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第5話

此方の戸惑いっぷりを目の当たりにして悪戯っぽく笑みを返してくる男――ホセは幼い頃から親交があり、【武官】の纏め役であり、尚且つヤークフという国を担う重大な立場に就いているツタンカーメンの護衛役を務めている男である。 むろん彼が常日頃から苛酷な鍛練を欠かさず行っているというのは、精悍な見た目を保っている様子からも明らかだ。 そして、ホセはスメンクカーラーに対して優しい。 まるで血の繋がった兄のように接してくれているし、何よりも彼は周りの神官達や書記達――更には、あろうことか一番身分が低い筈の奴隷(の一部)のように自分を無いもののように扱ったり馬鹿にしたりはしない、とスメンクカーラーは唇を噛みしめつつ少し俯き加減になりながら目の前の男から目線を逸らす。 「スメンクカーラー様……そのように落ち込んだ顔をなさって、どうなされたのです?もしや、私が無礼なことをしたせいなのでしょうか?」 「い……っ……いや、ホセが悪いというわけではない。ただ、少し……この間父上と話をした時のことを思い出してしまっていただけだ____親身になってくれるホセにまで気を遣わせてしまい、すまない」 咄嗟についた、ごまかしだった。 実際には父アクエンアテンから何か酷いことを言われた訳でも、ましてや次期王後継者として期待されていない私と深く話をしたという事実などないのだが、どうしてもホセに対しては【周りの目が気になり己の存在意義が分からなくなってしまう】という惨めな悩みを告げる勇気が湧いてこない。 すると、何かを悟ったのか優しいホセは何も言及することなく、ただ私の両の手を取ると普段通りの爽やかな笑みを浮かべてくるのだった。 ______ ______ ホセと共にカバ狩りの場所へと向かって歩いていくと、既に何十人もの武官と陽射し避けや休息中の気分転換のためだけに来るように命じられた奴隷の列が目に飛び込んでくる。 奴隷の中には、同じ年頃の男子や、かつては神に仕える誇り高き《神官》だった若い男――あろうことか足取りのおぼつかない老人までもが両手を麻縄で縛られ、よろよろと歩いているのが見える。 皆が皆、右腕に奴隷の証である【 丸い焼印】を押されており、王の宮殿に仕える他の者達とはっきり区別されているためスメンクカーラは王の息子にあるまじきことながら常々、奴隷達に対して憐れみの感情を抱いていた。 「あの奴隷達が、気にかかるのでございますすか?いけませんね____いいですか、貴方様は気高いアクエンアテン王の息子です。片や、あそこに並べられているのは無数にいる奴隷の一部でしかないのです。そもそも王の息子であられる貴方様とは、住む世界が違い過ぎるのですからいちいち気にかける必要などございません」 ホセは、いつものように爽やかな笑みを浮かべたまま当然のことだといわんばかりに此方の心を見透かして言ってきた。 しかしながら、スメンクカーラーは、心中でもやもやした感情を溜め込みつつ、ちらりと奴隷達の列へと視線を移す。 (あんな小さい子どもが強い陽射しに耐えきれず倒れそうになっているのに……周りにいる神官達、いや……それどころか同じ奴隷達ですら誰一人として助けようともしない____それが当然のことだと……いえるのか……) そうは思ってみたものの、スメンクカーラーは何も出来ない。それをしようと思えば、出来ないこともない。 だが、スメンクカーラーにも現王アクエンアテンの息子としての《立場》がある。いつ、父が此処に着くかも分からないのだ。 それをしたのが父に見つかってしまえば、確実に見放されてしまい、余計に幻滅されてしまうと思うと足が震え、行動に移せないのだ。 「あっ…………!?」 と、咄嗟に声が出てしまう。 あれこれ悩んでいるうちに、とうとう倒れそうになっていた子どもの奴隷の両膝が地についてしまった。幸いなことに完全に倒れてしまうことはなかったものの、明らかにぐったりとしていて、すぐに回復する見込みはないというのが分かる。 そして、スメンクカーラーは覚悟を決めた。 懐から下げた貴重な皮で作られた小物入れから、水とナツメヤシの実を取り出すと、おそるおそるだが子どもの奴隷の元へと近づいていく。 むろんホセからは、その行為を頑なに制止され続け、挙げ句の果てに腕を掴まれてしまった。 だが、それでもスメンクカーラーは振り切ると顔を真っ赤に染めつつ肩で息をして苦し気な子どもの奴隷の半開きとなった口へと水を流し込み食べやすくなるようにと潰したナツメヤシの実を詰め込む。 意識朦朧としている子どもの奴隷が無事にナツメヤシの実を飲み込んでくれるのかが不安だったが、やがて喉が上下したことを確認したスメンクカーラーは安堵して、すっかり気が抜けた表情を浮かべてしまった。 とりあえず、今の自分にもできることをやり遂げたことに対して満足していたスメンクカーラーだったが、ふとホセの方から視線を感じて顔を移す。 そこには、普段のように頬笑みを浮かべつつ自分を見つめているホセが両腕を組みながら立っている。 「スメンクカーラー様……さあ、そろそろカバ狩の場へ向かいましょう。開戦の合図であるドゥロマ太鼓の音が聞こえますでしょう?」 「あ……っ……ああ、そうであったな。済まない____」 此方へと手を伸ばしてくるホセに向かって、謝罪の言葉を発するのが、やっとだった。 弱って倒れている子どもの奴隷が近くにいることなど、存在していないかのように立ち振舞うホセに対して嫌悪感とはいわないまでも、少しばかり恐怖を感じてしまい、此方へと差出されるその手を掴むことはできなかった。 しかし、ホセはそれを責めることはない。 すぐに背を向けて、カバ狩の場へ向かって歩みを進めていく。 ホセがどんな表情をしているかなど知る由もなく____。

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