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第34話
麻陽が目を覚ましたのは、午前八時のことだった。
すでに外は明るく、カーテンの隙間からは陽が差している。麻陽はぼんやりとそれを眺めながら起き上がり、ぼんやりとしたままで隣を見下ろした。
「……ん？ ことりさんだ……」
いつもは居ないはずの小鳥遊がまだ眠っている。今日は休みなのかと納得した麻陽はすぐに、無防備に開いていた小鳥遊の胸に倒れ込むようにダイブした。
「っ！ ……ん？ 麻陽……？」
衝撃で目を覚ましたのか、小鳥遊が寝ぼけた声を出す。麻陽は胸に抱きついたまま動かない。まるで木に止まるセミのように固まって、小鳥遊の上に乗っかりふたたび寝入ろうとしていた。
被害を受けた小鳥遊はというとすっかり覚醒してしまったようで、寝ぼけながらも麻陽の頭を優しく撫でる。
「おはよう麻陽。……寝たのか？」
「……んー……」
寝入る直前の声音だ。今日は休みだし、このまま眠るのもありだろう。小鳥遊も大きなあくびをして、改めて眠るかと目を閉じたのだが。
麻陽の足が、絶妙に小鳥遊の中心に触れている。それも最悪なことに朝勃ちなるものをしており、それはなんと麻陽も同じ状態だった。
麻陽の腿が小鳥遊の中心に触れ、そして小鳥遊の上でうつ伏せにひっついている麻陽の中心は、小鳥遊の腰に押し付けられている。
なんという生殺し状態が生まれているのかと、それに気付けば二度寝どころではなくなった。
「……麻陽、降りてくれ」
一応言ってはみたが、すでに眠ってしまったらしい。
麻陽はあまり朝勃ちを意識しないのか、小鳥遊の胸ですやすやと目を閉じていた。
下手に動けば麻陽の腿で中心が擦れる。これでは動けないじゃないかと絶望した小鳥遊は、麻陽が起きるまで悶々とした時間を過ごしていた。
麻陽が改めて起きたのは、それから二時間が経ってからだった。
平気な顔をして起きたかと思えば、麻陽は慣れたように風呂に向かった。なんだか悔しい気もするが、ここで何かを言ってセックスを迫られたのでは小鳥遊の努力が水の泡である。小鳥遊は言葉をぐっとのみ込むと、極力普段どおりを装って着替えを始めた。
「おはよー」
「おはよう麻陽」
「今日休み？」
「そう。……麻陽、今日は麻陽の服を買いに行こうか。前に言ってただろ？」
「あー、うん。でもたくさんあるのに」
「俺が買いたいだけだから、もらってくれ」
「ふーん……？」
麻陽と九十九の関係がただの親子のようなものだったと知れても、小鳥遊はやはりいい気はしない。とりあえず麻陽には新しいブランドを教えてやって、風俗の除籍をさせて、親にも挨拶を済ませて……いろいろと考えながら朝食を用意して、小鳥遊は麻陽が待つダイニングの席に着く。
「麻陽、どうした？」
「んー……」
椅子に深くもたれて動かない麻陽は、声もどこか気怠げだ。そういえば今朝は小鳥遊が居たのに一人で風呂に行ったし、朝食の準備中にもひっついてこなかった。
体調でも悪いのかと額に手を当ててみるが、特に変わった様子はない。
「大丈夫か？」
「……ことりさん……」
「ん？」
「発情期 きたかも」
「…………発情期 ……？」
その言葉を理解した瞬間、小鳥遊はとっさに自身の鼻を押さえた。そうしてすぐに寝室に戻ると、麻陽の荷物から薬を取り出す。まだ症状が出たばかりでフェロモンは漏れていなかった。あと少し遅ければ、小鳥遊はフェロモンに当てられて麻陽を襲っていたかもしれない。
昨日やけにセックスをしたがっていたのも発情期の予兆だったのだろうか。
「ほら、飲んで」
「……ん」
ほんの少し顔を上げて、麻陽は薬を流し込む。
発情期の症状には個人差があると聞く。もしかしたら麻陽は、症状が軽いほうなのかもしれない。
「大丈夫か？ 飯は食える？」
「食べる。……僕、あんまりフェロモン出ないんだよね。だから安心して」
「……安心って」
