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第28話

 ぼんやりとしていた麻陽は、強引に九十九の車に乗せられ、気がつけば小鳥遊のマンションに連れてこられていた。  ああ帰ってきたのかと思ったが、小鳥遊と長岡のあんなやりとりを聞いて、素直に家で待っていられるわけがない。帰りたくないと思いながらもシートベルトを外すと、運転席の九十九が「荷物だけとってこい」と渋い顔で麻陽に告げた。 「もう家出ろ。店にも戻るなよ、押し掛けられる可能性がある。オレの家に行くぞ」 「え、いや、それは……」 「いいからとりあえず荷物とってこい」  九十九の家に行くかはともかく、小鳥遊の家から出ることには麻陽も賛成だった。  そもそも一緒に暮らすのはイレギュラーなことであったし、買い上げられたシフト分出勤しなければ良いだけの話である。残り一週間と少し。それくらいならホテル暮らしでもしようかと、麻陽は荷物をまとめてカードキーと書き置きだけを残し家を出た。 「ホテルもどうせすぐバレるだろ。それにおまえ、見つかったときオレが居なけりゃまーた流されちまうんじゃねえのか」 「うっ……たしかに……」 「な? 今は遠慮とかいいから、もっと自分のこと考えろ。マドカだって皇紀だって、生まれたての赤ん坊だっておまえに会いたがってる」 「そんな馬鹿な……」 「本当だって」  気分はずっと沈んでいたが、いつものように笑う九十九を見て、麻陽の心は少しだけ救われた。  車が静かに発進する。向かうのは九十九の家だろう。麻陽は当然緊張したが、それよりも小鳥遊に見つかる可能性のほうが怖かったから、大人しく助手席に座っていた。 「チッ。あいつが一番有力だったのによぉ……」 「? 何の話?」 「麻陽のパートナーの話だな」 「もう会わないってば。ことりさん、本当に怖かったんだから」 「……あー……あいつのことだからたぶん何かがあったんだろうなぁ。分かってっけど……はぁ。試したくなったんだよ。オレも歳取ったってことか……」 「九十九さんまだ四十三歳でしょ。若いよ」 「四十だ絶対間違えんな」  九十九の家は大きな一軒家だ。敷地は広く庭も充分にあって、人工芝が敷かれている。一番上の子が生まれたときにはりきって買ったのだと以前に麻陽に嬉しげに語っていた。  車を降りて、慣れたように玄関に向かう。麻陽はそれにやはり緊張気味に続きながら、九十九が「ただいま」と入っていくのを見守っていた。 「おかえり秀悟さん。あ……もしかしてあっちゃん!?」 「そうそう。緊急事態で引っ張ってきた」 「あ、わ、初めまして、えっと、神田麻陽です」 「あっちゃん! 初めまして、やっと来てくれたんだね! 会えて嬉しいよ!」  九十九と同じ身長ほどの、大きな男の人だった。麻陽を見た途端にその爽やかな顔を驚きに染めて、そして麻陽に突進するように抱きついた。うんと小さい麻陽なんかすっぽりと腕の中におさまり、まったく身動きが取れない。  オメガというよりもアルファのように見えて、麻陽も驚きから動けなかった。 「本当に大きくなったね、よく顔を見せて。……うん。本当に良かった。きみが生きていて……良かった」  麻陽には、彼が何を言いたいのかが分からなかった。けれども彼はしきりに「良かった」と繰り返す。少し涙ぐんでもいる。はて、麻陽は彼にどうしてそれほどまで気遣われているのだろう。  やがて彼の気が済んだのか、ようやく麻陽は解放された。 「上がって上がって。ちょうどケーキがあってね、ぜひ食べてほしいな」 「おいマドカ。愛しの旦那様が帰ったってのにおまえ、麻陽だけかよ」 「はいはいお帰りなさい」  麻陽の腰を抱いて奥に連れて行こうとするマドカに、九十九が拗ねたような声を出す。そんな子どものような九十九は初めてで麻陽は笑ってしまいそうだったが、マドカはきちんと心得ているのか九十九の頬にキスをしてなだめていた。 「それで? あっちゃんは旦那さん候補のおうちに居たんじゃなかったの?」 「あの野郎、オレと麻陽の目の前で別のオメガと結婚の話してやがった」 「なにそれ」  戸惑うようにリビングに入った麻陽は、初めて訪れた家を目だけできょろりと伺っている。「家族」の家になんか入ったのは久しぶりだ。風俗はファッションヘルスだったし、小鳥遊も一人暮らしだったから生活感はなかった。  場違いな気がして、目眩でもしてきそうである。おそるおそるソファに座ると、麻陽の隣に九十九の一番目の子どもである皇紀が腰掛けた。 「わ! こ、こんにちは……」 「あっちゃん?」 「あ、うん、そー……皇紀くん、だよね。初め、まして」 「あっちゃん!」 「わあ!」  皇紀が勢いよく麻陽に抱きつく。すると背後からクスクスと笑うマドカが、ケーキの皿を持ってやってきた。 「皇紀ね、可愛い子が大好きだから」 「は、はあ……」 「はー! ったくよお、信じらんねえよなあ。こっちの計画も台無しだよ」  マドカに続くようにやってきた九十九は、乱暴な仕草で麻陽の隣に腰掛けた。するとソファが大きく揺れる。麻陽の体も一瞬ぐらりと傾いた。 「何が計画だよ。秀悟さん、試してばっかりだったじゃん。あっちゃんの一ヶ月の買い上げを許可したくせに同居は引き止めるフリしてあっちゃんの気持ち測ってみたり、ネガティブなこと吹き込んでアルファ紹介してみたりさ」 「…………あいつが麻陽を好きなことなんか分かってたんだよ最初っから。問題はこっちだったろ?」 「その結果が『ほかのオメガと結婚の話』なんでしょ? 最悪」  麻陽がケーキを食べようとすると、皇紀がじっとそれを見る。だからなんとなくフォークを皇紀の口元に差し出してみれば、皇紀は素直にぱくりと食べた。 「あ、こら! 皇紀の分はこっちにあるでしょ。あっちゃんの取らないの!」 「やだ! あっちゃんからもらうもん!」 「離れなさい!」  頑なに麻陽から離れようとしない皇紀を、マドカがとうとう強引に引き離す。  そうして一人で座らせて、皇紀用のケーキを差し出していた。 「っと、早かったな」 「なに? どうしたの?」  自身のスマートフォンを見ながら、九十九がソファから立ち上がる。 「ちっと電話してくる。麻陽みててくれ」 「僕は子どもじゃないのに……」 「おれたちの子どもみたいなもんだよ。秀悟さん、ごゆっくりー」  マドカの言葉を受けて、九十九はリビングから出て行った。  

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