺の自慢の子だからな」
「冗談、九十九さんの遺伝子でこんな可愛い顔が生まれるわけがない」
「なんだと」
麻陽は事前に「相手は麻陽が風俗で働いていることを知っている」と九十九から知らされていた。
だから何も隠す必要はないのだけど、やっぱり麻陽の気は重たい。
いつもは美味しいと思う料理も、今日ばっかりは味がしなかった。
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