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第29話
九十九のスマートフォンに着信が入ったのは、リビングから出た九十九が早乙女とのやりとりを終えた、少し後のことだった。
暇つぶしに自身が経営するキャバクラのキャストに業務連絡をしていると、着信画面に切り替わった。知らない番号だ。しかし見覚えがあるために、九十九は躊躇うことなく通話ボタンをタップする。
「早かったじゃねえか」
『電話をしろと言われたんですが、何ですか』
思ったとおり、相手は小鳥遊である。
どこかに向かっているのか、小鳥遊の背後からは車を走らせている音が聞こえていた。
「聞きたいことがあったんだよ」
『……なんですか』
「おまえ、麻陽以外のオメガと結婚する気か?」
『…………はあ? 何かと思えば……ありえません』
「だろうな」
分かっていた。分かってはいた。九十九が出会った人間の中でも、小鳥遊和真という男は五本の指に入るくらいには誠実な男だ。これまでのことをほとんど調べ上げたがまったく後ろ暗いこともなく、性格は少々難ありとも思えたが、まあそんなことはほかのところを見れば取り立てて騒ぐほどのことでもない。
たぶんおそらく九十九と麻陽が偶然「浮気」とも取れる場面を目撃してしまっただけで、小鳥遊自身にはきっとその意思はなかったのだろう。
九十九がわざと麻陽に弁明しなかったのには、二人を試す意図があった。余計に引っ掻き回している自覚はあるが、ここまでしなければ九十九としても不安なのだ。
『今度は何をしようとしているんですか』
「何ってなんだよ」
『麻陽にですよ。……つい最近まで、俺に黙ってアルファを紹介していたみたいですね。どういうつもりですか』
「言っただろ、オレは麻陽には幸せになってもらいてえの」
『それなら俺と結婚することが一番だと思いません?』
それも、九十九は充分に理解している。
九十九が引っ掻き回さなければ、二人はもう結婚して早々に番になっていたかもしれない。だけど多少の困難を与えて、それでも乗り越えられるのかと確認しなければ、九十九は簡単には麻陽をやれそうにもなかった。
「分かってんだよなぁそんなこと。だから簡単にはあげたくねえっつーか。……小鳥遊の家は何も言ってこないのか。麻陽は風俗上がりだぞ」
『父は説得しました。元婚約者も麻陽を認めてくれていたので、協力をしてもらって』
「はぁ、なるほどね。あとはオレの承諾だけってか」
『あなたが麻陽の愛人ではなく父親がわりということなら、そうなりますね』
あ、そうだった。こいつ麻陽とオレの関係を変に勘違いしてるんだった。
なんてそのときにようやく思い出して、いいかげん教えてやるかと口を開く。
しかし。
九十九が何かを言い出すより早く、通話先から「まあ、もういいですけど」と小鳥遊の呆れたような声が聞こえた。
『さっき店に居た人と少し話しました。……聞いた印象ですけど、あなたと麻陽の関係はただの親子です』
「……なんだよ、面白い勘違いしてやがったのに」
『いいかげん子離れしてください。麻陽は俺が幸せにしますから』
「どうだろうなぁ。……おまえはよくても、麻陽は?」
『九十九さんのおかげで、麻陽はほかのアルファと結婚することを一瞬でも考えたかもしれませんね。思惑どおりでよかったですね』
「……教えてやろうか、俺が麻陽に構う理由」
知っているかもしれないと一応間を置いてはみたが、返ってきたのは沈黙だった。麻陽の血縁関係は調べたのかもしれないが、九十九の込み入ったことは調べなかったのだろう。
ふぅと軽く息を吐いて、九十九は改めて息を吸い込む。
「麻陽はなぁ、オレの幼なじみの子どもなんだよ」
『本当の子どもだって言われたらどうしようかと思いました』
「なわけあるか。……あいつの母親とは五歳くらいから仲が良くてな。中坊の頃には引越しちまって学区は離れたが、時々遊びに来たりもしてた。結婚報告もされた。子どもが生まれたのも知ってる。麻陽が生まれてすぐの頃には一回だけ会ったこともある」
『それならあなたが最初から引き取れば良かったのに』
「簡単に言うなよ。オレがどんな世界に居るかを知ってるだろ。麻陽を巻き込むわけにはいかない。……だからあいつが親戚に預けられると聞いて安心したんだが……やっぱ引き取れば良かったな。結果論だ。どうにもならねぇ」
『拾うタイミングが絶妙だったのはそういう理由があったんですね』
「ありゃ偶然だ。あの日たまたま麻陽の現状を知った。だから掻っ攫いに向かったら、身一つで追い出されてたんだ」
小鳥遊はどこかに停まったのか、車のエンジンを切ったようだ。シートベルトを外す音も聞こえる。
『なんでもいいですよ。……俺にはもうどうでもいいです。あなたの意思も、麻陽の意思も関係ない。麻陽は連れて帰ります』
「…………もう少し落ち着いてから話す時間を作ってやる。麻陽もショック受けてんだ、ゆっくりさせてやれ」
『言ったはずですよ、麻陽の意思も関係ありません』
「秀悟さーん、お客さんの予定あるー?」
リビングからマドカの声が聞こえて、一瞬考えた九十九は、次には弾かれたように立ち上がった。
まさか、いや場所は言っていないはずだ、小鳥遊が来るはずがない。そう思いながらもリビングに戻り、そこのレースカーテンを開いた先。
黒塗りの高級外車が家の前に停まっているのが見えた。降車した小鳥遊が、スマートフォンを片手に門扉へと歩む。
「……ストーカーかよ」
『麻陽のGPSは切っておくべきでしたね』
小鳥遊は少し怒ったような顔をして、強い足取りで玄関に向かった。
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