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第23話

 小鳥遊が家に帰ると、麻陽が奥からやってきた。  音が聞こえたのか小走りにやってきて、そのまま小鳥遊に抱きつく。だから小鳥遊はいつもそこから麻陽を抱っこして、リビングまで連れていくのだ。  今日も同じ様に抱き上げて、麻陽の頬にキスをした。本当は唇にしたいところだが、そんなことをすれば止められず最後までしてしまうだろう。 「はぁー……落ち着く。麻陽、ちょっとこのままで居ていい?」  リビングのソファに座り、麻陽を膝に乗せて抱きしめる。  一日の疲れがどこかに飛んでいく瞬間である。 「ん? スーツは? 脱がないの?」 「今はこっちのほうが大事だから」  小鳥遊の言葉に応えるように、麻陽も強く小鳥遊を抱きしめた。  ――九十九の香水の香りがする。  麻陽の体から微かにそれを感じ取って、小鳥遊はピクリと眉を揺らす。  ここ最近、麻陽は九十九と頻繁に会っている。しかし食事をしているだけらしく、麻陽のGPSはホテルに向かうこともなく、いつも料亭やレストランで動きを止めていた。  いったい何が目的なのか。GPS確認するたびに違和感を覚えるのだが、小鳥遊には九十九の考えが分からない。  番が居るのに麻陽とデートをしているのかと、最初はそう思っていたが、こうも繰り返されればさすがに違うと分かる。デートにしてはワンパターンだ。食事をして帰るだけ、というのもおかしな話である。 (……麻陽に変わった様子はないし……)  朝のメッセージのやりとりでだいたい「九十九さんと会う」と言われるから、一度だけ「何してるの?」と聞いてみた。そのときにも「ご飯食べるだけ」と言われたから、麻陽の位置情報から得られることとなんら変わりないことだしと、放置を決め込んでいる。  とはいえ、買い取った一ヶ月の半分がもうすぐ終わる。そろそろ本格的に九十九から麻陽を引き離したほうが良いだろう。 「麻陽……九十九さんと会うの、控えてくれない?」 「……なんで?」 「なんでって……俺、麻陽のことが好きだから、やっぱ面白くない」 「…………面白くない?」  小鳥遊の腕の中で、麻陽が不思議そうな声を出す 「ほかの男と会わないでほしい。俺だけの麻陽で居てほしいんだ。恋人ってわけでもないから、俺がこんなこと言うのはおかしいんだけど……」 「ほかの男と……」  ぼんやりとした調子で何を考えていたのか、麻陽は少し体を離すと、じっと小鳥遊を見つめた。 「ことりさん、僕が誰かと会うの嫌?」 「嫌だ。絶対嫌」 「もしも僕がことりさんじゃない人と結婚するって言ったら、もっと嫌?」 「……何、その質問」  一瞬何かを考えた小鳥遊の目が、鋭く麻陽を射抜く。  別に麻陽には他意はない。ただ小鳥遊が嫌だと思うのなら、九十九を説得してアルファと会うのはもうやめようと思っただけだった。  麻陽だって小鳥遊と居ることが当たり前になってきた。誰かとセックスをし続けるよりも、小鳥遊に甘やかされて抱っこされたり頭を撫でられたりしているほうが居心地は良い。  手放したくないと思えるほどには大切な時間に思えていたからこそ、最近ではアルファと会うこともますます億劫になっていたところである。  だから小鳥遊も嫌だと思うのなら、麻陽はそろそろ終わらせようと思ったのだけど――。 「麻陽、結婚すんの?」 「しない。しないよ」 「……最近九十九さんとよく会ってるよな。あれなんで? 今の質問と関係ある?」 「な……ない……」  麻陽の目がするりと小鳥遊から逸れる。  小鳥遊の眉間にはさらに深くシワが刻まれていた。 「なんだよその反応。俺の目、見て」 「本当に……ツクモさんは関係なくて、」 「目を見ろ」  頬を掴まれて、強引に視線がぶつかった。  小鳥遊が少し怒っている。麻陽はどうしてそうなったのかと考えてみたが、答えはどこにも見つからない。  誰が怒っても誰に怒鳴られても、麻陽はいつも平気でいられた。相手に興味がなかったからだ。どんな感情を向けられてもどうでも良かったし、何をされても怖くなかった。  小鳥遊に出会ったときもそうだった。小鳥遊は怒鳴り散らして怒っていたが、何も怖いとは思わなかった。だから軽率に抱きつくことができたし、その後もマイペースに話を進めることができた。  だけど今はなぜか、小鳥遊が怒っていることに焦りを覚えている。  心臓が変に騒ぐ。逃げ出したくてたまらない。  怒られたくないなんて、誰かに対して初めて思った。 「……あ……ちが、僕は……嫌だって言ったんだけど……」  睨み付ける目が、そらすことを許さない。  麻陽は観念したように震える声を出したけれど、頭の中はぐちゃぐちゃで、何を言えば良いのかはまとまらなかった。 「ことりさんは、結婚できないって……だから、ほかの結婚相手を、でも僕、ツクモさんの気が済むならって、それだけで、別に本当に結婚とか、その人たちとは考えて、なくて……」  ぐぐ、と小鳥遊の眉がさらにキツく寄せられる。 「最近では……もう……会いたくない、て、思ったけど……でも……ツクモさんには、お世話になったし……だから、断るのも……」 「麻陽は九十九さんが大事なんだな」 「あ……え、と……」  掴まれていた頬が解放された。小鳥遊の怒りを孕んだ瞳は伏せられて、自身を落ち着けるためか深く呼吸を繰り返す。 「俺がどれだけ好きって言っても、九十九さんには勝てないか。俺がどれだけ麻陽の側にいても、やっぱりあの人を選ぶのか。……麻陽に必要なのは、俺じゃないのか」 「ちが、」 「違わないだろ! 九十九さんに言われたからアルファと会って、そっから結婚相手探してたんだろ!? 俺が好きって言っても、結婚しようって言っても、そんなことどうでも良かったってことかよ……!」 「っ……僕は……」  心の中ではずっと小鳥遊のことだけを考えていた。だからアルファと会っていたのも九十九の顔を立てるためだけで、本当に結婚相手を探していたわけではない。  だって小鳥遊が「結婚したい」と言ってくれた。九十九に何を言われても、麻陽はその言葉を疑わなかった。 「俺はうまくいってると思ってたよ。おまえも少しは傾いてるんじゃないかとか、このままいけば半月後には風俗やめてうちに住んでくれるんじゃないかとかさ、馬鹿みたいなこと考えてたんだよ。ああ本当に馬鹿だった。おまえにとってはその程度だ。今も昔も、俺に対する気持ちなんか変わらない」  膝に乗せていた麻陽をソファに下ろして、小鳥遊はそちらを見ないままで立ち上がる。 「もういい。少しでも期待してた俺が馬鹿だった」 「ことりさん、どこ行く、」 「今日は外に泊まる」 「待っ……」  小鳥遊は振り返ることなく、ダイニングを突っ切って出て行った。  扉が閉まる。空間を遮る。麻陽はそれから目を逸らして、ぐっと涙を堪えた。  誰かに怒られて涙が出てきたのなんか初めてだ。  いや、泣いたこと自体、もしかしたら麻陽にとっては初めてかもしれない。  叔父に組み敷かれても、客にどんな扱いをされても、誰に怒られても、叩かれても泣かなかった。悲しいなんて思わなかった。ソファを濡らす涙を見ながら、麻陽はそこで丸くなる。  こんなにも胸が痛いのはどうしてだろう。そんなことを思いながら、涙を流し続けていた。  

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