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第32話

 小鳥遊はその日、麻陽を抱きしめたままで夕食をとった。普段はダイニングテーブルで食事をするのだが、今日はリビングのソファに座る。広いそこで麻陽を膝の上に乗せてやれば、麻陽も落ち着いたのか大人しく小鳥遊にご飯を食べさせられていた。  ここ数日、麻陽とこんな距離にもなっていなかったから、膝に乗せているだけでも満たされる。小鳥遊は食事を終えてからも麻陽を離さず、いつものように首筋に顔を埋めていた。 「ことりさん? 疲れた?」 「……いや。こうやって麻陽に触れるのが久しぶりだから嬉しいだけ」 「そーなの?」  嬉しいと言ったからか、麻陽も小鳥遊の頭をぎゅっと抱きしめた。  久しぶりの温もりだ。喧嘩をしてからの数日、小鳥遊は当然ながら麻陽の姿を見ることがなかった。いつも麻陽のことを考えていはいたがそれだけで、GPSを確認することさえ出来なかったほどである。そのせいでGPSの存在を忘れかけていたが、九十九に電話をする前に思い出したのは小鳥遊自身、自分を大いに褒めてやりたい。  ようやく戻ってきた麻陽の匂いを堪能するように肺いっぱいに吸い込んで、小鳥遊はなおもぐりぐりと頭を押し付けた。 「……あー、可愛い。落ち着く。麻陽ー」 「うん?」 「好き。すごい好きだ。……俺のほうが離れたくないんだよなぁ……」 「なに?」 「なんでもない」 「ねーことりさん、お風呂」  当然のように吐き出された言葉に、小鳥遊の肩がびくりと揺れる。 「お風呂一緒に入ってくれるって言った」 「…………言ったな」 「入ろー」 「……その……ああ。入ろう。もちろん。俺は嘘をつかない。麻陽は嘘が嫌いだからな」 「うん嫌い」  さらりと言われては何も言い返せない。そもそも小鳥遊が取り付けた約束だ。ここで違えるわけにもいかないだろう。  しかし手を出さずにいられるか……もう手を出しても良いのではないかとも思えるが、ここまできたらどうやって手を出せば良いのかも分からなくなってきた。  これまで平気な顔をして一緒に寝ておいて、今更押し倒すのもどこか気恥ずかしい。  麻陽はただでさえ小鳥遊がセックスできるということに驚いていた。麻陽の中の小鳥遊のイメージに性的なものがないのではないかと、そう思ってしまえば今になって性的な顔を見せるのも気が引ける。  絶対にがっつくだろう。獣のように求める小鳥遊を見て、麻陽は幻滅しないだろうか。  しかし嘘をつくわけにもいかない。何を思おうとも風呂には一緒に入るわけで、小鳥遊は麻陽と共に脱衣所にやってきた。  麻陽はさっそく、躊躇いもなく脱ぎ始める。少し小鳥遊を気にしたが、そのほかは平気な顔をして脱いでいるように見えた。 「ことりさんは脱がないの?」 「……脱ぐよ」  一枚脱ぐたびにあらわになる麻陽の体に、初めて見るわけでもないのに見惚れていたなんて言えるわけもない。  着痩せということもなく、麻陽はやっぱり華奢な体つきをしていた。全裸になればよく分かる。柔らかそうな肌も、胸にポツンとある二つのピンクも、思わず喉を鳴らしそうなほどには扇情的だ。 (……襲わずにいられるか……?)  触れるにしても、がっつくなんてみっともない。麻陽よりもうんと年上なのだし、ここはしっかりとリードしてやらなければならないだろう。  あくまでも冷静に。あくまでも余裕を持って。言い聞かせながら、小鳥遊はようやく服を脱いだ。 「わ、ことりさんの体、格好いー」 「……ん? そうか?」 「うん。えへへ、嬉しー」  浴室に入ろうと踏み出した小鳥遊の背に、無邪気な麻陽が抱きついた。  肌と肌が触れる。