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第24話

 ピリピリと張り詰めた空気が会議室を満たしていた。  役員は気まずげに資料に目を落とす。誰も何も言うことなく、ただ時折、一番奥に座る小鳥遊に気遣うような視線を送っていた。  やがて、バン! と強くテーブルが叩きつけられた。それに役員は肩を震わせ、揃って小鳥遊を見つめる。 「誰だこの資料を通した奴は。誤字を一つ見つけた。確認はしたのか? こんな状態の資料をよく俺に見せようと思ったな」 「……も、申し訳ありません社長。再提出を、」 「必要ない。おまえたちがどれほどいい加減な仕事をしているのかよく分かった。今回の話は白紙に戻す。一から資料を作り直してプレゼンからやり直せ」  乱暴な仕草で立ち上がると、小鳥遊はそのまま会議室を後にした。  もちろん、側に立っていた加倉は小鳥遊に続く。専用のエレベーターを待つ時間も、小鳥遊の革靴はコツコツとリズムよく床を打ち続けていた。 「社長。午後からの会食ですが、キャンセルしますか?」 「なぜ」 「イライラしているようなので」 「してないだろ。キャンセルの必要はない」  舌打ちでもしそうに吐き出すと、二人はエレベーターに乗り込む。 「……最近は落ち着いたと思ったんですけど」 「何か言ったか?」 「……じゃあ、大学時代の先輩として言わせてもらうけど」  エレベーターが最上階に着いてすぐ、小鳥遊は早足に社長室に向かう。加倉はそれを呆れたように追いかけた。 「和真はいつも何かに追いやられてたな。大学時代からずっと、常にトップでいないとって気を張ってた。そのせいでイライラしてたイメージがあったし、ちょっと前までそうだったよな」 「それが?」 「今はすっかり変わったなって話。……雰囲気も柔らかくなったと思うよ。変な偏見も押し付けもなくなって、相手のことを考えるようになった。三十五にもなって今更かよって思うけど、和真の生きてきた環境だと誰も教えてくれなかったんだろうしね」 「だったらなんだよ」  社長室の扉を勢いよく開くと、小鳥遊は質の良いソファに乱暴な仕草で腰掛けた。かつて九十九とも向かい合って座ったそこは、そのときのことを思い出させてさらに小鳥遊を苛つかせる。 「神田くんと何かあったんだろ?」 「はあ?」 「最近の様子からして、彼と何かがあったとしか思えない。あの子がおまえを変えたとして、またおまえがそんなふうに荒れてるんだ、察して当然だろ。……協力ならしてやれる。何があった?」 「別に……九十九さんが手を回して、麻陽の結婚相手としてアルファと麻陽を見合いさせていただけだ。その上自分がほかの人と結婚すると言ったら嫌かと聞いてきやがった。つまりよそのアルファと結婚する気があったってことだろ? ありえない。俺はあいつに好きとも結婚したいとも伝えていたんだぞ」  思い出しても気分が悪い。  小鳥遊は態度でも示していたし、言葉も尽くしていたつもりだ。それでも麻陽には何も届いていなかった。長期戦になることは覚悟の上だったが、少しは傾いているのではないかと思えていただけに落胆は大きく、失望して怒りが先立った。  麻陽には「特別」なんて居ない。相手は誰でもいい。側に居てくれるのならそれは小鳥遊である必要はないのだと、正面から突きつけられたのだ。 「……あー、それで昨日ホテルに泊まったのか」 「しばらく帰らないからな」 「意地になるなよ。そんなあの子でもいいって思ったのはおまえだろ」 「分かってる」  そんなことは、加倉に言われるまでもなく小鳥遊が一番分かっている。 「今でも、麻陽であれば境遇なんか関係ないと思ってるさ。麻陽と居ると気が楽だ。あいつは言葉や感情に左右されない。いつも本質を見抜いて、正しいことに気付かせてくれる。あいつの中の不安や迷いは全部潰してやりたいし、愛情が欲しいなら余るくらい与えてやりたい。今でもそう思ってる」 「それなら、」 「分かってても欲が出るんだよ。……近づくたびに頬を染める。撫でるだけで嬉しそうに笑う。抱きしめればすり寄って、前よりも遥かに表情豊かになった。そんなの見てたら、麻陽も俺のことを好きになってくれたんじゃないかと錯覚する。……思ってたんだ。きっと麻陽が気付いてないだけで、俺たちは両思いだってな」  長いため息を吐き出して、小鳥遊はソファにずるずると深くもたれかける。 「……彼の様子は?」 「様子?」 「神田くんはどんな様子だったんだ? 和真は怒ったんだろ? そのとき、神田くんは何も言わなかったのか?」 「自分は嫌だったけどって言ってた。そりゃあそう言うだろ、怒られたんだから」 「……それはおかしいな。だっておまえさっき、神田くんは感情や言葉に左右されないって言っていたのに」 「うるさい」 「とにかく、会食をキャンセルしないんならイライラは隠せよ。おれのほうでもちょっと調べてやるから」  そう言って、加倉はしれっと業務に戻った。  デスクに座り、パソコンの液晶とにらめっこを始める。  ――勢いで家を出たというだけで、小鳥遊は別に何かをしようと決めたわけじゃない。  今はとにかく冷静になりたかった。あのままあの家に居たら麻陽を強引に犯し、嫌がってでも無理やり番にしていただろう。そんなものはこれまでの客と変わらないと、小鳥遊が理性を振り絞った結果である。 (結局あいつは九十九さん九十九さんって……)  拾ってもらった恩があるのは分かる。ひとりぼっちだった麻陽を救ったのは九十九だ。麻陽の中でその存在が特別な位置に置かれるのも普通のことだろう。  分かっているのに、どうしても腹が立つ。  スマートフォンを確認すると、麻陽のGPSの反応は家から動いていなかった。  どうせ今日も九十九に会うのだろう。それを思えば見たくもなくて、すぐにアプリをオフにする。 「……社長」  加倉の問いかけに適当に返事をすると、すぐに「緊急かもしれません」と焦ったような言葉が返る。 「小鳥遊総帥より、話があると」 「……父さんが?」 「風俗のオメガを囲っている件について、とありますが」  いったいどこから知られたのか。  ますます脱力した小鳥遊は、了解って返しといて、と、ぐったりとソファに横になった。

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