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第十六章

「……ん」  どちらからともなく重なる唇。その応じ方で千景がどこまで受け入れてくれるか玲於は少しだけ分かるようになった。この日の千景はどこか積極的でこのままならいけると玲於は闘志を燃やす。 「ちか兄、えっちしたい」  ゆっくりとベッドに押し倒し首筋に口付けを落としていくと、千景は片腕で玲於の頭を抱え込み耳へと直接口付けてから囁く。 「良いよ、おいでレオ」  直接耳の中へと囁かれる言葉はぞくりと玲於の雄を刺激する。  背中に食い込む爪の痕も、好きと囁く掠れた声も、全てが愛おしい。何度も弱い所を狙って愛撫を繰り返すと、切羽詰まった様子で声を抑える姿がいじらしい。何より今一つになっているという感覚がこれ以上ないまでに玲於の胸を締め付ける。 「ぁ、……もうちょっと、このまま……」  行為の後、舌先が触れ合うだけのキスを数度繰り返すと千景は玲於の肩に両腕を回したまま、その余韻に浸るように身を預けた。今確かに玲於の存在が自分の中にある事を実感したかったのだ。  肩に掛かる左手首に僅かに見える薄い線。決して数が多いものでもなく、よくよく目を凝らさなければ認識出来るものでは無かったが、その痛々しさが玲於の表情を曇らせる。 「……ちかにぃ、この怪我」  慎重に、様子を窺いながら千景に尋ねる。 「気になる?」 「……気に、なるっ」  千景はああ、と思い出したかのように自分の左手に視線を向け、こつんと額を当てて玲於に問い掛ける。聞いて良いものかと戸惑い揺れ動く瞳に僅かに光が射す。 「じゃあごろーんってしよう」  目を細めて笑みを浮かべる千景は腰を上げるとそのままベッドの上へと転がる。とても今のままの体勢で出来る話しではないのだった。 「ごろぉん」  千景の中から自分が居なくなってしまい多少物悲しさを覚える玲於だったが、千景の隣にすぐさま横たわり足を絡ませる。  天に左手を翳せば薄ら残る傷の痕。この傷を見る度に思い出す、苦い過去。 「これはな、本気で死ぬ為に切ったんだよ。死ねなかったけど、俺は……本気で」  精神は既に限界だった、あの時は。 「なんでえ……」 「泣くなよ」  双眸いっぱいに涙を溜める玲於に視線を送り、指先で零れ落ちる涙を拭う。社会から弾き出されても千景の事を想い続けた玲於と、支えになるものも何も無く、その世界から居なくなる事を選ぼうとした千景。 「二十歳の時、レイプされたんだよ。そん時に切った」  親からの庇護を抜ける二十歳になる時を待っていたと告げられた、その時の絶望感。今後も略取され続ける事を想像した時に一度、千景の心は粉々に破壊された。 「……れいぷ?」 「ッ、無理矢理! 嫌だったのにゴリラがちんこ突っ込んで来たんだよっ!」  玲於の知識にはムラがある。敢えて説明をする事が羞恥に耐え難く、千景は枕に顔を押し付ける。 「ゴリラのちんこ……」 「や、御影のな?」  あまりにも真剣な口調で玲於が反芻するので、千景は枕から顔を上げて訂正をする。  千景にとってはそれだけ思い出したくない過去だった。未遂に終わったが、それが切っ掛けとなり、今まで御影が千景に対して行ってきた事の多くが白日の元へと晒された。竜之介がその殆どを動画や写真、文面で書き残していた事も後押しをした。 「……ちかにぃ」  千景の左手を取り、その手首の傷に舌を這わせた。この傷は千景が一人でずっと耐え続けてきた証なのだと。  その傷も含めて今の千景がある。愛しい傷痕を甘噛みすると不思議そうに千景は玲於へと視線を送る。 「お仕置きは、無理矢理? 嫌だった……?」 「ッ!! お仕置きは! セーフ!! 言わせんなよもぉおうっ!」 「ごっ、ごめんっ……」  耳まで赤くなる顔を枕に沈め、じたばたと足をばたつかせる姿は普段の千景からは中々見られないものであったが、それの一面が余計に可愛らしく見え玲於は隠してしまった顔の代わりに耳の裏へとそっと口付ける。 「ちか兄の事は俺が守るよ」 「……信憑性うっす!」 「何でえ!?」  守られているばかりが嫌だと感じたのはやはり玲於も男だからだ。知らない所で玲於は今までどれほど千景に守られていたのだろうか。  ちらりと横目で見遣る千景だったが、今の玲於にはまだ早いと言うように再びぷいと顔を枕へと埋めた。 「バ、バイトするもん!」  御影が言っていた「穀潰し」という言葉の意味を後に竜之介から教わった。働かずに養われている今の玲於のような存在の事を言うらしい。働いた事のない玲於は千景が仕事で毎日どの位苦労をしているのか推し量る事が出来ない。  玲於も千景同様働きに出る事が出来れば、穀潰しとは言われる事はなくなる。 「小卒なのに?」  一通りの羞恥が過ぎ去るとゆっくりと千景は体を隣に寝転がる玲於へと向ける。アルバイトであっても最低限中学卒業までの学力は必要になるだろう。それでも咄嗟にアルバイトをすると言い出した玲於の純粋さが可愛らしく、片腕を伸ばして玲於の頭を撫でる。 「するもんっ! ちか兄を養える男になるから!」 「何十年掛かるんだよそれー、もう腹痛いー」  社会人を数年続けている千景と、これから玲於がアルバイトを始めたとしても収入の差は歴然だった。千景自身を言葉通り養うと言えるようになるまでは何年掛かる事だろう。その無垢な志が嬉しくも面白くもあり千景は腹を抱えて笑った。

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