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第2話(side伊織)
年末年始は日本で過ごそうか。父さんの言葉に張りつめていたものが切れるのを感じた。胸を占めたのは懐かしさや恋しさよりも安堵。そして安堵する自分が情けなくて悔しい。それでももう一人で立ち続けるのは限界で、すり減った心が休息を求めていた。
当初は三人一緒に帰国し、父さんの実家に泊まる予定だったが、仕事の関係で年始だけになりそうだと言われ、「俺だけ先に帰ってもいい?」とワガママを言った。
何かを感じ取ったのか、母さんが
「私たちが行くまで成瀬さん家に泊まっていいって」
と勝手に大和の家に行くことを決めてしまった。
機内が薄暗くなる。フライト時間を考えれば早く寝た方がいい。ブランケットを掴んで、窓へと体を寄せる。狭い座席で作れる体勢には限界があり、すぐ隣に知らない誰かがいるというのも慣れない。
大和に会える。それは何よりも嬉しいことのはずなのに、心はうまく弾まない。吐けだせずに溜めこんだ苦しさが胸を圧迫する。
――練習試合だけど、勝ったよ。
相手は全国にも行ったことのある有名な私立校。インターハイ予選では準決勝まで残っていた。一方、大和たちはベスト8に残れず、先月のウィンターカップ予選にすら参加できなかった。
練習とはいえ、そんな相手に勝てたことがすごい。それでも大和は「悔しいな」と声をわずかに震わせた。インターハイ予選の最後、大和は自分がシュートを選んだことを何より悔やんでいた。外してしまったことよりも、強く。主将を引き受けるのを悩むほどに。
――来年はインターハイもウィンターカップも出てやるから。
この地区で勝ち上がることがどれほど大変なのかは俺でもわかる。「全国」なんて口にすることすら躊躇うくらいだ。けれど大和は言葉にした。叶うかわからないという不安を超えて、叶えたいと、叶えてやると口にしたのだ。自分は今できることをやっているのだという自信が声から伝わってくる。
――やりたいこと全部やろうって決めた。
そう言ったのは自分なのに。
頑張れよ、と返すことしかできない。俺はやりたいことをやる前の段階で止まっている。
着陸の段階になってやってきた眠気を振り払い、到着ロビーへと向かう。目に入る広告すべてに見慣れた言語が使われていて、帰ってきたことを実感する。赤と緑ではなく紅白の飾りが目立つ十二月二十九日。
「伊織!」
ざわめきの中で頭ふたつほど出ているのが目に入る。大和が大きな手を振りながらこちらへとやって来る。
「え、部活は?」
久しぶり、よりも先にそんな言葉が出てしまう。冬休みに入っているとはいえ、明日の午前中までは部活だと聞いていた。迎えにはいけないかも、とも。日本時間に合わせた腕時計は午後四時。いつもならまだ練習している時間だ。
「今日、ウィンターカップの決勝だったから。試合を観に行くってことで早く抜けさせてもらった」
「え」
「嘘じゃないから。ちゃんと最後まで観た上でここに来たから」
間に合ってよかった、と大和が笑う。ふわりと胸は温かくなるのに、切ないような痛みを伴う。
「遅刻、しなかっただろ?」
一か月ほど前の会話が蘇り、じわりと顔が熱くなる。気づかれたくなくて、話を変えた。
「大和、背伸びた?」
会っていない期間は五か月ほど。
「どうだろ。測ってないからわかんないな」
それ持つよ、とスーツケースの持ち手を奪われる。あまりにもスマートな動作に、素直に預けてしまった。一瞬触れた指先から熱が滲む。
「……ありがと」
「どういたしまして」
大和が迷うことなくリムジンバス乗り場へと向かう。荷物預けられるし、座って帰れるから楽だろう、と時刻を確かめた大和にチケットを渡された。あれ、大和ってこんなふうに動けるやつだったっけ? 身長よりももっと違うところが変わったように感じる。きゅっと鳴った胸の痛みに気づかないフリをし、
「なんか張り切ってる?」
と声に笑いを混ぜる。ステップに足をかけながら見上げれば、マフラーで隠しきれない場所が赤くなっていく。隣の座席に腰を下ろすが、大和は窓の方を向いたままこちらを振り返らない。
それでも構わず隣から視線を送る。じわじわと頬まで赤くなっているのを見つめ続ければ、「……伊織は違うの?」と小さな声が返ってきた。
ドアが閉まり、冷気が遮断される。エンジンの振動が体に伝わる。
「……」
会いたかった。会えて嬉しい。でもそれだけの気持ちで占められてはいない。無邪気にはしゃげるほど心は軽くない。
「俺は会いたかったよ」
大和がゆっくり振り返る。何も言えずにいる俺の手をそっと包み、「会えて嬉しい」と笑う。たったそれだけのことで泣きたくなった。
弱音を吐くことも本音を伝えることもできないまま、久しぶりに触れた大きな手を握り返し、肩にもたれるようにして目を閉じた。
年内最後の部活に行く大和を玄関で見送る。
「午後から雨か雪らしいよ」
と教えてやれば
「じゃあ、駅前で待ち合わせよ」
と何が「じゃあ」なのかわからない返事が返ってきた。せっかく教えたのに大和は傘を探す気配すら見せない。
「俺に持ってこい、ってこと?」
「違……わないけど、デートしようってこと」
声を潜めることもしない大和に、思わず廊下の奥を振り返る。大和の母はキッチンで洗いもの中らしく水音が途切れることなく流れている。聞かれていたら、と考えてしまったがすでに色々バレているような気もする。うちの母さんには大和がプロポーズみたいなことを言っていたし。
「一緒にいられるの明日までだしさ」
昨日はバスの中で寝てしまい、家に着いてからはご飯と質問攻めでおもてなし(?)され、お風呂を済ませたら用意してもらった客間へ直行。自分の家ではない、けれど懐かしい匂いに包まれて夢の中まであっという間だった。大和とはほとんどしゃべっていない。今日はおじさんが帰ってくる日なので夜はまたみんなで話しているうちに終わるだろう。
大和の部活は午前まで。デート、なんて。こんなこと言うようなやつだったっけ? 会っていない間の変化に胸が小さく疼く。素直に喜べない。自分だけが置いていかれているように感じてしまう。でもそれはきっと大和のせいではない。
「傘、持っていけばいいんだろ」
少しだけ眉根を寄せて言えば、大和は「うん。じゃあ頼むな」と笑う。
「……いってらっしゃい」
「いってきます」
開けた扉からは鋭利な冷たさが入り込んだが、大和は弾むような足取りで出ていった。
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