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第6話(side伊織)

「……一人なんだから仕方ないじゃん」  大和の言葉が張りつめていた糸を切った。  胸に抱えた苦しさが熱となって溢れ出す。離れているから。一人だから。どうしようもない。助けを求めたところでその手には触れられない。隣にはいてくれない。自分で立ち続けるしかない。わかっている。わかっていた。それでもどうしようもなく求めてしまう。  寂しくて仕方ないのに、口にしてしまったら余計に増してしまう気がして言えなかった。大和が隣にいないことを確かめたくなんてない。わずかな時間でも繋がっていられることを大切にしたかった。無理にでも前を向いていないと寂しさに追い付かれてしまう気がして、追いつかれたらもう立てなくなる気がして――こわかったのは自分の方だ。 「ごめん」  大切にしたかったのに。離れることを決めたのも、大和を泣かせているのも自分だった。自分の寂しさばかりに気を取られて、大和のことをちゃんと見ていなかった。離れているからこそ、短い時間しか繋がれないからこそ気をつけなくてはいけなかったのに。 「俺が、決めたから……」 「ううん。寂しいのは本当だけど。でも、だからこそ頑張らないと、って思えるのも本当だから。こわくてもやらなきゃ、って」  伊織は? と優しく見つめられ、大和が先に差し出してくれたことに気づく。素直に口にできないから。隠してばかりだから。俺が言わないようにしているから。大和は気づいた上で、問いただすよりも先に話してくれた。一緒だよ、と。同じだから言っても大丈夫だよ、と。 「大和……俺」  隠し続けた心の奥。沈めても沈めても浮き上がってしまう感情へ手を伸ばし、掬い上げる。それは寂しさやこわさよりももっと複雑で。自分の不甲斐なさも悔しさも素直になれない嫌悪もごちゃまぜで。決して綺麗なものではない。溢れ出した涙と混ざり合い、途切れ途切れの呼吸に言葉もまともな形を保ってはいない。それでも大和はずっと抱きしめてくれる。ただ静かに受け止めてくれる。吸い取られていくかのように、溢れ出した以上に外へと、大和へと向かっていく。  逃げてしまいたくなる。自分から離れることを決めたのに、未来のためにと進んだのに。大和のそばがあまりにも心地良くて、このままずっとここにいられたならと思ってしまう。 「そんなにつらいなら帰ってくればいいじゃん」  途切れた言葉の隙間に落とされたのは優しい声。 「……って言っても帰らないんだろ」  ふっと表情を緩ませ、大和が笑う。 「大丈夫」  逃げていい。帰ってこい。そんな言葉、本当は求めていない。諦めているならこんなに悔しいわけはないのだから。本気で望んでいるからこそ、届かないことが悔しくて泣きたいくらい辛くなる。簡単に諦められるものなら初めからこんなことになっていない。 「伊織なら大丈夫だよ」  きっとほかの人から言われたら素直には受け止められない。大丈夫、なんてどうして言えるのだろうと。勝手に期待しないでほしいと。 「伊織の負けず嫌いも努力家なところも俺は知ってるから。伊織が自分のことを信じられなくなっても、俺は信じてるよ。伊織ならできるって」  大和の言葉だから、こんなにも響く。胸の奥が痛くて熱くてどうしようもないほど嬉しくなる。  大和、と名前を呼ぼうとして、くしゅん、とくしゃみが飛び出した。体の内側から震えが上ってくる。 「ごめん。寒いよな。先入って」  大和が腕を緩め、体を離す。 「タオルはそれで、着替えは俺のならここにあるけど。これでいい?」  離れたくない。寒さなんてどうでもいい。風邪をひいても構わない。ただ大和の腕の中にいたい。そう言いたかった。けれど一度途切れた勢いは消え、感情を言葉に置き換えることができない。自分はよくても大和に風邪をひかせたくないし、何よりこれで自分が体調を崩すことを大和は許さないだろう。お互いの気持ちがわかりすぎるから苦しい。 「……うん」  受け取ったスウェットは柔らかく手に馴染んだ。  お湯で温まった体で袖を通す。ふわりと大和の匂いが濃くなる。包み込まれているような気がして体温がさらに上がった。 「やっぱでかいな」  袖を折り返し、腰ひもをきつく結ぶ。自分のものを取りにいった方が動きやすいけど。二人だけの時間はもうすぐ終わるだろうし、今はこのままでいたい。引き出しからドライヤーを取り出す。迷うことなく手が伸びた自分に気づき、変わらないものに触れて胸が温かくなる。  廊下に出ると、湿度の高かった脱衣所とは違い、ひやりとした空気が触れた。テレビの音と明かりがリビングから漏れていて、裸足のまま向かう。 「大和」  ドアを開けながら声をかけると、ソファに座っていた大和の肩が軽く跳ねた。 「どうかした?」  アナウンスとは違う音が響き、テレビに視線を向ける。白い塊に埋め尽くされる画面。鉄道が止まり混雑する駅の様子。雪はさらに勢いを増していた。映像の上部には交通情報が表示されている。 「おじさんたち大丈夫かな」  予定ではそろそろ帰ってくるはずだ。連絡あった? と聞けば、大和が握っていたスマートフォンをテーブルに伏せた。 「今、連絡来て。交通機関ストップしてて、雪がひどいから今日は帰れないって」 「え、大丈夫なの?」 「うん。空港の近くに泊まって明日帰るって」  そっか、と息を吐き出したところで視線が合わないことに気づく。耳の縁が赤くなっている気もする。 「俺も入ってくる。伊織はゆっくりしてて」 「あ、うん」  こちらを見ることなく出ていった大和を不思議に思いながらテレビへと視線を戻す。乱暴なまでに白く染まりゆく街の映像が流れている。 「今日はずっと二人ってことか」  口にした途端、意識が熱を伴ってせり上がる。温かいくらいだった体がじわりと熱くなる。思わず二の腕を掴めば大和の匂いが濃くなり、熱はさらに膨らんだ。先ほどの大和の様子を思い出し、同じことを思ったのだと、わかってしまった。

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