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第4話

 朝から雨が降っている。  めずらしく長く降る雨で、少し肌寒い。けれど上着が必要なほどでもないと判断して、軽いストールを巻いて家を出た。  王宮図書館まで本を返しに行くと、ひっつめ髪の侍女たちがエイダンの話をしている場面に出くわした。 「エイダン様の色恋沙汰って聞かないよね」 「ひょっとして、一途に愛を捧げる方がいらっしゃるのかも?」 「そうだったらいいわぁ。高嶺の花の前に跪くエイダン様、萌えるじゃないの!」  休憩時間か仕事の合間か。働き者の彼女たちが楽しげに盛り上がっている。  エイダンには今まで浮いた噂がなかったらしい。あくまで噂レベルの話で真実とは限らないが……考えてみれば不思議だ。  どうして今まで番がいなかったんだろう? 王室付き近衛であれば、オメガと知り合う機会もありそうなものを。  騎士は治安を守る役人であり、身の危険にも晒される職業だ。それゆえか、結婚は早いイメージがある。  対照的に「結婚はしない」と誓いを立てる者も、少数だがいる。  高嶺の花に片想いをする騎士は、プラトニックでロマンチックで絵になる美談だけれど。長い片想いを胸に秘めている、というのは、意志の強そうなエイダンなら、あり得そうなことだと思った。 「でも、いつお家に帰ってるのかしら。一心不乱って感じで働いてない?」 「みんなあの方を頼りにしすぎなのよ。新兵の稽古に付き合ったと思ったら、すぐ執務室に呼び戻されたりするでしょ」 「ていうか、家に帰りたくないんじゃないの?」 「やだ、かわいそう!」  少女めいた笑い声があがった。  靴音を立てぬように、来た道を引き返す。王宮から芸術院へ出る最短ルートを諦めて、もう少し奥にある廊下を通ることにした。 「ねえねえ、そこの人〜! そう、君だよ、君!」 「君だよね、あの方のお相手って。こっち向いてよ。うっわ、貧相〜。とても男娼あがりには見えないや」  まわり道を選んだことが裏目に出た。  俺の前に立ちふさがった二人組は、異様に整った顔をしていた。中性的な薄い体に薄い衣を身につけ、細い腰を強調するように赤い帯を巻いている。  彼らは王様の後宮にいるオメガたち――早い話が、わがまま小僧どもだ。  手には盃、もう一方の手に酒瓶。  二人とも後宮を抜け出して、小さな冒険に繰り出していたらしい。そんな彼らは耳障りな声をあげて、俺にまとわりついた。 「今は男娼じゃなくて、吟遊詩人なんでしょ? ねえ、なにか歌ってみてよ」  幼稚な絡み方だった。  いちいち鼻につく言い方と甘ったるい声。満面の嘲笑を浮かべたおのれの顔の醜さを、彼らは知らないのだろう。  彼らを見て「愛らしい子猫がいる」とか「小鳥が歌っている」などと形容する輩もいるらしい。……嘘だろ? と思う。  俺が誰だか知っていてわざわざ絡むのは、エイダンに気があるのか。それとも、自分たちより「下」の人間をいたぶるのが唯一の暇つぶし、ってところか。  後宮入りした彼らは美しいオメガであることを尊ばれながら、王宮で生き、王宮で死ぬ。なにをしてもたいがいのことは大目に見られることが分かっているのだ。  俺は恭しく礼をとりながら「御意」と神妙に応えた。 「ふうん。男爵に拾われて、礼儀も仕込まれたってわけね」 「僕たち、有名楽士の演奏をたくさん聞いてるんだ。耳が肥えてるよ」  ぱしゃん!  オメガの一人が惜しげもなく、酒瓶を逆さまに振った。香り立つ白葡萄酒が滝のように流れだす。  とぷとぷとぷ……。  鶴首の瓶からこぼれた酒は、宮殿の白く硬質な床に水たまりをつくった。無色透明に見えた液体は、まろやかな黄金色。時をかけて丁寧に醸造された極上の酒だろうに。  その水面に、さざなみが立った。 「楽しませてくれなきゃ、そこにぶちまけた酒、舐めてもらうから!」  