しかし小鳥遊はぐっと堪えると、そのままなんとか浴室に入る。そういえば麻陽は、前に一緒に入ったときにも事あるごとに引っ付いてきた。肌が触れ合う温もりが心地良いのだろう。それにしても、今は控えてほしいものだが。  まだ勃起はしていない。一瞬だけ確認をして、シャワーのコックをひねる。 「熱くないか」 「ちょーどいーよ」 「こら麻陽、ひっついてると洗えない」 「だって俺、お風呂に誰かと入ることなんかなかったし……ことりさんとは二回目だけど、前はずーっとそっぽ向いてたからつまんなかった」 「不安にさせたなら悪かった」 「別にいーよ。これからは毎日一緒だもん。毎日楽しくて嬉しーよ」 「……そ、そうだな」  麻陽は、初めて出来た好きな人と一緒に居られるという状況を、純粋に楽しんでいるのだろう。まるで思春期のように、ウブな初恋に浮かれているのだ。  そんな麻陽を邪な目で見ているということが、小鳥遊には情けなかった。  そうだ、小鳥遊は麻陽を大切にしたいのだ。セックスだけが安心を得る手段ではないと……ただ抱きしめ合うだけで、ただ手を繋ぐだけで満たされるということを、麻陽に教えてやりたい。そのためにはここで興奮しているわけにもいかないだろう。  小鳥遊は改めて気を引き締めると、麻陽を少しばかり引き離し、頭からお湯をかけてやった。 「わ! 何、ことりさん!」 「洗うぞ、髪が邪魔だな」 「うー、目にお湯が入ったー」 「悪い悪い」  目を軽く擦っている麻陽の髪の毛を、小鳥遊が代わりに後ろに撫でつける。  雰囲気が少し変わった。幼いイメージから一変、少しだけ大人っぽく見える。そして何より、麻陽の顔がはっきりと分かった。  ダメだダメだ。こんなことでいちいち感動するんじゃない。小鳥遊はドギマギするたびに自身に冷静になれと言い聞かせて、無心に麻陽の頭を洗う。体も綺麗にしてすぐ、先に浸かれと湯船に追いやった。  煩悩をいかに消すか。小鳥遊はそんなことを考えながら、今度は自身を綺麗にしていく。 「ことりさん、おちんちんおっきいね」 「……人の股間を覗き込むな」 「僕のと全然違う。アルファだから? 生き物みたい」 「こら」  湯船から乗り出して小鳥遊の中心に触れようとするのを、寸前でなんとか引き留めた。そんなことをされては絶対に抵抗できないだろう。指先だけでもいけない。今の小鳥遊は、今にも千切れそうな細い紐で、危ない綱渡りをしている状態である。  何度か危ないやりとりはありながらも、小鳥遊はなんとか乗り切った。そうして麻陽の後ろに座り、湯船に浸かる。  ――正直この体勢も危ない。しかし麻陽の体が見えないのはとんだラッキーだ。無駄に昂ることもない。  小鳥遊はぼんやりと上向いて、尚も煩悩を滅することに徹していた。 (絶対に勃つなよ……これ以上は勃つな……絶対に勃つな……)  すでに少し固くなってはいるが、気付かれるほどでもない。もしかしたら経験値のある麻陽なら気付いているのかもしれないが、この程度でセックスを求めていると思われることはないだろう。正直生理現象だと言い通せる範囲内である。 「結婚したら、毎日こーやってお風呂に入れるの?」  麻陽が不意に、小鳥遊にもたれかかるように体を預けた。細い腰に、小鳥遊の中心が押し付けられる。上目遣いに小鳥遊を見る麻陽の下には、艶かしい体が見えた。 「……そうだな。入れる」 「そっか。楽しーね、結婚」 「したくなった?」 「うん」  そんなことを言われて、尚更襲えるわけもない。  結婚はセックスだけではない。それを教えたい。鎮まれ鎮まれと何度も言い聞かせて、小鳥遊はひたすらその時間をやり過ごしていた。  

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