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第4話(side伊織)

 駅ビル内のエスカレーター。見慣れたチャコールグレーのダッフルコートが視界を埋める。大和の頭は段差のせいでいつも以上に高い位置にあった。 「伊織、何食べたい?」  レストランフロアに到着し、大和が振り返る。俺の手の中では書店名の入った袋が乾いた音を立てる。 「何、っていうのはないけど、これをゆっくり読めるところ?」  そんなところない、と言いたそうな目を向けられる。けれど黙っていた気まずさがあるのか「じゃあ、あそこな」とチェーンのファミリーレストランを指差した。学生にも優しい価格でドリンクバーもある。騒がしさもあるかもしれないが、気にはならないだろう。 「さっき見たじゃん」  コーラをストローで吸い上げながら、大和が声を低くする。怒っているのか照れているのか。少しの気まずさを混ぜた表情。コーラみたいに複雑な色合いだ。 「さっきはゆっくり見れなかったから」  ゆっくり読めるところ、とリクエストしたのだから目の前で開かれるのはわかっていただろうに。 「大和が雑誌に載るなんて、すごいな」 「別にすごくない」  書店で購入したのは高校バスケを中心に取り上げている雑誌。大会情報や全国の注目選手が載っているものだ。そこに大和がいた。写真も記事も小さいが、全国大会に出ていない選手が載るのは珍しい。熱心なバスケファンはどこにでもいるらしく、さっきの女の子みたいに時々声をかけられるらしい。 「全部、(すが)さんの力だし」  俺は何もしていない、と声にならない言葉をコーラの中に溶かす。今回のことは大学のバスケ部でコーチをしている菅さんがこの雑誌のインタビューを受けたのがきっかけらしい。高校生で今注目の選手はいるか、という質問に何人かの名前を挙げた。そのうちの一人が大和だった。そこまで期待されているというのに、当の大和は「結果も出せてないのに」と複雑な表情をしている。  数分前の書店での会話が蘇る。  ――なんですぐに言わなかったんだよ。  ――取り上げてもらえるのは嬉しかったけど、目立った成績もないのに有名な選手と並べられて恥ずかしいんだよ。  いくら期待をされても目に見える結果がなければ自信にはできない。それなのに取り上げられたことで注目も期待も大きくなる。これで結果を出せなかったら、という不安は常にあるだろう。けれどそこで足踏みをするのではなく、求められた結果を出せるように努力するのが大和だった。周りの、自分自身の期待に応えるため。  強いな、と軋んだ胸の中で思う。  同時に大和はちゃんと前に進んでいるのに、俺は何をしているのだろう、とも。  新しい環境。言葉の壁。文化の違い。授業についていくだけで気力も体力も使い果たす毎日。それでも授業ならまだいい。自分で望んだことなのだから。予習も復習もやれる。だけど休み時間の何気ない会話はそれができない。ただでさえすぐに反応できないのに、少しでも気を抜くと全くついていけなくなる。みんなが何に笑っているのかわからないままに表情を合わせてしまう。  逆に相手が合わせてくれるときもある。気遣いや優しさをありがたいと思うのに、そうさせている自分が不甲斐なくて、悔しくて、たまらなくなる。  出来ることが、出来るように努力することが当たり前だった。結果は自然とついてきた。頼りにされることはあっても、自分から頼ることはあまりなかった。弱みを見せることが苦手だった。それが今は誰かに頼らざるを得ない。そんな自分がすごく嫌だ。父さんの仕事をもっとそばで見たいと思っていたはずなのに、日常生活だけでいっぱいいっぱいな自分は、結果を出す以前の段階で止まっている。 「伊織?」  ページを開いたまま固まる俺に大和が顔を傾けた。白いストローの中を黒い液体が戻っていく。 「どうかした?」  先ほどの複雑な表情ではなく、心配の色。  胸の中で膨らんだ苦しさをぐっと飲み込んだ。 「カメラマンってすごいんだな」 「そりゃ、プロだからな」  シュートを放つ瞬間の写真。そっと指で表面を撫で、静かに息を吸い込む。大丈夫。ちゃんと笑える。 「大和がイケメンに見えるなんてさ」 「えっ」  声を跳ねさせると同時に丸くなった目。グラスが少し乱暴に置かれて音を立てる。な、え、と無意味な音が零れ、視線が不安定に揺れる。じわりと赤くなっていく頬。動揺を隠せない大和の姿にせり上がっていた苦しさが沈んでいく。細い管を戻っていくコーラみたいに。 「これがプロのワザか。すごいな」  繰り返せば、ようやく大和も気づいたらしい。 「……どういう意味だよ」  顔の赤さはそのままに口を尖らせた。

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