せせら笑うような声が、がんがんと頭にこだました。ひどく気分が悪い。  地面を這いずり、草の露を啜って生きのびた日もあった。まなじりがきりきりと吊り上がるのが、自分でも分かる。  こいつらとは根本的に理解し合えない。 「……では、とっておきの曲を」  くすくす笑うオメガたち。  俺は目を閉じ、腹に力をこめ、すうと大きく息を吸った。  水鏡にうつるもの  水鏡にうつるもの  ある国の麗しき後宮で  ぬばたまの髪振り乱す  ごくつぶしの小僧たち  いと醜き奇声をあげて  みるみる萎えし儚き寵愛  水鏡にうつるもの  水鏡にうつるもの  川に流してしまいましょう  あーら、えっさっさー  長い旅の果て、この国の寒村に転がり込んだときに習った『ドジョウ起こし』のリズムにのせて、クソみたいな歌詞を力一杯歌ってやった。  二人とも目ん玉を床に転がしそうなほど見開き、口をあんぐり開けている。その顔があまりにも間抜けだったから、俺はけらけら笑い出した。 「あはは、おかしい……お二方とも変な顔しちゃって。傑作だ。ご清聴ありがとうございました」 「なんと、なんと下賎な……僕たちの耳を穢す気かっ!」 「愚弄するにも程がある! さあ、床を舐めろ! すべて舐め啜るまで許さないからな!」 「……愚弄ねぇ」  自分でこぼした白葡萄酒を指差してキャンキャン吠えるが、なんの迫力もない。自分たちの飲む酒や着物を誰がつくっているのか、それを知ろうともしない連中に下げる頭は、あいにく持ち合わせていないのだ。 「聞きてえっつったのは、どこの誰だよ。これは『ドジョウ起こし』――この国に伝わる立派な伝統音楽ですけど? ご存知ないんですかぁ?」  どうせこいつら、あとで王様に「ベータの人にいじめられた」みたいな告げ口をするのだろう。けれど、まわりにはギャラリーも集まりはじめていて、領域侵犯しているのはオメガの二人だと誰が見ても分かるのだが。 「うるさいうるさいうるさーい!」 「きさま〜っ! 意地でも床に押し倒してやる!」  激昂した二人は、あとに退けぬようだった。飛びかかってくるオメガ二人をひょいひょいと避ける。 「俺にムカつくのは自由だけどさ、あんたらがすべきなのは、床にぶちまけた酒の生産者に謝ることじゃないか?」 「我らに暴言を吐くなど、不敬だ、不敬〜!」 「そうだよ、王様に突き出してやるんだから!」 「うっせーなぁ。ぎゃんぎゃん喚くと王様の耳が遠くなっちまうぞ。ロマンチックな夜伽がしたいなら、声落とせよな」  これは割と真に迫った忠告だ。官舎にいた隣人が連れ込む一夜のお相手は、みんなアホみたいに声のでかいやつばかりだった。あんな騒音を聞きながらおっ勃てられるアルファなんてそうはいない。今の王様にお世継ぎができないのも無理はないな。 「な、なんですってえ!?」 「この貧民が! ひっかいてやる〜!」 「はいはい。俺をひっかく前に、その着物で床を拭いてくださーい」  べろべろばあをする。  高級なものを食べて飲んで、最高の書物と音曲に触れられて。居心地の良い部屋だって与えられていながら、こんな幼稚な精神性を晒している。こんなやつらが次世代の王を産むのか? 人の歴史から戦争がなくならないはずだ。  自然と冷めた目つきになってしまう。こんなやつら、全員まとめて砂漠の商隊送りにすればいい。あらゆる不条理をその身で体験してこい。世界は、おまえらみたいな特殊な一握りのために存在してるんじゃないと、身をもって知れ。 「俺は男娼でも詩人でもない。砂漠で育ったウード奏者だ。……たくましく生きてきた貧民、なめんじゃねえぞ!」  前髪をなびかせ、啖呵を切った。その直後、 「――それはいいことを聞いたな」  低く穏やかな、耳に馴染んだ声。  弾かれたように振り向くと、回廊の丸い柱の影からパートナーが姿を現した。 「エイダン……いつからそこに……」 「その楽器、僕のために弾いてくれるか?」 