「嫌でしょ、嗅ぐの」
それは、小鳥遊がとっさに鼻を押さえたから気を遣っているのか、頑なにセックスを避けたから気にしているのかは分からない。麻陽は何てことないようにそう言うと、テーブルに並べられた朝食を食べ始めた。
膝に乗ることもない。ぼんやりとした様子の麻陽は一人で座り、いつもの甘える様子もなく、ただ黙々と手を動かしている。
「麻陽……怒ってる？」
「怒る？ なんで？」
「いや……なんとなく……」
「怒ってないよ？」
正面に座る小鳥遊は、麻陽の様子を伺いながら手を進める。
麻陽が小鳥遊を見ることもない。それどころか今日はやけにとろんとして、口数も少ないようだ。発情期だからだろうけれど、それならもっと顕著にアルファを求めるような気もする。
じっと観察しながら会話も少なく食べていると、案外すぐに朝食を終えた。そうして小鳥遊がシンクに食器を持っていったところで、麻陽がふらりと立ち上がる。
「ちょっと僕、横になってる」
「ああ、行こうか」
「一人でいーよ。ことりさんはこっちに居て」
「一人って……」
「言ったでしょ。今発情期だから、あんまりフェロモン出ないけど近寄らないほうがいーよ」
のろのろと寝室に戻ると、麻陽はその扉を固く閉ざした。
――確かに、セックスを拒否したのは小鳥遊だ。発情期に側にいて手を出さないなんて自信もない。それを気遣って麻陽が一人部屋に閉じこもってくれたということも分かる。
悶々としながら片付けを終えて、暇つぶしにテレビでもつけてみる。気になる番組は特にない。ひととおり流し見てすぐに消した。
（発情期って言ってもまだ初期段階だったし、薬も飲んであんまりフェロモンが出ないんなら一緒に居たっていいんじゃないか……？）
そう思うのに寝室に行けないのは、麻陽とのセックスを拒絶したことを気遣われていると分かるからである。
発情期中なんて、普段以上に触れたくなる。だから麻陽から避けてくれた。セックスをしないことに納得がいっていないにしても、とりあえず気遣ってくれたのは、小鳥遊の言い分を一応は受け入れてくれたからか。
――セックスをしないとは、こういうことだ。
発情期がくれば、麻陽を一人で苦しませることになる。
（そうか……考えていなかった……）
オメガには発情期がある。
小鳥遊はすっかり忘れていたが、当たり前のことだ。
お坊ちゃん育ちの長岡は発情期の期間は実家に引きこもっていたし、小鳥遊に発情期を意識させることもなかった。小鳥遊はアルファだから突然発情することもない。あるとするならオメガのフェロモンを受けたときだが、そんな機会もなかったから小鳥遊がオメガの発情期を改めて考えたことはなかった。
頭からすっぽり抜けていた。
麻陽の側に居たいと言いながら、小鳥遊は結局麻陽を一人にする選択をしている。
（……あんなに、一人は寂しいと）
小鳥遊が拒否をしたから、発情期を悟った麻陽は一人で食事をとったのだろう。いつものようにくっつくこともない。甘えることもない。発情期だからと一人で部屋にこもり、小鳥遊に少しも頼らず乗り切ろうとしている。
――麻陽にそうさせることが、小鳥遊の選んだ道である。
もしかしたら麻陽は、あんなにも小鳥遊が拒絶をしたから、心に壁を作ってしまったのではないだろうか。
ふと、そんな可能性が頭をよぎる。
ありえない話ではないだろう。たまたま発情期が被ったから分かりにくいが、あんまりくっつくと迷惑だと思われると遠慮していたのかもしれない。
相手はあの麻陽だ。他人には興味もないし関心も示さないが、一度懐に入れた人間にはどこまでも許容し遠慮する麻陽である。
ぐるぐると考えた小鳥遊は、一度自身の額を拳で打った。それなりに力を入れたからそれなりに痛い。しかし渋い顔で長く息を吐き出して、静かにソファから立ち上がった。
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