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第11話
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日干し煉瓦と石とで作られた大量の柱が、スメンクカーラーとホセを出迎える。
元々、このグルシュ殿は父王アクエンアテンが古からエジプトに君臨する太陽神ラーと冥界王オシリスに対して祀るべく建てさせた殿であり、基本的に父からの許可がなければ、このグルシュ殿に足を踏み入ることは許されていない。
事実、息子であるスメンクカーラーですら今まで数回しか足を踏み入れてはこなかったのだ。
だが、今まで殆ど同じ時を共に過ごしてきたツタンカーメンは知らないだろうが、スメンクカーラーは決してグルシュ殿に興味がなかった訳ではない。
今まで数回しか足を踏み入れていないとはいえ、足を踏み入れるだけで神聖な空気に包まれることは不快とは思わなかったし、何よりも普段暮らしている殿にはない鮮やかな顔料で塗られた沢山の柱を見るのが楽しくて堪らないと思っていた。
それに柱頭の形も全て同じものではないため、普段暮らしている殿で見ている柱と比べると新鮮味がある。更に、柱身の表面には男女が互いに向き合って横並びしている模様が描かれていたり、顔料で彩られた整刻文字がずらりと描かれている。
中には、古代エジプトを護る偉大なる神々が描かれた柱もある。
柱頭にはナツメヤシを型どったものや、蓮を型どったものなど――微妙に形が違う、それらを見上げると、思わず感嘆の息が漏れてしまう。
「随分と、無機質な柱に見惚れておりますね____ですが、情けないことに、私はそろそろ限界にございます」
ホセの言葉を聞いたスメンクカーラーは、ふと我にかえり慌てて駆け寄る。
スメンクカーラーは急いで腰に携えていた布でできた袋から、宴の場から持ってきておいた動物の肉を取り出す。
そして余りの痛みと辛さからか室内を覆い尽くす程に、ずらりと縦に並ぶ柱の一本に身を凭れさせて肩を上下させつつ息を荒げるホセの痛々しい患部に適度に切り分けられた肉を押し当てると麻紐で縛り付ける。
「私はアメクではない故、詳しくはないのだが母上から聞いた話しでは……傷にはこの方法が一番いいらしい。後は、日が少し経ってから傷口に蜂蜜を丁寧に塗り込めば____」
アメクとは、父王アクエンアテンから絶大な信頼を向けられている医官の男の名前であるのだが、そんなことなど頭の中から瞬時に吹き飛んでしまうくらい混乱する出来事が起きる。
「ああ、何という有り難き幸せにございましょう。スメンクカーラー様、貴方はこのホセの恩人にございます」
突如として身を引き寄せられ、逞しい胸の中で抱き締められながら耳元で感謝の言葉を囁かれたのだ。
スメンクカーラーは、まさか怪我をしているホセから強く抱き締められるなどとは夢にも思わず、動揺しきってしまったせいで慌ててその場から退こうとする。
しかし、身を後退させかけた時に此方を真剣に見つめるホセと目が合ってしまい、思わずその動きを止めてしまった。
「スメンクカーラー様……私は、昔から貴方様のことを____」
そう言いながら、ホセはスメンクカーラーの瞳をじっと覗きながら、彼の肩に手をかけつつある柱へと押し付ける。
そして、そのまま顔を近付けていき、あと少しでスメンクカーラの唇がホセの唇によって捕らえられてしまうと思われた直後のこと____。
突如として、予想外な出来事が起こる。
「えっ____ヌトベ……おまえ、どうしてここに……!?」
ホセの背後にある一つの柱の影から、茶と黒の縦縞模様が特徴的な毛並みを持つネコが一匹、さっと素早く姿を現したのだ。
流石に殆ど音もなく、柱の陰から突如として現れたであろうヌトベに対して驚いてしまったせいか、ホセは直ぐにスメンクカーラーの側からその身を退いた。
そして、グルシュ殿は再び深い静寂に包まれる。
それからホセは少し経ってから先程までの真面目な表情ではなく、スメンクカーラーが幼い頃からずっと見慣れてきた何時も通りの飄々とした態度かつ穏やかな声でこう言うのだ。
「このヌトベは、貴方様にとてもよく懐いておられますね。まさに神の化身と呼ばれるネコ――その中でも群を抜いて気高い存在といえます。これは私の予想といえますが、ヌトベを欲しがる者――例えば、哀れなる民など幾らでも欲しがる者がいるのでしょうね」
そう生き残し、ホセは呆気にとられるスメンクカーラーの方へ一度も振り向くことなくグルシュ殿から去って行ってしまう。
グルシュ殿の内部の何処かから、此方へ向けられる視線を感じ、ゴロゴロと喉を鳴らし懐くヌトベの暖かさを感じつつも心の底に言い知れぬ不安じみた感情を抱くスメンクカーラを残したまま____。
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