「……音曲なんて興味あるのかよ」 「ある。セオの演奏なら、いくらでも聴きたい」  言葉尻を呑み込む勢いで即答され、つい笑ってしまった。 「エイダン様ぁ! そ、そいつ、失礼なんですよう!」 「そうです! かよわい僕らにむかって、あることないこと歌いやがってぇ……ゆるせませぇん!」  なよなよとしなをつくってオメガたちが訴える。が、彼らに向けられる周囲の目が冷え切っていることに気づいていない。床だって、びしょびしょのまんまだ。誰かが粗相でもしたように見える。 「君たちは? ああ、まさかと思うけれど後宮の方々では? なんということだ! そんな高貴なお方が陛下の目につかぬところをうろついて、親しくもない男性と言葉を交わすなどと……見たところ、首輪もお付けではないようだ。どのような噂が立つことでしょう。人の口に戸は立てられないのですよ? ひょっとしたら、すでに陛下のお耳に入っているやもしれませんな」  大げさな渋面をつくったエイダンがすべて言い終えぬうちに、二人は「やっぱなんでもないっ」と怯えながら逃げていった。  華麗にまくしたてるエイダンには、詐欺師の才もありそうだ。騎士で失敗しても生きていけるだろう。 「お見事」 「君こそ。後宮のオメガたち相手に楽しそうだった」 「どこが?」 「素晴らしかったよ。歌もね。あれは即興かい?」  そこではたと俺は固まった。  適当な歌詞と昔覚えただけの適当な節にのせて、オメガをからかうトンチキな歌舞音曲をエイダンに聞かせてしまった――と思ったら、急に恥ずかしくなって死にたくなった。ぷいと横を向き、羞恥に震える。 「セオ、耳が赤いな。どうした?」 「なんでもねーっ!」 「なぜ怒るんだ?」  めざとく気づくエイダンに声を荒げてしまったのは、不可抗力だ。  まだ周囲に残っている人たちに向かって、俺は声をあげた。 「騒がせて申し訳なかった! ここは俺が責任持って片付ける! みなさんはどうか仕事に戻ってくれ!」  こぼれた酒を拭くための雑巾代わりになるものを……と、衣類のポケットを探ったけど、ハンカチが出てこない。けれど、薄っぺらいハンカチが一枚あったとしても力不足だ。ちょっと残念だけど、首に巻いていたストールを外し、それで床を拭こうと身を屈めた。  しかし、すぐ傍から太い腕が伸びてきて、俺の手を押しとどめる。 「……離せよ」 「それは君のやることじゃない」 「だとしても、あの人たちを怒らせたのは、俺だ」  エイダンは眉毛一本も動かさず、俺をきつく見据えている。手首を掴んだ手に力がこもった。が、俺も一歩も退かない。  そんな俺たちに、おずおずと話しかける人がいた。 「あの……モップを持ってきました」  エイダンの話をしていた、ひっつめ髪の侍女だった。 「私たち、いつも後宮のお方たちに振り回されていて……助けられなくてごめんなさい。セオ様の歌、素敵でした」 「そうです。私たち、胸がすっとしたんです!」  モップをもった人がもう一人増えた。 「ありがとうございました!」  いやな騒がせ方をしたにもかかわらず、我も我もと湧いてくる侍女たちに感謝されてしまい、俺は腰が引けるやら冷や汗を浮かべるやら。お礼を言われるようなことはなにもしていないと思うのだが。  女性と接し慣れていないせいで、「ああ」とか「うう」とか、謎の呻きを漏らすばかりで、気の利いた返しもできない。 「そろそろ僕のパートナーを解放してくれるかな?」  にこにこと割って入ったエイダンに、図らずも助けられてしまった。「はい、もちろんです!」と興奮した声をあげ、侍女たちがいっせいに頬を染める。  女性のあしらい方が上手いのは貴族だからか。それともアルファだからか。  エイダンにぐいぐいと手を引かれて王宮を出ながら、俺はひとまず安堵の息を漏らした。

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